百歳に向ってもう一度 歩いて世界一周 3月6日 晴
帰休除隊して20日余り白紙の召集令状が来た。帰休兵衛生2等兵現役復帰を命ず、と。除隊してから20日余り。結果的には”長期の外泊”となってしまったが、戦局はガダルカナル島撤退以来連合軍の反攻にアッツ島玉砕・キスカ島撤退の悲報相次ぎ、昭和19年7月にはサイパン島、20年3月には硫黄島も攻略されて、本土がB29の空爆範囲になり、いよいよ本土決戦が現実味を帯びてきた。
本土死守を決意しての大動員、松本部隊は増員して3分割、聯隊長は護澤部隊を率いて千葉海岸に、一隊は松代大本営守備のために結成された長野師団に、そして私は補充隊として松本に残された。
私の所属は通信中隊、医務室の事務室勤務。連合軍の関東平野上陸ともなれば《信濃1号》の作戦命令が発令され、”薬剤行李”を担う事が決められた。
”薬剤行李”といっても聯隊の医薬品から傷病兵介護用品一切の管理をする役目。土蔵3棟に保管中。最後はアルプス山中でのゲリラ戦まで。玉砕覚悟の《万歳突撃》も覚悟していた。
でも毎日、朝、通信中隊から医務室の事務室に通う身。両袖の机に座って衛生管理の事務。何のことは無い、兵隊さんに守られて、事務を執るサラリーマンと言うところ。1にヨーチン2にラッパと云われる軍隊では一番楽な稼業。私の主な仕事は、召集で入隊したものの健康検査をして、欠格者を”即日帰郷”させ、師団司令部へ報告すること。
百歳に向ってもう一度 歩いて世界一周 3月6日
日数「日」 |
総歩数(歩) |
総距離(m) |
平均歩数(歩 |
|
今 日 |
1 |
25,860 |
18,102 |
|
今 月 |
6 |
152,750 |
106、925 |
25,458 |
今 年 |
65 |
1,517,089 |
1,061,834 |
23,340 |
2005年から |
3,679 |
55,988,334 |
39,173,732 |
15,218 |
70歳の誕生から |
7,211 |
137,938,465 |
96,556,926 |
19,129 |
ワシントンからアメリカ大陸横断へ、インディアンポリスに向って後 5,166m