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夢の続き・・・

法政大学ラグビー部・旅行・犬・自然を
こよなく愛し、ささやくブログ

運動会とゲリラ戦その① 玉入れ

2010年08月26日 12時29分40秒 | ノスタルジア
1ヶ月くらい前だろうか?
テレビ番組「行列のできる法律相談所」の放送の中で、プロレス団体ノアのプロレスラー4名の方がミャンマーの小学校を訪れ、運動会とプロレスを行う様子が流れた

これまで全く知らなかったのだが、ミャンマーの子供たちは運動会というか、
それらしきものを全くやったことがないらしく、凄く楽しみにしていた
そしてクラスが赤白に分かれて綱引きや玉入れ、リレーなどを対抗戦で行った。

子供だから当たり前であるが、楽しそうで、また勝ちたくて凄く真剣で、ミャンマーの子供達は必死に運動会に取り組んでいた。

何て、純粋なんだろう!! 何て楽しそうなんだろう!!と思った。
感動的な番組だった。

運動会はみんな大好きだ
ミャンマーであれ、日本であれ、子供はみんな運動会が楽しみで、勝ちたくて、真剣なんだなって思った。
しかし・・・小生、少年時代のことを振り返った時、これに当てはまらないことを思い出した

楽しかった事は間違いないが、少なくとも小生は真剣ではなかった。
小生 小学生らしからぬ、ひねくれた運動会をしていた。

例えば玉入れ。

(告白)
あれは小学校低学年の時じゃった・・・。
玉入れはご存知の通り、籠のついた棒を先生や上級生が手で持って立ててくれて、それを
競技者がその籠めがけて玉を入れ、籠の中に入った玉の数を競う競技だ。
トーナメント戦のように、勝てば何回もやった。

低学年なので、殆どの子がまだ純粋で、勝ちたい一心で必死に投げていたと思う。
少年(小生)のクラス、みんなの頑張りで勝ち進んで何回もやった。

しかし、少年、玉を籠に入れるなんてことどっちでも良くて、違った事を楽しんでいた。

実は、この籠を立てるために支えている人がいた。上級生のガキ大将やその仲間だった。
威張り散らしていた。

ピストルがなり、競技が開始されるとみんな一斉に籠目がけて玉を投げ出すが、
少年は籠には目もくれず、ひたすらこのガキ大将にむけて投げまくった。
比較的コントロールがよく、頭や顔、体とどんどん当たった。
当たった衝撃で籠が揺れる。それが見ていて楽しかった。

このガキ大将 頭にきているのだが、犯人を捜したくても、みんな玉を投げているから、誰が当ててきてるのか全く分からない。やり場のない怒りに堪えるしかなかった。

まさに小学校低学年生らしからぬ見事な(陰湿な??)ゲリラ戦を展開したのだ(これを砂の嵐作戦とよぶ)

そして2回戦、3回戦と同級生が頑張り勝ち進むのだが、籠を支える係は、同じガキ大将やその仲間が支える係だった。
少年は依然として籠に玉入れすることなど眼中になく、ひたすらガキ大将やその一党目がけて投げまくった。
顔などに当たったせいか、上級生の一人を泣かせもした。

少年のクラスは優勝した。しかし少年の勝利への貢献度は0(なんちゅう奴じゃ!!)

みんなは優勝したことに、ミャンマーの子と同じような大喜びでいい笑顔をしていた。
小生も笑顔だったが、実に歪んだ笑顔だった。

今思うとこんな低学年の小学生はいない。なんちゅう奴だって思う。
結局、上級生や先生にはバレることなく、天誅を下した。爽快だった。

しかし、このゲリラ戦を見事見破った者がいた。
それは母親だった。

運動会が終わり、家に帰るといきなり母親の張り手が飛んだ。
見事に見破っていたのだ。

今となれば分かるが、親は誰しも運動会となると我が子を一番見る。
今では親が陣取り合戦して、ホームビデオで撮影するなどあたり前の光景だ。
当時はビデオなどほとんどなく、カメラとか肉眼がメインだが、それでもわが子に注目するのは今と変わらない。

