菅原貴与志の書庫

A Lawyer's Library

『小言幸兵衛』 因業家主でも店立ては難しい

2011-06-20 00:00:00 | 落語と法律
新・落語で読む法律講座 第7講

 麻布古川橋に住む幸兵衛、いたって世話好きな家主だが、のべつ小言ばかりいっているので、人呼んで小言幸兵衛

 ちょっと外に出ただけで、長屋の連中がだらしないと小言をいい、家に戻れば、
「婆さん、また朝ッから居眠りをしてるな。おめえは、モノをふんだんに食べて、うすぼんやり座ってるから居眠りが出るんだ。
食やァ食いっぱなしで、とっ散らかしておきゃァがって、汚くてしょうがねえ。汚れもんを早く片付けな。ぶつくさいわねぇで、ハイといってすぐにしたらよかろう。尻の重てえ婆あだ、石臼婆あ。
釜の蓋が曲がってるよ、まっすぐにしておきな。曲がってもいいでしょう、てえことはないよ、見た目が悪いからいうんだよ。
布巾がとびそうだ。雑巾をこっちィ絞っておかなくちゃいけない。
猫のお椀を片付けておきな……この猫はまた、どうして尻尾が長えんだろうねえ……」。
 なにも猫の尻尾にまで小言をいうことはない。

 そのうちに貸家札を見た入居希望者がやってくる。はじめに来た豆腐屋は、ものの言い方が悪い。
 子宝に恵まれないことを、なんと「ありがてえことにガキを一匹もひり出せねえ」との言い草。
 そんな礼儀を知らない奴には貸せないと断る。



 次にやってきたのが仕立屋。物腰態度のていねいさに感心した幸兵衛が、いろいろ聞いてみると、今年20歳で親より腕のよい男前の一人息子がいるという。
 これを聞いた幸兵衛の機嫌がとたんに悪くなった。長屋の古着屋にお花という今年19歳の一人娘がいるが、商売の上でも近い関係だから、いずれ二人は相思相愛のいい仲になるだろう。
 しかし、どちらも一人っ子では、嫁には出せず、婿にもやれないから、お定まりの心中沙汰……だから、とても家は貸せないと言う。
 さすがの仕立屋も呆れて帰ってしまう。

     *  *  *

「大家といえば親も同様、店子(たなこ)といえば子も同様」とはいうが、法律的には賃貸借という契約関係である。
 たとえ長屋であっても、その部屋にある程度の独立性があれば、借地借家法が適用される。通常は契約書に「本件契約の期間は平成○年○月○日までとする」などと記載してあって、期限を定めている場合が多いだろう。

 家主の都合で明渡しを求める場合には、その期間中に解約することはできず、期限の切れる6ヵ月から1年前までの間に更新拒絶の意思表示をしなければならない(借地借家法26条)。
しかも、この更新拒絶には、明渡しについて「正当事由」のあることが要求される(同法28条)。ここでいう「正当事由」とは、貸主・借主両方の事情や常識からみて納得できる必要があり、たとえ契約書に「家主の明渡要求があったときは借主は何時でも明け渡す」と書いてあっても無効である。

 したがって、幸兵衛のように「あい変らずどうも、長屋の奴ァだらしがなくで困る」程度では、店立てをくわせる「正当事由」にはならない。
 なお、いわゆる立退料の支払いは「正当事由」存在の補強材料となるので、家主の側としては、なるべく立退料を多く支払えば、明渡しを求めやすくなる。

 ちなみに、家主が転勤や海外赴任の期間だけ家を貸したいという場合には、確定期限付きの建物賃貸借の制度がある(同法38条)。

 これに対して、よく落語に登場する長屋の連中のように、店賃をためた(賃料を滞納する)場合には、まったく話が違う。家賃の滞納は、借主の重大な義務違反なのだから、相当期間(だいたい1週間程度)を定めて「家賃を支払え」と催促をしておけば、賃貸借契約を解除することができるのである(民法541条)。

     *  *  *

 仕立屋の次には、おそろしく威勢のいい乱暴な口調の男が飛び込んで来た。さすがの幸兵衛も小言を言う隙がない。
「ところで、お前さんのご商売は?」
「先祖代々の鉄砲鍛冶だ!」
「あ、道理でポンポン言い通しだ」





【楽屋帳】
 上方ネタ。正徳二(1712)年刊の上方笑話本『笑眉』の中の「こまつたあいさつ」。別名「借家借り」。当時の家主(大家)は、普通は地主に委託された管理人だが、町役人も兼ねていたので強力な権限をもっていた。万一の場合は責任も大きく、店子の選抜に慎重になるのも当然である。戦後、特に三遊亭円生、桂文楽がよく高座にかけた。
 賃貸人に比べ立場も弱く、経済的にも不利がある借家人や借地人を保護するために、民法の規定を修正したり補った法律が借地借家法である。もともとは大正10(1921)年に借地法と借家法が独立した形で制定され、いずれも借り手側の保護に重点が置かれていた。しかし、特に正当事由制度によって過度に借り手が守られ、一度貸したら二度と戻らないという意識が生まれ、その後、土地活用が進まないという議論が活発化する。平成3(1991)年に借地法・借家法が廃止され、定期借地権制度が盛り込まれた現在の借地借家法が誕生したのである。


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