ジャーナリスト活動記録・佐々木奎一

※ブログ下記移転しました(2015年7月以降)
http://ssk-journal.com/

山手線であわや大惨事…柱倒壊事故

2015年04月19日 | Weblog

 平成二十七年四月十三日付、auの「朝刊ピックアップ」で記事 

 「山手線であわや大惨事…柱倒壊事故」

 を企画、取材、執筆しました。

 

 けさの各紙は「山手線ストップ『大惨事回避は偶然』」(産経新聞)、「『列車来れば当たった』」(朝日新聞)といった見出しで報じている。

 これによると、昨日12日(日曜)午前6時10分頃、JR山手線神田-秋葉原間の線路脇で、架線を支える柱が倒れているのを電車の運転士が見つけた。その約1分前に電車が通過し、約3分後にも通過予定で、衝突事故、脱線事故につながる恐れもあった。

 JR東日本は復旧作業のため、山手線と京浜東北線の一部区間で9時間以上にわたり運転を見合わせた。この事故により計715本が運休し、約41万人に影響が出た。

 なお、同社が異常を初めて認識したのは、2日前の10日夜の、架線設備工事でのこと。「支柱は肉眼でわかるほど傾いていた。だが1987年の同社発足以降、地震以外で支柱が倒壊したことはなく、現場の社員は、すぐに倒れる可能性は低いと判断。作業員の手配がつく13日に撤去すればよいと決めた」(朝日新聞)。さらに前日の「11日午後8時ごろにも、現場近くを通った列車の運転士が、支柱の傾きを指摘した。この報告が12日午前2時には工事担当部署に伝わったが、ここでも4時間50分ごろの山手線の始発列車に職員を乗せ、現場の傾きを確認するにとどめた。重さ1.3トンの支柱は、その約1時間20分後に倒れた」(同紙)。

 会見したJR東日本の常務によると、「仮に夜間に支柱が倒れていた場合、始発電車の運転士が暗い中で目視で発見し、停車できていたかどうかは何ともいえない」と言ったという。大事故にならなかったのは偶然でしかなかったのだ。

 ちなみに、JR東日本は03年に国交省から業務改善命令を受けたことがある。そのきっかけとなった事故も、日曜日に勃発した。それは03年9月28日のこと。前日夕方から、中央線の高架化に伴う線路切り替えの大規模工事で、三鷹-国分寺間は運行停止となり、翌28日の午前6時過ぎに運行再開の予定だった。がしかし、武蔵小金井駅構内でポイント(列車が進む方向を決める装置)や踏切保安装置の故障が相次ぎ、工事現場は10時間近くにわたってパニック状態に。運行再開は午後2時近くにズレ込み、列車の運休本数だけで234本、18万人が足止めを食った。しかも、代行バスの運行を午前9時過ぎに打ち切ったため、中央線の各駅は日曜日の行楽予定を台なしにされた乗客であふれ返った。(週刊東洋経済04年1月10日号より)

 JRは2週間前の社内検査で、一部の試験がまだ終わっていなかったにもかかわらず、本番に向けての作業は完了したと認定していた。「しかし、その甘い判断」が、後に禍根を残した。(同誌)

 さらに、この事故の翌月には、京浜東北線で、施工会社が線路内に置き忘れた鋼鉄製ショベルに始発電車が衝突。ケガ人こそ出なかったが、通勤ラッシュを急ぐ13万人の足を直撃という事態に。これを受け、国交省が事業改善命令を出すに至った。

 このように、事故というのは、往々にして連鎖する。

 よく1件の重大事故の裏に、29件の軽傷事故、300件のヒヤリとする無傷事故がある、とよくわれる。これを「ヒヤリハット」という。

 昨日の山手線の事故では、現場の運転士などが再三、柱の傾きを指摘したのに、JR社内では「すぐに倒れる可能性は低い」との甘い判断を下して漫然と放置していた。この危機意識のない体質からみて、今回の事故は氷山の一角で、実は膨大なヒヤリハットが潜んでいるのではないか、と疑わざるを得ない。よっぽど気を引き締める必要がある。(佐々木奎一)


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。