母親 我が子が玉入れどころか、支えてる人にぶつけて興じる姿に気がついたのだ。

そこには、相手が下級生の仲間をいじめるガキ大将云々といった理屈は通用せず、我が子が一生懸命やらないことに嘆いていたのを覚えている。

小生 玉入れ見ると、いつもこの苦い出来事を思い出す
あれは残暑残る秋の日じゃった。

しかし、この母親の叱りは、少年には大して届かず、上級生になると、悪知恵もつき、もっと歪んだ楽しみを求めて復活するのだった。

つづく

グローブ

2010年08月19日 20時06分54秒 | ノスタルジア
ここの所忘れていたことが何の前触れもなく、突然思い出すことがある。
幸い笑えるような内容だから今のところは良いが、忘れたいような事ならば最悪の傾向だ。

さて、今となっては笑い話になるが、当時の少年の心としてはかなりショックだった事があった
あれは小生が低学年(小学校1、2年生くらいか)の頃じゃった。

当時は、プロ野球、とりわけ巨人が関東ではゴールデンタイムで放送されていて、今と違い、まだかなり人気があった。

それもこれもONといった大スターが下地を作ってくれたからであろう。
小生の時は、もうONは選手ではなく監督となり、これほど強烈なスターはいないが、当時のスターといえば、原選手。即ち現在の巨人軍の原監督であろうか?

まわりの友達もみんな野球の影響を受け、遊びは野球が多かったこともあり、当時の子供は必然的に野球に引き込まれていった。

小生も同じであった。そして友達がバットやグローブなど野球道具を持ち始めると、小生も欲しくなる。
ただ、小生の場合、家庭的な問題があった。
それは、経済的といったことではない。親父が怖かったからだ。

昭和初期の家長制度の家のようで、星一徹なみの迫力があり、グローブが欲しいなんていうと怒られると思い、言い出せなかったのだ。
因みに親父は柔道家。今のスポーツの柔道ではなく、明治から伝わる柔術の流れもあるような柔道を修得【親父は父(小生にとっては祖父)から修得したらしい】していた。
故に親父 強い。 絶対!!であったのだ

しかし、周りの友達も道具を持ち始め、持ってないと仲間に入れない。
少年(小生)は追い詰められていた

もはや親父が怖いなんて言っていられない。
意を決して、怖さで目に一杯に涙を貯めながら少年は父に買って欲しいと頼んだ。
「グローブを買って欲しい・・(恐怖から涙)」
叱られることを覚悟の上で精一杯の勇気を振り絞って頼んだ。

そしたら、意外や意外、親父は喜んで「分かった」といって頭をなでてくれた。
少年は恐怖から解放された喜びと、念願の野球グローブが手に入ることを喜び、明日を待った。そして待望のグローブをもらえる時が来た。
でも何故か、袋から透けて見える形状が変!!
そして親父から手渡された2つ??のグローブに体が石になった。
グローブであることに間違いはないが、ボクシングのグローブだったのだ!!
何という大ボケ

うちの親父 大の格闘技好き。とりわけボクシングが大好き。
白井義男さん、ファイティング原田さん、大場政夫さんといった名チャンピオンを
生で見てきた世代。そのボクシングに息子が興味を示したと勘違いして喜んだのだ。

今更野球グローブが欲しかったなんていえない。少年 目に涙一杯ためて、父に礼を言い、そのグローブをもって部屋に戻った。
ショックだった。
また友達の仲間に入れない・・・。
少年は部屋に入り、親父に気付かれないように泣いた。

それから数日後、何故か野球グローブが勉強机の上においてあった。
当時は分からなかったが、今思うと母親からの口添えがあったと思われる。

いずれにせよ嬉しかった
本当に嬉しかった。
この感謝  親に感謝したもっとも古い記憶だ。

あれは暑い夏の日の事じゃった・・

母親を欺くために!!

