ジャーナリスト活動記録・佐々木奎一

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結婚式、葬式…冠婚葬祭の“重過ぎる負担”

2012年05月07日 | Weblog

 2012年4月9日、auのニュースサイト EZニュースフラッシュ増刊号

「朝刊ピックアップ」で記事

「結婚式、葬式…冠婚葬祭の“重過ぎる負担”」
 
を企画、取材、執筆しました。
 
 
 
 キーワードは「冠婚葬祭」。

 

 7日付の読売新聞朝刊に「戒名『必要ない』56% 冠婚葬祭『簡素に』9割」という記事がある。これによると、同紙のアンケート調査では、自分の葬式を仏教式で行う場合、戒名(法名)が『必要ない』と答えた人は56%で、『必要だ』の43%を上回ったという。

 また、冠婚葬祭を簡素に行う方がよいか、盛大に行う方がよいかを個別に聞くと、「簡素に」との答えは「法要」96%、「葬式」92%、「結婚式・披露宴」84%などいずれも90%前後に達した、とある。

 高額な儀式費用が庶民の両肩にズッシリと重くのしかかっていることを示しているといえよう。

 そもそも戒名とは、死者に対して与えられる法名を指す。戒名の価格は、寺ごとに千差万別で“ブラックボックス”の面があるが、葬式事業もおこなうイオンの相場では、「信士信女」の普通戒名25万円、「居士大姉」40万円、「院号居士大姉」55万円。

 また、「葬式一式」(飲食接待、寺院費用を含む)にかかる金額は199万8,861円に上るという。(2010年10月の日本消費者協会調べ)

 なお、作家で歴史家の司馬遼太郎氏の著書「街道をゆく24 奈良散歩」(朝日新聞出版刊)によると、「仏教は、本来、葬儀をするための宗教ではなかった」という。釈迦についても葬儀が営まれたという話はない。東大寺が建立された奈良時代(710年~784年)は、仏教は生者のものだった。このため、東大寺では創建以来の精神が息づいていて、葬儀はやらないという。

 「葬儀は寺と僧がやるもの」という風儀が一般化したのは、各宗派が寺を持ち、既成教団化していく室町時代(1336年~1573年)に入ってからだという。

 戒名が一般化したのも江戸時代になってからで、その目的は、「寺院経営のためのもので、仏教とは無縁のものといっていい」「戒名というようなばかばかしいものは、聖武皇帝も(略)頼朝もついていない」などと批判している。歴史に精通している人物の言だけに示唆深い。

 一方、結婚情報誌「ゼクシィ」(リクルート刊)の「結婚トレンド調査2010」によると、全国平均の「挙式、披露宴・披露パーティーにかかった費用」は325万7千円。ほかに婚約指輪34万3千円、新婚旅行49万3千円など「結納・婚約から新婚旅行」までに総額423万1千円かかっているという。

 そもそも戦後の日本人は、「新生活運動」といって、冠婚葬祭の簡素化などの運動をしてきた。当時の結婚式は、幾日にもわたって祝宴が行われたり、嫁入り道具にお金がかかったり、身分の違いが問題にされるなどの問題を抱えていたためだ。そうした点を改善するため、安価な会費制にして、慎ましく公民館で式を行ってきた。

 しかし、高度経済成長期でバブルに入った頃から、派手でショー型の結婚式が目立つようになった。(「月刊自由民主」1987年12月号より)

 この形をいまだに引きずっているわけだが、景気が低迷した現在、結婚する方も、祝儀を出す方も、負担が重くなってきている。こういう時だからこそ、貧しいなか復興の道を歩んだ戦後日本の風景を思い返す必要があるのではないか。(佐々木奎一)


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