教会は今、アドベントだ。
クリスマスの主日までの4週間を、わくわく過ごすのだ。
※
中西悟堂というひとがいる。
写真の爺様、襟元に雀をとまらせて、仲良さそうだ。
「野鳥」とか「愛鳥」といった言葉を普及させた功労者である。
この人の誕生日が11月16日、命日が12月11日。
この間を私は「ゴドベント」と称して、愛鳥に過ごしたい。
と、思っているところ。
深大寺の境内、元三大師堂の裏、開山堂の更に奥に、像がある。
そこに彫られた解説が簡潔なので、今日はそれを転載しちゃえ。
※
中西悟堂略伝
明治二十八年(1895)、11月16日、北陸の金沢に生まれる。
幼くして父母に死別。
少年時代秩父山中で修行の際、肩や膝に来て遊ぶ小鳥と親しんだのが、
後の野鳥人生への機縁となる。
15歳でここ深大寺にて得度。
才気煥発、天衣無縫ん自然児ぶりを発揮。
青年時代は僧籍に在りつつ中央の詩壇歌壇に活躍した。
その後武蔵野に隠せい(すみか)し、木食菜食、無欲に徹し、深い思索に耽る。
昭和3年社会に復帰、鳥や虫と生活を共にして生態観察に没頭。
同時に各地の自然を探訪し、踏破した山岳は八百座に達する。
昭和9年(1934)、日本野鳥の会を創設。
東洋的自然観、仏教の哲理に基づき、科学と芸術の合体融合を指向する。
野鳥・探鳥会などの語はこの時造られた。
爾来五十年、先覚者としての荊蕀(ケイキョク)の道を歩む。
霞網猟の禁止、空気銃撲滅をはじめ、鳥獣保護法の成立、
野鳥の聖域構想等に奔走、鳥類や自然の保護に主導的役割を果たす。
この間、その薫陶を受けた有能な後進が輩出した。
科学・文芸・自然保護などの各分野において幾多の受賞があるが、
中でも昭和52年には、国の文化功労者の顕彰を受ける。
晩年は、財団法人日本野鳥の会名誉会長、天台宗権僧正などの長老的立場にあり、
警世の論陣を展開、独特の鋭い文明批判を精力的に続ける。
読売文学賞の定本野鳥記他、その著書は百四十冊に及ぶ。
昭和59年(1984)12月11日、横浜にて没。享年89歳。
※
この人の生き様は、幼い頃から爺に至るまで、痛快無類である。
エピソードをぽつぽつと紹介したい、と思っている。忘れた頃に。
クリスマスの主日までの4週間を、わくわく過ごすのだ。
※
中西悟堂というひとがいる。
写真の爺様、襟元に雀をとまらせて、仲良さそうだ。
「野鳥」とか「愛鳥」といった言葉を普及させた功労者である。
この人の誕生日が11月16日、命日が12月11日。
この間を私は「ゴドベント」と称して、愛鳥に過ごしたい。
と、思っているところ。
深大寺の境内、元三大師堂の裏、開山堂の更に奥に、像がある。
そこに彫られた解説が簡潔なので、今日はそれを転載しちゃえ。
※
中西悟堂略伝
明治二十八年(1895)、11月16日、北陸の金沢に生まれる。
幼くして父母に死別。
少年時代秩父山中で修行の際、肩や膝に来て遊ぶ小鳥と親しんだのが、
後の野鳥人生への機縁となる。
15歳でここ深大寺にて得度。
才気煥発、天衣無縫ん自然児ぶりを発揮。
青年時代は僧籍に在りつつ中央の詩壇歌壇に活躍した。
その後武蔵野に隠せい(すみか)し、木食菜食、無欲に徹し、深い思索に耽る。
昭和3年社会に復帰、鳥や虫と生活を共にして生態観察に没頭。
同時に各地の自然を探訪し、踏破した山岳は八百座に達する。
昭和9年(1934)、日本野鳥の会を創設。
東洋的自然観、仏教の哲理に基づき、科学と芸術の合体融合を指向する。
野鳥・探鳥会などの語はこの時造られた。
爾来五十年、先覚者としての荊蕀(ケイキョク)の道を歩む。
霞網猟の禁止、空気銃撲滅をはじめ、鳥獣保護法の成立、
野鳥の聖域構想等に奔走、鳥類や自然の保護に主導的役割を果たす。
この間、その薫陶を受けた有能な後進が輩出した。
科学・文芸・自然保護などの各分野において幾多の受賞があるが、
中でも昭和52年には、国の文化功労者の顕彰を受ける。
晩年は、財団法人日本野鳥の会名誉会長、天台宗権僧正などの長老的立場にあり、
警世の論陣を展開、独特の鋭い文明批判を精力的に続ける。
読売文学賞の定本野鳥記他、その著書は百四十冊に及ぶ。
昭和59年(1984)12月11日、横浜にて没。享年89歳。
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この人の生き様は、幼い頃から爺に至るまで、痛快無類である。
エピソードをぽつぽつと紹介したい、と思っている。忘れた頃に。
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