2010年08月19日 12時46分00秒 | ノスタルジア
先日、山梨県立博物館で「懐かしの昭和展」という催し物を見たっこともあり、
忘れていた記憶が頭のタンスの中からこぼれてきて、思い出した記憶がまだある。
誰もがそうであると思うが、人は親と数え切れない騙しあいをして大人になる。
これは、母親との名勝負の記憶じゃ!!

小生 小学校低学年(2年か3年くらい)の頃じゃった。
小生が小学生の頃、山梨県では結構養蚕が盛んじゃった!!
よって、桑畑といった畑が結構あった(今は全くといっていいほどない)。
この桑の木は甘い実をつける。
葡萄のような黒い色で、小さな実だ。当時の子供達にとってはたまらないフルーツであった。
ただ、この桑の実、一つ欠点がある。
それは桑の実の汁だ。
顔につくと紫色になり、よく洗わないと取れないことと、服につくと当時の洗剤ではとるのに苦労する。よってどこの母親にとっても洗濯する上で警戒する実であったことは間違いない。

本当か嘘かわからないが、ある時母親は小生にある事件を例にだし、桑の実を食べに桑畑に近づかないよう強く言い聞かせた。
「ある女の小学生の子が桑畑で桑の実を食べていたら、知らないおじさんが来て、その子を誘拐し、殺してしまった。
だからお前もそうなってはいけないから、桑の実を食べに決して桑畑に近づいてはいけない・・・」と迫ったのだった。

今思えば、服を汚さないために仕組んだ親の嘘だったとも思うが、当時の小生には桑畑に悪いオヤジがいると思い、怖かったのを覚えている。
母親の術中に見事にハマッたのだ。

しかし、そこは小学生。実に単純で浅はか。
目の前にあれば食べたくなる。
理性が利かず抑えられない。
母親にバレなければいい。小生こっそり畑に入り食べまくり、何事もなかったように家に帰った。

何故か母親の張り手が飛ぶ!!

その時、母親が怖かったのは勿論だが、同時に一つの疑問が頭をよぎった。「何故バレたのか??」
答えは簡単。服に桑の実の汁が飛び散っていたのだ。
「恐るべし 母ちゃん!!」と幼い小生は思った。(どこがじゃ!!)

そしてまた後日。
誘惑の実が小生を誘う。小生が悪いのではない。桑の実が悪いのだ!!

「バレたらまた張り手が飛ぶ。こうなったら完全犯罪しかない」幼い小生は強い覚悟を持った。汗が額をつたわる・・・

そして予め上着を脱いで、桑の実の汁が服に着かないようにし、
食べ終わるとまた服を着て、掌を川で洗い、何事もなかったように家に帰った。
「今度は完璧だ。母ちゃんを欺ける!!」小生には自信があった。
が、またしても母親の張り手が飛んだ。

「何故じゃ!! 僕は食べていない」と無実を訴えた。
すると母親は鏡を前にだした。

鏡に写しだされた小生の顔の口のまわりには、紫の汁がべっとりついていて、一目瞭然じゃった。
「負けた・・」小生の完全敗北じゃった。涙がこぼれ落ちる。

三国志で、諸葛亮に何度も挑み、遂に欺くことが出来なかった周瑜の気持ちがよく分かる(そんな大したことでは・・・)




あれは暑い夏の日の事じゃった!!


駄菓子屋の婆さんとの知恵比べ

2010年08月16日 09時08分01秒 | ノスタルジア
先日、「懐かしの昭和展」を見に行ったことで、突然とっくの昔に忘れていた懐かしい記憶が蘇ってきた。
また忘れないうちに記録しておこう。

楽しかったこと、嬉しかったこと、悔しかったこと、悲しかったことなど子供の時に感じたことを今思い出すと、心が和むことがある。
そして知らないうちに、幼い自分の考えを振り返り、顔が緩んでいることに気がついた

