2012年3月10日 仕事と休日、そして有給でちょっとした旅行をした。
選んだ地は、東北 宮城そして福島。
まずは宮城県。
震災で大変な被害を受けた県。
同じ観光なら被災地と以前から決めていた。
先ずは多賀城にて食事。
牛タンを美味しくいただいた。
その店は国道45号線沿い。
この通りは、以前YouTubeで、津波に襲われ、多くの方が被災した様子を見たことがある。
お店の方聞いたところ、店員達は屋根に上って津波が引くのを待ったそうだ。
凄い話だと思う。
幸い店は昼休みに入り、客はいなかったそうだ。
その後 塩釜へ。
何度も放送された塩釜の津波。
YouTubeでも載っているが、観ると怖くなる。
港に行ってみた。とても静かな海。

あれが1年前荒れ狂い、ここ塩釜にも大惨事をおこした海なのか?
と思う。
当初、土地勘のない小生は結構復興しているなと思った。
しかし、写真奥を見てみるとあれは市場だったのか、近づいてみると全く壁がない。
骨組みのような建物だった。津波だという。
また、周りをよく見てみると復興してると思っていた所は、
ただ撤去して整地していて、見た目が良くなっていただけのものだった。
地元の方の話を聞くと更地になっている土地は、1年前カマボコ工場が並んでいたそうだ。
当たり前のことだが、復興と撤去は意味が違う。
そして港近くのガソリンスタンド。こちらも再開したのは昨年11月と言うことだ。
大変なことだったと思う。
そして松島へ。
2年前に訪れた地。
その時魅せられ、また訪ねたいと思っていた地。
その時にはこんなことになろうとは思いもしなかった。
松島に向かう道路には、まだ船が道路沿いにあった。
1年前 信じられない光景がこのあたりはいっぱいだったのだろうと想像すると
気持ちが重くなった。
松島の遊覧船乗り場のレストハウス内では、こんな表示があった。

その高さ180cm。
松島の多くの島が津波をブロックしてくれたせいか、周りに比べれば津波の高さは低かったそうだが、
それでも180cm。小生がすっぽり沈む高さ。
レストハウス内のみならず、写真のように町は凄い状況だったようだ。
(地震直後の松島様子=レストハウス内掲示)


レストハウスの職員の方に聞くと、幸い多くの方が、独眼竜が眠る瑞巌寺に避難し、死者は出なかったようだ。
伊達政宗公が守ってくれたのだろうか。
松島と言えば、牡蠣。
2年前に訪れた時にも頂いた。
そして今回、店がやっていたので再び頂いた。
店の方に聞くと、ここら辺のお土産屋さん含め殆どが1Fは浸水してしまい、2Fへ逃れたそうだ。
(復興のシンボル 牡蠣)

とってもおいしい。復活の味だ。
聞けば、大被害を受けた牡蠣の養殖業者は、全部ではないにせよ昨年11月から復活したそうだ。
これは、地元でとれた復活の牡蠣だそうだ。
そう思うと尊い牡蠣だ。
まさに復興のシンボル。
1日も早く震災前の状態に戻れることを願わずにいられない。
小生も被災地に出来ることをこれからもしたいと思う。
そしてまた被災地のどこかを訪ね、素晴らしいところを発見したいと思っている。
選んだ地は、東北 宮城そして福島。
まずは宮城県。
震災で大変な被害を受けた県。
同じ観光なら被災地と以前から決めていた。
先ずは多賀城にて食事。
牛タンを美味しくいただいた。
その店は国道45号線沿い。
この通りは、以前YouTubeで、津波に襲われ、多くの方が被災した様子を見たことがある。
お店の方聞いたところ、店員達は屋根に上って津波が引くのを待ったそうだ。
凄い話だと思う。
幸い店は昼休みに入り、客はいなかったそうだ。
その後 塩釜へ。
何度も放送された塩釜の津波。
YouTubeでも載っているが、観ると怖くなる。
港に行ってみた。とても静かな海。

あれが1年前荒れ狂い、ここ塩釜にも大惨事をおこした海なのか?
と思う。
当初、土地勘のない小生は結構復興しているなと思った。
しかし、写真奥を見てみるとあれは市場だったのか、近づいてみると全く壁がない。
骨組みのような建物だった。津波だという。
また、周りをよく見てみると復興してると思っていた所は、
ただ撤去して整地していて、見た目が良くなっていただけのものだった。
地元の方の話を聞くと更地になっている土地は、1年前カマボコ工場が並んでいたそうだ。
当たり前のことだが、復興と撤去は意味が違う。
そして港近くのガソリンスタンド。こちらも再開したのは昨年11月と言うことだ。
大変なことだったと思う。
そして松島へ。
2年前に訪れた地。
その時魅せられ、また訪ねたいと思っていた地。
その時にはこんなことになろうとは思いもしなかった。
松島に向かう道路には、まだ船が道路沿いにあった。
1年前 信じられない光景がこのあたりはいっぱいだったのだろうと想像すると
気持ちが重くなった。
松島の遊覧船乗り場のレストハウス内では、こんな表示があった。

その高さ180cm。
松島の多くの島が津波をブロックしてくれたせいか、周りに比べれば津波の高さは低かったそうだが、
それでも180cm。小生がすっぽり沈む高さ。
レストハウス内のみならず、写真のように町は凄い状況だったようだ。
(地震直後の松島様子=レストハウス内掲示)


レストハウスの職員の方に聞くと、幸い多くの方が、独眼竜が眠る瑞巌寺に避難し、死者は出なかったようだ。
伊達政宗公が守ってくれたのだろうか。
松島と言えば、牡蠣。
2年前に訪れた時にも頂いた。
そして今回、店がやっていたので再び頂いた。
店の方に聞くと、ここら辺のお土産屋さん含め殆どが1Fは浸水してしまい、2Fへ逃れたそうだ。
(復興のシンボル 牡蠣)

とってもおいしい。復活の味だ。
聞けば、大被害を受けた牡蠣の養殖業者は、全部ではないにせよ昨年11月から復活したそうだ。
これは、地元でとれた復活の牡蠣だそうだ。
そう思うと尊い牡蠣だ。
まさに復興のシンボル。
1日も早く震災前の状態に戻れることを願わずにいられない。
小生も被災地に出来ることをこれからもしたいと思う。
そしてまた被災地のどこかを訪ね、素晴らしいところを発見したいと思っている。