芸人が自分の仕事に関する考えを語る番組が好きだ。
「あちこちオードリー」と「やすとものいたって真剣です」は
毎週、楽しみに観ている。
テレビに出演する芸人という、
テレビに関わらない人から見たら特殊な生き方に見えるところでも、
やはり’信念’のようなものについて話すとき、人は共通の魅力を放つ。
だから、芸談というのは芸人に限らず、
広く世間の人にも共感の得られるものになるのだろう。
※
「やすとものいたって真剣です」は、
ゲストを招いての芸談と、企画ものの回と、半々くらいだった。
それが、この一年はすっかり企画ものが占めるようになった。
なんなんだ。
なぜ変わったのだろう。
なんの根拠も無い憶測をするなら、
・ディレクターが代わった。
・テレビで芸談をさらけ出すことを芸人が嫌った。
とかなんとか。
憶測しても意味は無い。
ただ、「いたって真剣です」という番組の持つ雰囲気は、
まだ芸人の間で緊張感をもって憶えられている、
というような感じがする。これも憶測に過ぎない。
私はたーだの視聴者。
なんでこんなことを書くかと言えば、
残念だからである。
「いたって真剣」で芸談を聞くのがとても楽しくて大好きだったので、
今の番組がちょっと残念に思えてしまうからである。
※
一方の「あちこちオードリー」は、スタイルを変えていない。
昨年は、番組の最後に「反省ノート」のコーナーを設けて、
若手を登場させていたが、それも無くなった。
そうです。ゲストとオードリーの話がたっぷり聞きたいです。
※
「いたって真剣」が企画ばかりになっても
やっぱり「いたって真剣」の雰囲気をもっているのは、
トークの端々にあらわれる。
インディアンス・田渕の宅飲み企画の中で、コンビ・大自然のしんちゃんが語る。
おもしろい人と一緒にいたくてこの業界に入ったので、
その人たちと一緒にい続けるためには、同じように売れていかないといけない。
漫才コンビ・ダイタクの大も、
そのために、芸人を続けるためには結果を残さないといけない、と応える。
さて
「あちこちオードリー」でオードリーの若林は
共通の笑いの感覚を持つ人は貴重だ、
一緒に仕事した人が会わなくなっていったりする、
出会えた人となるべく多く一緒に時間を過ごしたい、と語る。
そのために頑張り続けるのだ、と。
あら。同じ話だわね。
※
自分もしばしばこのことを考える。
十代二十代に同じ音楽を聴いてきた仲間との演奏は、楽しい。
打ち合わせが要らない。
共通の下地が在るからだ。
そういう関係の仲間から私は今、離れてしまっている。
代わりに得ているものもたくさん有る。
しかし、共通の下地の在る人との演奏の楽しさ楽さの
かけがえの無さも分かる。
いっぺん途絶えると、復活するにはものすごいパワーが必要だ。
「続ける」ために「頑張る」というのは、とても大事なことだ。
「あちこちオードリー」と「やすとものいたって真剣です」は
毎週、楽しみに観ている。
テレビに出演する芸人という、
テレビに関わらない人から見たら特殊な生き方に見えるところでも、
やはり’信念’のようなものについて話すとき、人は共通の魅力を放つ。
だから、芸談というのは芸人に限らず、
広く世間の人にも共感の得られるものになるのだろう。
※
「やすとものいたって真剣です」は、
ゲストを招いての芸談と、企画ものの回と、半々くらいだった。
それが、この一年はすっかり企画ものが占めるようになった。
なんなんだ。
なぜ変わったのだろう。
なんの根拠も無い憶測をするなら、
・ディレクターが代わった。
・テレビで芸談をさらけ出すことを芸人が嫌った。
とかなんとか。
憶測しても意味は無い。
ただ、「いたって真剣です」という番組の持つ雰囲気は、
まだ芸人の間で緊張感をもって憶えられている、
というような感じがする。これも憶測に過ぎない。
私はたーだの視聴者。
なんでこんなことを書くかと言えば、
残念だからである。
「いたって真剣」で芸談を聞くのがとても楽しくて大好きだったので、
今の番組がちょっと残念に思えてしまうからである。
※
一方の「あちこちオードリー」は、スタイルを変えていない。
昨年は、番組の最後に「反省ノート」のコーナーを設けて、
若手を登場させていたが、それも無くなった。
そうです。ゲストとオードリーの話がたっぷり聞きたいです。
※
「いたって真剣」が企画ばかりになっても
やっぱり「いたって真剣」の雰囲気をもっているのは、
トークの端々にあらわれる。
インディアンス・田渕の宅飲み企画の中で、コンビ・大自然のしんちゃんが語る。
おもしろい人と一緒にいたくてこの業界に入ったので、
その人たちと一緒にい続けるためには、同じように売れていかないといけない。
漫才コンビ・ダイタクの大も、
そのために、芸人を続けるためには結果を残さないといけない、と応える。
さて
「あちこちオードリー」でオードリーの若林は
共通の笑いの感覚を持つ人は貴重だ、
一緒に仕事した人が会わなくなっていったりする、
出会えた人となるべく多く一緒に時間を過ごしたい、と語る。
そのために頑張り続けるのだ、と。
あら。同じ話だわね。
※
自分もしばしばこのことを考える。
十代二十代に同じ音楽を聴いてきた仲間との演奏は、楽しい。
打ち合わせが要らない。
共通の下地が在るからだ。
そういう関係の仲間から私は今、離れてしまっている。
代わりに得ているものもたくさん有る。
しかし、共通の下地の在る人との演奏の楽しさ楽さの
かけがえの無さも分かる。
いっぺん途絶えると、復活するにはものすごいパワーが必要だ。
「続ける」ために「頑張る」というのは、とても大事なことだ。
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