駄菓子屋の婆さんと小生たちが昭和の終盤に繰り広げられた知恵比べじゃ!!
あれは小生が小学生の時じゃった。

駄菓子屋には、婆さんが良く似合う
小生の家の近くの駄菓子屋も何故か婆さんじゃった。
しかもいつになっても年をとらない同じ顔の婆さんじゃった。

そこでは100円もって、ふ菓子、ソース煎餅、飴、メンコ、酢イカなど安かったので、
組み合わせてよく買ったものだ。

そしてクジ。
原始的な紙を剥がすとアタリ・ハズレの書かれたクジがあった。
これは実に剥げやすく、悪ガキだった小生や仲間達は、婆さんの目を盗んでは僅かに剥いで、アタリ・ハズレを見極め、アタリを見つけては、わざとらしく婆さんにお金を払ってクジを開き、アタリをアピールし、景品(ゴムで出来た昆虫とかアニメキャラクターの人形だったと思う)を労せずゲットした

一方、婆さんも頭を使っていた。
ある日、婆さんの目の届くところにクジを置き、ガキどもに小細工をさせないようにした。
景品は1等~5等くらいに分かれたクジであったと思うが、1等はウルトラマンが中に入った透明な野球ボールくらいの大きくて、綺麗なスーパーボールだった。
今思えば、どうでもいいようなものだが、当時の小生や近所のガキたちは瞬く間に目を奪われ、1等しか眼中になく、欲しくてたまらなくなった。
しかし、なかなか毎日の小遣いを投じても当たらない。
そこで近所のガキ達と話し合い、みんなで行ってクジを買い占めた。
絶対当たるはずなのに、全員1等は当たらなかった。
何故だと思いながらトボトボ帰るしかなかった

しかし、次の日、1等のスーパーボールは大金(確か500円位だったと思う)で売り出されていた。

何のことはない。婆さんが予め1等を抜いておいたのだ
「婆さん!! 恐るべし」そして「大人は汚い!!」と自分達がやったことを棚に上げて小生は思った。
暑い夏の日の事じゃった!!

昭和展

2010年08月14日 20時58分15秒 | ノスタルジア
本日、山梨県立博物館にて開催されている「懐かしの昭和展」を見に行った。

博物館入り口ではダイハツミゼットが出迎えてくれる。
当時乗られてた方は、かなり懐かしいと思う。

主に昭和の時代に使われていた生活道具や町並みの再現、昭和のスターグッズや当時の景色の写真などが展示してあった。
戦前というより、戦後の昭和が中心だ。


(昭和の家庭の様子)


小生もはっきり覚えているものも多くあった。
ダイヤルの黒電話、洗濯機、四足のチャンネルがつまみになっているテレビ、昔の扇風機、最近全く見なくなったハタキや布団たたきなどは懐かしく感じた。
また、ジュークボックスなど、本日まで忘れていたような懐かしいものもあった。

昭和の代表的スターであった、美空ひばりさんや長島茂雄さん、そして力道山など
の写真や雑誌などファンにはたまらないと思う。

大衆食堂や一般民家、銭湯、駄菓子屋などの再現では、昭和の雰囲気が出ていて、
ちょっとしたタイムスリップが楽しめる。

この企画展。8月30日までやっているそうだ。
小生でも十分楽しめたが、より上の世代の昭和初期の方は勿論のこと、20年代、30年代
の実際にその道具を使われていた方々のほうが、もっと懐かしむことが出来るので、
楽しめると思う。
また、昭和を知らない子供達にも、デジタルではなく、アナログの時代を見てもらうのは
勉強になるし、楽しめると思う。
私達が、生きていない江戸や明治時代を見て楽しめるように、子供達も同様で、
昭和の雰囲気 見て、知ってもらいたいと思う。


前にも書いたことがあったが、日常生活で使った道具。
世の中の発明とともに、大変生活が便利になっているその裏で、
今まで結構使っていた物に感謝をすることもなく、知らないうちに消えて行ってしまっている物って結構ある。

このような豊かさと言うものは、少し寂しいものがあると感じる。
20年、30年たっても覚えているように、今使っているっような生活道具は大切にして行きたいと改めて思った。