サイモン・ラトル指揮、ロンドン交響楽団のコンサート
サントリーホール 2018.9.25
曲目
ヘレン・グライム 「織りなされた時間」
グスタフ・マーラー 交響曲第9番
アンコールなし
若干空席がある。9割くらいの客の入り
去年のラトル×ベルリンフィルはほぼ満席だったので、ベルリンフィルとロンドン響の人気の違いかもしれない
前にも書いたけど映画音楽っ子の私にとってはベルリンフィルよりロンドン響の方がはるかに思い入れの強いオケだ。
スターウォーズはじめとしたジョン・ウィリアムズとのコラボはもはや映画界の伝説だ
実はジェームズ・ホーナーも何度も使った
映画ファンにとってクラシックへの架け橋となってくれたオケだ
ベルリンフィルを勇退したラトルがロンドン響の芸術監督に就任して初の来日コンサート
19時の開演時刻になり、小柄でもじゃもじゃ頭のラトルが登場。
1曲目はヘレン・グライムの「織りなされた時間」というやつで、作曲家はまだご存命のいわゆる現代クラシックというやつなのだが、これがさっぱりわからん曲で、しかも3楽章でトータル30分くらいあってなかなか長い
各楽章の違いもなんだかよくわからない
ところどころジェリー・ゴールドスミスの、「エイリアン」あたりを彷彿とさせるところがあり、なんか異形のものに襲われてるような気分になる曲である
パンフレットの解説を読んだがやっぱりピンと来ない
とは言えこういう曲でも情熱的に振り続けるラトルの守備範囲の広さ
音と音のタイトル通りに織りなされていく感じ、しかもオーケストラによって紡がれていき未知の世界に誘う感覚は心地悪くはなかった
まあ、でも普通にモーツァルトでも演奏してくれた方が満足したとは思いますが…
古典的なクラシック音楽だけでなく、様々な音楽を演目に取り入れたいというラトルの意向が強く出ているプログラムである
休憩となるが、ハープの方が次の演目「マーラー9番」の出だしのところ練習してるのが楽しかった
そしてプログラムの目玉である「マラ9」が始まる
最初の曲の摩訶不思議感に比べるとちゃんとメロディのある安心感ったら
しかしだ
このマーラー9番というやつも、なかなかの難曲なのである
7番、8番、大地の歌ほどではないが、聴く方のエネルギーも吸い取られてしまうような難しさがある
5番あたりから始まるマーラーの「悩みすぎ」が頂点に達した感のある7、8、大地を経て、何か回答を見出した感のある楽曲で、マーラー交響曲の有終の美という感じはする9番である
第一楽章がアダージョで始まって第四楽章もアダージョで終える変わった構成は、なんだかマーラーの達観ぶりを感じるのである
派手だけどもがきすぎて空回りしてるような8番なんかよりずっと好きだ
しかし、マラ9は、マーラーの悪い癖もまたこれでもかと強く出ている
各楽章がなんだかクドイ、というか、む、ここで終わらないのか?まだ続くのか?さ、さっきのところで終わっていればよかったのでは…と感じるのが全章にわたって感じられる、乗りすぎて盛りすぎな曲という面も強い。
その傾向は5番以降から顕著で、それでも5番、6番は作曲家としてノリに乗りまくってる時期なのでクドさも力強さに変わって心地よいのだ
悩みは消えたが、クドい自分も受け入れた開き直りが感じられるのが9番だ
1番と4番はそんなマーラーにとって奇跡のように、全楽章が長さも構成もちょうどよく収まっていて、マーラー初心者に勧めやすい
んでやっぱ4番、5番、6番がマーラー交響曲の花形でテンション上がる曲
9番はマーラーのセルフアンサーミュージックにして、変な境地に行っちゃって客のことはあんまり考えていない曲だ
だからこそ、指揮者とオケの資質が問われる演目なのだ。
サイモン・ラトルはお客さんの事など構わずに自分の世界に没入していた。
4楽章が終わりに1分くらい無音を続けて余韻を演出する時の微動だにしないラトルの姿
どの楽章も入っちゃってるなーという憑依系の指揮っぷりは、私なんかは完全に置いてきぼりを食らった感じで、そうした切なさを感じるのも実はマーラーの醍醐味だ
ラトルの指揮は良かった
とっちらかってる感はラトルのせいでなく、マーラー9番の特性だ
そうだ、この曲は死も含めた生をすべて受け入れた音楽なのだ
その境地にいつか達したいと、自分の伸びしろを感じる曲だ
アンコールは無いが、ラトルはやたら何度もステージに出たり戻ったりを繰り返して、名残惜しそうだった
マーラーは疲れるからアンコールする余力残ってないんだろう
自分が持ってるマラ9はバーンスタイン×ベルリンフィルという珍しい組み合わせの演奏
バーンスタインも1番あたりで聴かせた情熱のエンターテイナーぶりは何処へやら、静かに内に内にと響かせるような演奏だった
その昔フルトヴェングラーが、ナチスによるユダヤ音楽禁止令の直前にマーラー9番でタクトを振ったらしい。録音は残ってないが。激情家フルトヴェングラーはどんな演奏をしたのだろう
ともかく、至福と無情のマーラー体験だった
いつかコンサートで聞いてみたいマーラーは
大好きな2番。そして異様に長い3番チャレンジもしてみたい
どれもエネルギー吸い取られてヘトヘトになるマーラーなので、ゆるーい4番で元気をもらうのも楽しそうだ
