犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

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中西悟堂というひと

2012年12月10日 | イキモノタチ
教会は今、アドベントだ。
クリスマスの主日までの4週間を、わくわく過ごすのだ。



中西悟堂というひとがいる。
写真の爺様、襟元に雀をとまらせて、仲良さそうだ。
「野鳥」とか「愛鳥」といった言葉を普及させた功労者である。

この人の誕生日が11月16日、命日が12月11日。
この間を私は「ゴドベント」と称して、愛鳥に過ごしたい。
と、思っているところ。

深大寺の境内、元三大師堂の裏、開山堂の更に奥に、像がある。
そこに彫られた解説が簡潔なので、今日はそれを転載しちゃえ。



中西悟堂略伝

明治二十八年(1895)、11月16日、北陸の金沢に生まれる。
幼くして父母に死別。
少年時代秩父山中で修行の際、肩や膝に来て遊ぶ小鳥と親しんだのが、
後の野鳥人生への機縁となる。
15歳でここ深大寺にて得度。
才気煥発、天衣無縫ん自然児ぶりを発揮。
青年時代は僧籍に在りつつ中央の詩壇歌壇に活躍した。
その後武蔵野に隠せい(すみか)し、木食菜食、無欲に徹し、深い思索に耽る。
昭和3年社会に復帰、鳥や虫と生活を共にして生態観察に没頭。
同時に各地の自然を探訪し、踏破した山岳は八百座に達する。

昭和9年(1934)、日本野鳥の会を創設。
東洋的自然観、仏教の哲理に基づき、科学と芸術の合体融合を指向する。
野鳥・探鳥会などの語はこの時造られた。
爾来五十年、先覚者としての荊蕀(ケイキョク)の道を歩む。
霞網猟の禁止、空気銃撲滅をはじめ、鳥獣保護法の成立、
野鳥の聖域構想等に奔走、鳥類や自然の保護に主導的役割を果たす。
この間、その薫陶を受けた有能な後進が輩出した。

科学・文芸・自然保護などの各分野において幾多の受賞があるが、
中でも昭和52年には、国の文化功労者の顕彰を受ける。
晩年は、財団法人日本野鳥の会名誉会長、天台宗権僧正などの長老的立場にあり、
警世の論陣を展開、独特の鋭い文明批判を精力的に続ける。
読売文学賞の定本野鳥記他、その著書は百四十冊に及ぶ。
昭和59年(1984)12月11日、横浜にて没。享年89歳。



この人の生き様は、幼い頃から爺に至るまで、痛快無類である。
エピソードをぽつぽつと紹介したい、と思っている。忘れた頃に。

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