カテドラルを出て、ダリの美術館に向かう前にしばし単独行動の時間をとった。彼女は靴を買いたいと言って、カテドラルの近くにあった雑貨屋に入って行った。自分はダリの美術館の道のりを探すのを兼ねてゴシック地区を散歩した。
20~30分ほどして、彼女と別れたカテドラル前の雑貨屋に戻ると、ちょうど彼女が靴を買おうとしているところだった。この旅の秘かな願望の一つに彼女の出会い、触れ合い、巡り合いがあった。ささやかでいいから、現地の人でもなくていいから「心の通い合い」を体験してほしかった。それこそが旅の最も尊いギフトで、次の旅の推進力につながるもの。単独行動という一人の時間もさることながら、彼女の「靴」というアイテムは、そういう旅のマジックを導き、引き起こす可能性を秘めていた。
彼女の探していた靴は「エスパドリーユ」。
その聞き慣れぬ馴染みのない名前の響きに、脳はSTOPしており、誤った追唱を繰り返した・・・エスパルス・・・エスパドリーム・・・・エ、え、E、e・・・???
何度もその名前を聞き直した。それは明らかにそのアイテムが彼女のものであることを表していた。
それは彼女の旅だった。
「エスパドリーユ ‐espadrilles‐」はフランス語で、その発祥はフランス―スペインの国境に聳(そび)えるピレネー山麓に起源がある。国境というのは得てして歴史上紛争がつきもので、このピレネーを境にある時は、フランスだったり、スペインだったりと国境線は変わってきた。国境線というものは中央の人が作った便宜上のもので、本当の「線」はその自然の中にあり、そこで生活している人のみが感じうる境界のことを言う。ことこの靴に限って言えば、エスパドリーユの語源はカタルーニャ語の「アスパルデーニャ ‐espardenya‐」から由来している。18世紀から主に農民(ファーマー)の間でよく履かれており、カタルーニャの生活の一部だった。言葉や生活がその土地が誰のものであるかを表していた。そいう観点で見れば、エスパドリーユはカタルーニャの民族性を表す一つのアイテムとも受けとれた。その靴底はエスパルトという縄状の紐を組み編みしながら作られていく。その組み編みにカタルーニャの微細な粒子が籠められていた。
最近では日本でも靴屋やアパレルの店頭にもよく並んでいるらしいが、ここバルセロナで自分に合ったエスパドリーユを探すというのは、カタルーニャと彼女をつなぐ一つの物語になりえた。店を遠巻きに覗くと、サイズや色味について店員さんと話している(おそらく)。ときに困った顔をして、ときに笑顔を見せ、ときに顔を引き攣らせ、ときに真剣な顔をする。そしてカタルーニャに出自を持つ店員さんが、彼女の一挙手一挙動に呼応、対応していく。それ程高い買い物ではないが、そこには貴(とうと)い交流があった。彼女はエメラルドグリーンの一足を選んだ。それはオズの魔法使いを思い出させた。そこに自分の介入の余地はなく、それはそれでよく、彼女は彼女のバルセロナの時間を生きていた。この旅の自分自身への贈り物が、このエメラルドグリーンのエスパドリーユ。この靴はここから三茶に運ばれ、ランブラスの石畳ではなく、松陰神社の石畳を歩く。その靴の運命は、彼女によって大きく転回されようとしていた。狂言回しは外でもない彼女だった。そんな彼女自身の旅を垣間見て、少し誇らしく、そしてとても嬉しかった。ほんの少しでいい、心の触れ合いがあればいい。
オズの魔法使いのエスパドリーユが彼女の足を守る。
歩こうその靴で、彼女の道を。私たち二人の旅を。
そんなこんなで、次に私たち二人はダリのミュージアムに向かった。
戻ってきた彼女の顔が美しかった。
20~30分ほどして、彼女と別れたカテドラル前の雑貨屋に戻ると、ちょうど彼女が靴を買おうとしているところだった。この旅の秘かな願望の一つに彼女の出会い、触れ合い、巡り合いがあった。ささやかでいいから、現地の人でもなくていいから「心の通い合い」を体験してほしかった。それこそが旅の最も尊いギフトで、次の旅の推進力につながるもの。単独行動という一人の時間もさることながら、彼女の「靴」というアイテムは、そういう旅のマジックを導き、引き起こす可能性を秘めていた。
彼女の探していた靴は「エスパドリーユ」。
その聞き慣れぬ馴染みのない名前の響きに、脳はSTOPしており、誤った追唱を繰り返した・・・エスパルス・・・エスパドリーム・・・・エ、え、E、e・・・???
何度もその名前を聞き直した。それは明らかにそのアイテムが彼女のものであることを表していた。
それは彼女の旅だった。
「エスパドリーユ ‐espadrilles‐」はフランス語で、その発祥はフランス―スペインの国境に聳(そび)えるピレネー山麓に起源がある。国境というのは得てして歴史上紛争がつきもので、このピレネーを境にある時は、フランスだったり、スペインだったりと国境線は変わってきた。国境線というものは中央の人が作った便宜上のもので、本当の「線」はその自然の中にあり、そこで生活している人のみが感じうる境界のことを言う。ことこの靴に限って言えば、エスパドリーユの語源はカタルーニャ語の「アスパルデーニャ ‐espardenya‐」から由来している。18世紀から主に農民(ファーマー)の間でよく履かれており、カタルーニャの生活の一部だった。言葉や生活がその土地が誰のものであるかを表していた。そいう観点で見れば、エスパドリーユはカタルーニャの民族性を表す一つのアイテムとも受けとれた。その靴底はエスパルトという縄状の紐を組み編みしながら作られていく。その組み編みにカタルーニャの微細な粒子が籠められていた。
最近では日本でも靴屋やアパレルの店頭にもよく並んでいるらしいが、ここバルセロナで自分に合ったエスパドリーユを探すというのは、カタルーニャと彼女をつなぐ一つの物語になりえた。店を遠巻きに覗くと、サイズや色味について店員さんと話している(おそらく)。ときに困った顔をして、ときに笑顔を見せ、ときに顔を引き攣らせ、ときに真剣な顔をする。そしてカタルーニャに出自を持つ店員さんが、彼女の一挙手一挙動に呼応、対応していく。それ程高い買い物ではないが、そこには貴(とうと)い交流があった。彼女はエメラルドグリーンの一足を選んだ。それはオズの魔法使いを思い出させた。そこに自分の介入の余地はなく、それはそれでよく、彼女は彼女のバルセロナの時間を生きていた。この旅の自分自身への贈り物が、このエメラルドグリーンのエスパドリーユ。この靴はここから三茶に運ばれ、ランブラスの石畳ではなく、松陰神社の石畳を歩く。その靴の運命は、彼女によって大きく転回されようとしていた。狂言回しは外でもない彼女だった。そんな彼女自身の旅を垣間見て、少し誇らしく、そしてとても嬉しかった。ほんの少しでいい、心の触れ合いがあればいい。
オズの魔法使いのエスパドリーユが彼女の足を守る。
歩こうその靴で、彼女の道を。私たち二人の旅を。
そんなこんなで、次に私たち二人はダリのミュージアムに向かった。
戻ってきた彼女の顔が美しかった。