サントリーホール 2018.9.25
曲目
ヘレン・グライム 「織りなされた時間」
グスタフ・マーラー 交響曲第9番
アンコールなし
若干空席がある。9割くらいの客の入り
去年のラトル×ベルリンフィルはほぼ満席だったので、ベルリンフィルとロンドン響の人気の違いかもしれない
前にも書いたけど映画音楽っ子の私にとってはベルリンフィルよりロンドン響の方がはるかに思い入れの強いオケだ。
スターウォーズはじめとしたジョン・ウィリアムズとのコラボはもはや映画界の伝説だ
実はジェームズ・ホーナーも何度も使った
映画ファンにとってクラシックへの架け橋となってくれたオケだ
ベルリンフィルを勇退したラトルがロンドン響の芸術監督に就任して初の来日コンサート
19時の開演時刻になり、小柄でもじゃもじゃ頭のラトルが登場。
1曲目はヘレン・グライムの「織りなされた時間」というやつで、作曲家はまだご存命のいわゆる現代クラシックというやつなのだが、これがさっぱりわからん曲で、しかも3楽章でトータル30分くらいあってなかなか長い
各楽章の違いもなんだかよくわからない
ところどころジェリー・ゴールドスミスの、「エイリアン」あたりを彷彿とさせるところがあり、なんか異形のものに襲われてるような気分になる曲である
パンフレットの解説を読んだがやっぱりピンと来ない
とは言えこういう曲でも情熱的に振り続けるラトルの守備範囲の広さ
音と音のタイトル通りに織りなされていく感じ、しかもオーケストラによって紡がれていき未知の世界に誘う感覚は心地悪くはなかった
まあ、でも普通にモーツァルトでも演奏してくれた方が満足したとは思いますが…
古典的なクラシック音楽だけでなく、様々な音楽を演目に取り入れたいというラトルの意向が強く出ているプログラムである
休憩となるが、ハープの方が次の演目「マーラー9番」の出だしのところ練習してるのが楽しかった
そしてプログラムの目玉である「マラ9」が始まる
最初の曲の摩訶不思議感に比べるとちゃんとメロディのある安心感ったら
しかしだ
このマーラー9番というやつも、なかなかの難曲なのである
7番、8番、大地の歌ほどではないが、聴く方のエネルギーも吸い取られてしまうような難しさがある
5番あたりから始まるマーラーの「悩みすぎ」が頂点に達した感のある7、8、大地を経て、何か回答を見出した感のある楽曲で、マーラー交響曲の有終の美という感じはする9番である
第一楽章がアダージョで始まって第四楽章もアダージョで終える変わった構成は、なんだかマーラーの達観ぶりを感じるのである
派手だけどもがきすぎて空回りしてるような8番なんかよりずっと好きだ
しかし、マラ9は、マーラーの悪い癖もまたこれでもかと強く出ている
各楽章がなんだかクドイ、というか、む、ここで終わらないのか?まだ続くのか?さ、さっきのところで終わっていればよかったのでは…と感じるのが全章にわたって感じられる、乗りすぎて盛りすぎな曲という面も強い。
その傾向は5番以降から顕著で、それでも5番、6番は作曲家としてノリに乗りまくってる時期なのでクドさも力強さに変わって心地よいのだ
悩みは消えたが、クドい自分も受け入れた開き直りが感じられるのが9番だ
1番と4番はそんなマーラーにとって奇跡のように、全楽章が長さも構成もちょうどよく収まっていて、マーラー初心者に勧めやすい
んでやっぱ4番、5番、6番がマーラー交響曲の花形でテンション上がる曲
9番はマーラーのセルフアンサーミュージックにして、変な境地に行っちゃって客のことはあんまり考えていない曲だ
だからこそ、指揮者とオケの資質が問われる演目なのだ。
サイモン・ラトルはお客さんの事など構わずに自分の世界に没入していた。
4楽章が終わりに1分くらい無音を続けて余韻を演出する時の微動だにしないラトルの姿
どの楽章も入っちゃってるなーという憑依系の指揮っぷりは、私なんかは完全に置いてきぼりを食らった感じで、そうした切なさを感じるのも実はマーラーの醍醐味だ
ラトルの指揮は良かった
とっちらかってる感はラトルのせいでなく、マーラー9番の特性だ
そうだ、この曲は死も含めた生をすべて受け入れた音楽なのだ
その境地にいつか達したいと、自分の伸びしろを感じる曲だ
アンコールは無いが、ラトルはやたら何度もステージに出たり戻ったりを繰り返して、名残惜しそうだった
マーラーは疲れるからアンコールする余力残ってないんだろう
自分が持ってるマラ9はバーンスタイン×ベルリンフィルという珍しい組み合わせの演奏
バーンスタインも1番あたりで聴かせた情熱のエンターテイナーぶりは何処へやら、静かに内に内にと響かせるような演奏だった
その昔フルトヴェングラーが、ナチスによるユダヤ音楽禁止令の直前にマーラー9番でタクトを振ったらしい。録音は残ってないが。激情家フルトヴェングラーはどんな演奏をしたのだろう
ともかく、至福と無情のマーラー体験だった
いつかコンサートで聞いてみたいマーラーは
大好きな2番。そして異様に長い3番チャレンジもしてみたい
どれもエネルギー吸い取られてヘトヘトになるマーラーなので、ゆるーい4番で元気をもらうのも楽しそうだ