ジャーナリスト活動記録・佐々木奎一

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日記 トランスレーション

2015年01月17日 | Weblog

 サザンオールスターズが紅白で謳ってたピースとハイライトの歌詞を改めて読んで、司馬遼太郎氏の言葉を連想した。
 
 司馬遼太郎氏は、1991年、亜細亜大学での講演で、トランスとは、通過する、という意味がある、シャーマン、神降ろし、は、身体に神が通過する、ということ、これをトランス状態という、と前置きして、こう語っている。(新潮CD「司馬遼太郎が語る 第六集 私ども人類」より)

 「トランスレーションという言葉は英語にありませんが、仮に使うとして、ある国民が、他の国民のことを思えば、その身体の中に一時だけでも他の国民が通過する。それができれば、他の国は実によく理解できますな。もし自分が、在日韓国人に生まれていれば、どうだったろう。もし中国人に生まれていれば、どうだったろう。こういう苦しさがあるだろうとか、ああだろう、とか。これは訓練によって簡単にトランスレーションが行われて、よく理解できると思うんです。(略)

 他の国を理解するために、知識は必要ですが、知識を頭にとどめておかずに、自分がクルド難民に生まれたらどうだったろう、とか、自分がインドネシア人に生まれていれば、どうだったろう、とかいうことを、知識を総動員しながら、トランス状態を生んで、一分か二分経つと、その気持ちになりますから。

 そうすると、彼らの気持ちだけではなくて、社会情勢、社会状態までが、目に見えるような感じになってきます。これはもう、訓練によるもので、実を言いますと、私の密かなる娯楽であります。

 ただ、その場合に、日本人としてしっかりしていなければ、単なるトランスになるだけで、日本人としてしっかりしていた方がいいですな。

 例えば、私はパリの上流家庭で生まれていたら、どうだったろう、とトランス状態を起こしたところで、空しいもんであります。トランス状態を起こす自分が、日本人として、倫理的にも、精神的にも、骨格がしっかりしている。教養もしっかりしているということで、トランスは効果があるわけであります。  

 かといって、日本人とは何だといいますと、国籍の問題ではなくて、やはり日本人であることを学ぶしかしょうがないんだろう。自分の経験でいうと、学校行っているときに、兵隊さんにとらえられてしまったんです」

 そして、司馬氏は、満州に2年間いたが、敗戦直前に日本に帰ったため、シベリア抑留で雪の中に遺骨が掘り出されるという目に遭わずに、皆さんとおあいしているわけであります、という話からはじまり、弥生時代以降、近現代までの日本の歴史を語りはじめる。

 そして、最後に「クルド人の難民ができたり、在日韓国人が不当に差別されたり、その他、世界に不幸な人があれば、決して、人の身だとは思わずに、自分をトランスの状態にして、彼らの気分になれば、よく理解できます。ただ、自分は日本人だ、ということをお忘れになると、単なる似たような人間になるだけですから。フランス人にトランスするなら、フランス人みたいな人間になるだけですから。要するに、日本人とは何か」


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