百歳に向ってもう一度 歩いて世界一周 3月22日 曇
八月六日、何用だったか思い出せないが、聯隊本部に行く途中でスピーカーからラジオ放送が流れた。立ち止まって聞くと、「広島に特殊爆弾が投下された。被害について只今調査中…」という。私は愕然とした。
特殊爆弾とは《原子爆弾》のことだと悟った。私は共立講堂で仁科博士から原子爆弾の講演を聞いて、原子爆弾をアメリカに投下すれば敵は手を挙げる。その爆弾は間もなく仁科博士が完成する。日本が勝てるのだ、と私は確信していたのだ。それが逆にアメリカに先を越されたのだ。万事窮すだ。もう敵に勝つ手段は無くなった。あとは《玉砕》あるのみ。中隊に戻っても一切口にしなかった。
《部隊はこれより展開する》という指示がなされた。何日かして広島に投下されたのは原子爆弾で、松本に落とされれば、松本の部隊は全滅する。そこで聯隊を管理するものを除いて山間部の小学校に移転することになった。私はまた例によって《留守番》に指名されて残った。
百歳に向ってもう一度 歩いて世界一周 3月22日
日数「日」 |
総歩数(歩) |
総距離(m) |
平均歩数(歩 |
|
今 日 |
1 |
20,636 |
14,445 |
|
今 月 |
22 |
523、007 |
366,105 |
23,773 |
今 年 |
81 |
1,887,346 |
1,321.142 |
23,301 |
2005年から |
3,695 |
56,358,591 |
39,451,014 |
15,253 |
70歳の誕生から |
7,227 |
138,308,722 |
96,816,105 |
19,138 |
ワシントンからアメリカ大陸横断へ、デンバーに向って後 1,508,096m