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映像作品とクラシック音楽 第40回 「伊福部昭SF交響ファンタジー第一番」にかこつけて『メカゴジラの逆襲』を語る

2021-10-27 22:34:24 | 映像作品とクラシック音楽
お疲れ様です。クラシック音楽の印象的な映像作品を語るシリーズ。今回は伊福部昭のSF交響ファンタジーと、そこから派生しての昭和ゴジラシリーズの最終作にして悲しみとやるせなさ溢れる傑作『メカゴジラの逆襲』について語ります。伊福部ファンと怪獣ファン向けの内容です。


伊福部昭によるSF交響ファンタジーは1983年に初演されました。この初演のライブ録音のアルバムは持っております。中学のころから何度も何度も聞き続けている名盤です。持っているのはCDではなくLPで、今聞いているのは、それをさらにカセットテープに録音し、そこからさらにMP3に落としたものですが。

ところで今気が付いたのですが、「SF交響ファンタジー」の「SF」って、ずっと「Science Fiction」のことだと思ってましたが、あれホントは「交響ファンタジー」を英語にした「Symphonic Fantasia」の頭文字なんですかね?
『ER 緊急救命室』とか『SR サイタマノラッパー』とか『T2:ターミネーター2』みたいな使い方ってことでいいんでしょうか!?


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SF交響ファンタジー第一番の出だしは、有名なゴジラ出現のモチーフで始まります。
『キングコング対ゴジラ』(1962)で初めて使われ、以降伊福部昭がゴジラ映画の音楽をやる場合の定番曲となりました。
『モスラ対ゴジラ』(1964)で、干拓地の黄色い砂の中からのそりと体を起こして、体をぶるっと震わせて砂を払い落とす…ゴジラスーツアクター中島春雄さんの名演が脳裏によみがえります。
曲は弦による短い接続部をはさんで、これまた有名な「『ゴジラ』(1954)メインタイトルテーマ」に移行します。私は勝手に「ゴジラ、ゴジラ、ゴジラの子はミニラ、ゴジラ、ゴジラ、ゴジラの敵モスラ」などと歌詞をつけて歌います。音符が「ドシラドシラ」だったりもしますし、オケのメンバーが「ゴジラゴジラゴジラが現れた」などとうたっていたという証言もあるようです。

そんな話はさておき、この曲はいまでこそ「ゴジラのテーマ」、つまり怪獣ゴジラ君のキャラクターを描写するテーマとして認知されています。ハリウッド版『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』や、スピルバーグ監督の『レディ・プレーヤー・ワン』のメカゴジラ登場シーンでも鳴り響きました。(レディプレに関しては佐藤勝のメカゴジラテーマ使えよ!と思ったりもしますが、それは置いといて)
しかしこのテーマ、SF交響ファンタジーが初演された1983年において、怪獣ゴジラ君のテーマだったのか?…というと実は微妙なのです。

私は最初にわざわざ「『ゴジラ』(1954)メインタイトルテーマ」と書きました。1954年公開の映画『ゴジラ』でこの曲は怪獣ゴジラ君を描写するテーマとしては使われておりません。ゴジラがビルを壊し、船を沈め、街を焼くシーンには使われていません。
メインタイトルバックの曲として、また劇中では自衛隊の出動シーンや、自衛隊とゴジラの交戦シーンに使われており、むしろ自衛隊のテーマ的扱いでした。(「伊福部怪獣行進曲」という伊福部怪獣音楽ベスト盤的アルバムでも「対ゴジラマーチ」として、人類側の戦いを彩る音楽として収録されています)

そして1954年『ゴジラ』以降ゴジラ映画は14作、ゴジラの出ない怪獣映画もたくさん作られましたが、それら昭和の東宝特撮映画でこの曲はしばらく使われませんでした。
ついにまたあのテーマが聞こえたのは1975年の『メカゴジラの逆襲』だったのです。つまり21年間「ゴジラ、ゴジラ、ゴジラが現れた」の曲は使われていないのです。
ようやく聞こえた1975年の『メカゴジラの逆襲』では、文字通りゴジラのテーマとして、怪獣ゴジラ君のテーマとして使われます。ただし『メカゴジラの逆襲』におけるゴジラ君は、子供の味方、人類の味方の正義の怪獣で、悪い宇宙人の侵略メカであるメカゴジラと戦うのです。ゴジラ君は子供たちの「ゴジラ助けて」の叫びに応えるようにして、ゴジラのテーマにのって登場します。そしてこの曲をバックに悪の怪獣メカゴジラとチタノザウルスの二頭と戦うのです。
人類のために戦う者のテーマという意味では、1954年『ゴジラ』と1975年『メカゴジラの逆襲』でのあの曲の使い方には統一感があります。

ちなみに人類の敵となったゴジラ君のテーマとしてあの曲が最初に使われたのは、1989年の『ゴジラVSビオランテ』でした。この作品の音楽担当はすぎやまこういち氏でした。私なんかはどうして正義のテーマをこういう使い方するのだろうと思ったのですが、なんとなく89年ごろにはゴジラと言えばあの曲!という空気があったような気がしなくもないです。あるいはSF交響ファンタジー第一番にすぎやま氏が影響されたのかもしれません。
平成ゴジラ(ファンはVSシリーズと呼んだりしますが)の音楽担当が伊福部昭御大にもどったビオランテの続編『ゴジラVSキングギドラ』では、伊福部氏自身があの曲を、人類の敵ゴジラを描写するテーマとして使ったのですから、もうあれはまぎれもなく「ゴジラのテーマ」となりました。

