明日へ羽ばたいて

2017-04-26 12:48:47 | 生活

正社員が二人辞めた状態で年度末・年度始を迎え鬼のように忙しかったが、それもヤマを越えようとしている。これを乗り切れたのは間違いなく残った正社員二人とアルバイト職員の献身的な働きによってであったが、中でもバイトのうちの一人は正社員二人分に匹敵する活躍を見せたと言っても過言ではない。

 

その彼女は母子家庭で金銭的な事情もあって都立高校→国立と進学したが、今は兄弟が浪人することになったため、さらに金銭的な圧迫が強くなり、アルバイトをガッツリ入れざるを得なくなったようだ(本人はそういう言い方をしていないが)。大学が休みということもありほぼ終日アルバイトに入ってくれていたが、例えば昼食などは家で母親に作ってもらった弁当を持ってきているという節約ぶりであった(一度冗談のつもりで「忙しい中でお弁当を作ってくれているお母さんに感謝しないとね」と声をかけたら神妙で辛そうな面持ちをしていたので、本人も内的・外的な圧力が相当かかっているものと思われるため、この手の「他の人が/も頑張ってくれているんだよ」というプレッシャーになりうる言葉はかけず、本人の努力を誉め、その貢献に感謝する言葉をもっぱらかけるようにしている)。途中から体調を崩した時も、学校の無料診療所がもうすぐしたら開くからとずっと咳をしながら仕事を続けてくれていたが、なかなか症状が良化しないのと4月に入っても新入生の健康診断でなかなか学校の診療所が使う機会が作れないのとで、見かねて薬を買ってきてあげたほどである。つい先日は母親があわや骨折で入院かというまでになり、付き添いで仕事を休んだ分を有休扱いにしたのは言うまでもなく、(おそらく)家事の分担量も増えるだろうから必要があれば有休を使うよう再度勧めた次第である。

 

さて、このエピソードで何を話したいのか。
最近では、学生の貧困や奨学金の問題に絡んでこういった事例が紹介されることも多いので、思い当たる方も少なからずいるだろう(私はこの事例を身近に見ているので、ある記事で国立医学部に通いながら体育会に入り、時間のやりくりができずに「賃金のよい」性産業に流れた学生のことを見て、そのような現象は十分に起こり得ることだと思った)。上がり続ける大学の料金、必要とされる教育資金の膨張、賃金上昇の停滞etc...もちろん、あえて隠さず書いているが、上の事例でも「突っ込みどころ」は存在する。たとえば、体育会は(合宿とかあって)お金も時間もかかるのでそれをやめれば余裕ができるんじゃないか。あるいはそもそもそういう苦しい環境なら浪人しなくていいようにちゃんと勉強をしろ、といった具合に(あるいは浪人という選択肢がある時点でまだマシとかね)。ここに、「昔はもっと貧しくて云々」的なものを加えれば、まあ護身完成ならぬ封殺完成といったところか(゚∀゚)アヒャ

 

このような事例と突っ込みの関係を見るとき、事は学生の案件だけでなく社会の貧困に対する向き合い方や労働に対する姿勢にも適用できると感じるのは私だけではあるまい。自分を振り返ってみれば多々失敗もあれば不完全さもあるのは自明であろうに、どういうわけかこの手の事例になるとあら探しが始まって、最後は「俺・私はもっと頑張っている・頑張った」という負の斥力が働いて事例は解消されないまま放置されるのである。

 

ちなみにこの子の場合、通っているのは国立医大で特に学業が忙しく、前年度も相当苦労しながら単位を取ったようだ。もし仮に彼女が留年していたなら、人手不足が叫ばれてその傾向が今後も続く状態において、社会進出の遅れは端的に言って社会的損失に他ならない。であるならば、極力学業に集中できるように制度を整える責任が社会にはある。少なくとも、近未来に対する危機感を持ち、それに向かい合っていくつもりがあるのならば。それをすることなく、もっと努力をできるはずだと口だけ出して社会的包摂を志向しないのは、その結果社会全体を衰退させるという意味において全く公共的ではなく(正確には、意識的か無意識かは知らないが、公共的なことを語っているようでいて、実は「自分の方がキツイ」という個人的な語りしている点でタチが悪い)、最終的に自分の首を絞めるという意味で最も愚昧な振る舞いだと言えるだろう。

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