ジャーナリスト活動記録・佐々木奎一

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Kodak“先駆者のジレンマ”で破綻

2012年02月27日 | Weblog

 


2012年1月20日、auのニュースサイト EZニュースフラッシュ増刊号

 「朝刊ピックアップ」で記事 
 
「コダック“先駆者のジレンマ”で破綻」
 
を企画、取材、執筆しました。
 
 
 
 キーワードは「寿命」。

  

 けさの各紙は、アメリカの写真フィルム大手「イーストマン・コダック」(以下、コダック)が破綻したことを大々的に報じている。これによるとコダックは19日付で、米連邦破産法11条(日本の民事再生法に相当)の適用を裁判所に申請したという。破産法の対象は米コダック本社と米国内の子会社。日本の子会社は含まれていない。コダックは今後、裁判所の管理下で再建を目指すという。

 コダックが人類に残した功績は大きい。「世界を変えた6人の企業家 コダック ジョージ・イーストマン」(著: ピーター・ブルーク・ボール/訳: 常盤新平/岩崎書店刊)によると、コダックの創業者ジョージ・イーストマンが、初めて写真に興味を持ったのは24歳の時。実に今から134年前の1878年だった。イーストマンはカリブ海に浮かぶ島に旅行に行くことになり、職場の同僚たちにカメラを持っていって記録に残すようすすめられた。そこでイーストマンは写真機材一式を購入した。「よもや、この買い物が彼の将来を決定づけることになるとは知るよしもなかった」という。 

 このとき買い込んだ機材は、なんと荷馬一頭分。当時の写真撮影には、現像に使う暗室用テントやトレー、化学薬品をつめた瓶類、水差し、頑丈な三脚といった大がかりな撮影用具が必要だったためだ。当時は撮影に20分以上も時間がかかり、撮影技術も必要だったので、イーストマンは一から習い、次第に写真に熱中していった。そのなかで、道具の扱いにくさや撮影方法に不満を感じるようになり、自分で研究し始めたという。昼間は勤め先で働き、夜は台所を即席の研究室にして実験を重ね、疲れきって服もぬがずに台所のスト―ブのかたわらで眠りこんでしまうこともしょっちゅうという日々を送り、2年がかりで撮影に使う乾板用の感光剤の製法を編み出し、特許を取得。そして1880年に会社を立ち上げた。 

 1888年には小型カメラ「コダック」を発売。「あなたはシャッターを押すだけ、あとは当社におまかせください」というキャッチフレーズで、現像処理などの面倒な作業は会社が請け負うことにし、カメラの大衆化をはかった。1900年には、定価1ドルのカメラ「ブローニー」を販売。1914年には、これまでの白黒から赤と緑の2色のフィルム「コダクローム」を開発。 

 1932年にイーストマンが死去。その後、同社は1935年にカラーフィルムの製造に成功。1963年にはインスタマチックカメラを販売。こうして1960年代には、全世界の従業員数10万人を突破したという。 

 まさに世界のカメラ市場をけん引してきた巨大企業が破綻したわけである。その理由は、各紙によると、写真フィルムからデジタルに時代が急速に移り変わる中で、コダックの対応が遅れたため、と分析している。たとえば日本経済新聞は「同社の破綻は、特定の製品や事業モデルで成功しすぎたゆえに、次の波をつかみ損ねる『イノベーター(先駆者)のジレンマ』の典型(略)デジカメを世界で初めて開発したのもコダック。だが、高収益のフィルム事業に固執し、商品化ではソニーやカシオ計算機など日本勢の先行を許した」と記している。 

 企業にも寿命がある。コダックは寿命を迎えたのかもしれないが、道を開いた偉功は不滅である。

 


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