話は逸れますが、昭和34年を舞台にした映画『ALWAYS 続・三丁目の夕日』(2006年作品)で、ゴジラ登場シーンに伊福部音楽が使われます。SF交響ファンタジー第一番のように、重低音のゴジラ登場モチーフから曲が始まり、ゴジラが三丁目を蹂躙する場面ではゴジラのテーマがかかります。ですがゴジラ出現モチーフの初登場は前述したように昭和37年の『キングコング対ゴジラ』なので、この曲の使い方は明確に歴史的事実に反していますし、ゴジラの破壊シーンで「ゴジラゴジラゴジラが現れた」がかかるのもこの昭和34年設定におけるこの曲の解釈から言って間違っていると思います。

ちなみのちなみに、ゴジラのテーマは、伊福部昭の純音楽にもよく顔を出すメロディですし、映画音楽としても『ゴジラ』より前の1948年作品『社長と女店員』のテーマとして使われていたりします。

『社長と女店員』のテーマ↓
OGPイメージ

『ゴジラ(1954)』の原曲?

昭和23年公開の松竹映画「社長と女店員」のOPです。 「ゴジラ(昭和29年)」より6年前のこの喜劇映画に、ゴジラのあの曲の元があったとは驚き...

youtube#video

 


なので伊福部昭的には1954年『ゴジラ』においては、誰それのテーマというよりは単に自分の持ち歌を再利用したに過ぎないのかもしれません

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さて、話は『メカゴジラの逆襲』になります。

『メカゴジラの逆襲』(1980年作品)は昭和ゴジラシリーズの最終作で、ゴジラ人気も落ちて、予算も少なくなり、言ってみればシリーズ打ち切りが決まった作品と言えます。1954年『ゴジラ』を監督した本多猪四郎監督の、監督としての最後の作品です。(これ以降は本多監督は黒澤明監督作品を演出補佐として支えるようになります。)
しかし、私はこの作品は大傑作だと思っています。今見返してみるとこれは悲しみばかりが溢れる異色のゴジラ映画でした。
宇宙人によってアンドロイドにされてしまった女性、真船桂の悲しみの物語であり、桂の父親で学界を追放され人間への復讐に燃える科学者の真船博士が何もかも失う悲しみの物語です。博士は終盤宇宙人の基地に乗り込んで捕まる主人公に「なにもかも遅すぎた」と虚ろな目で話します。
博士が発見した恐竜で、桂の脳波を通してリモートコントロールされるチタノザウルスもまた、本来は善良な恐竜なのに宇宙人によって侵略兵器として利用される悲しみがあります。
同じく桂によってコントロールされるメカゴジラも、ただの感情を持たないロボットのはずが、博士や桂の負の感情の権化に見えてきます。彼女はメカゴジラを倒すために自己破壊の道を選びますが、主人公の青年は機能停止寸前の桂を抱きしめ、「たとえアンドロイドだろうと僕は君が好きだ」と語ります。ウルトラセブン最終回の逆パターンです。しかしもはや桂を救うすべはありません。
一番悲しいのは博士です。彼は愛した娘も、自分の研究者人生の全てだったチタノザウルスも失い、挙句自らの命も失います。
演じているのはゴジラ映画でおなじみ平田昭彦です。人類への恨み怒りを語る醜い姿とは裏腹に、その最期には胸をかきむしられます。平田昭彦は1954年『ゴジラ』では自らを犠牲にしてゴジラを葬る芹沢博士を演じました。昭和ゴジラ最終作でも科学者を演じる彼はまさにゴジラ東宝特撮とともに生きた役者でした。
1954『ゴジラ』では善人でしたが、以降の作品では悪役も多いです。
自説を否定され、宇宙人の側につく科学者という点で、平田昭彦が『地球防衛軍』で演じた科学者に相通じる部分を感じます。しかし、『地球防衛軍』では宇宙人に利用されていた己の過ちに気付いて、自らを犠牲にして(平田昭彦はこのパターン多いですね)宇宙人の基地を爆破したことで、最後に魂が救済されていました。
ですが『メカゴジラの逆襲』の真船博士には魂の救済すら与えられません。彼は復讐の鬼と化すことで文字通りなにもかも失うのです。この映画は怪獣を含めひたすら全人物が悲しい最後を遂げます。
チタノザウルスは操られていただけで、桂が死ぬことで大人しい恐竜に戻ったはずなのに、ゴジラは容赦なく熱線を浴びせて始末します。
ゴジラですら戦いの後は夕日の太平洋の中を1人寂しく、相棒のアンギラスも悪友のラドンもいない中で帰って行きます。勝利はしたが虚しさしか残っていないような余韻。
これが昭和ゴジラの最終作であり、本多猪四郎の監督としての最後の作品となった事も合わせて、やるせなさに満ち溢れた重く悲しい唯一無二の怪獣映画の傑作なのです。しかしその絶望的な雰囲気ゆえに、過小評価されている感があります。

伊福部音楽に話を戻しますと、1970年『ゲゾラ・ガニメ・カメーバ 決戦! 南海の大怪獣』以来しばらく怪獣映画から遠ざかっていた伊福部昭が、やはりしばらくぶりに怪獣復帰する本多猪四郎演出の映画で久しぶりに新曲を沢山披露しました。伊福部によるメカゴジラのテーマもチタノザウルスのテーマも素晴らしいです。

思えば1954年『ゴジラ』のテーマの再使用、1954年『ゴジラ』の監督、1954年『ゴジラ』の作曲家、1954年『ゴジラ』の科学者役がまた科学者役として出演など…昭和ゴジラの原点に携わった人たちによる、斜陽化した怪獣映画への挽歌のような趣きがあるのも『メカゴジラの逆襲』の魅力です。

そんなところでまた、素晴らしいクラシック音楽と映像作品でお会いしましょう!!

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