POTAPOTA:RIDオジサン

明日は元気にポタリングを楽しもうと思いながらも、ついつい飲み過ぎて・・・。

秋がアチコチに

2021-11-23 11:09:03 | 土手歩き

近くの川にも水鳥が現れだしています。

川沿いの紅葉も進んできています。

ツマグロヒョウモンやモンシロチョウは秋の最後を楽しんでいます。

11月もここにきてやっとカワセミ君を捕えることができました。

我が家の柊は元気がなくなっているんですが、

ご近所の柊は元気に可愛い花を付けています。

カワセミ君が飛んでいくところはこの一月何回か遭遇していたのですが、

久しぶりにしばらく撮らせてくれました。


N君と次へ

2021-11-21 23:23:36 | お出かけ

N君が行ったことがないというので井山宝福寺も楽しむことにしました。

今年7月に行った時の山門もUpしてみました。

虚空蔵菩薩を安置してある仏殿の天井からは「水吞みの龍」が参拝者を見下ろしています。

龍はこの白蓮池の水を呑みほして近隣住民が困っていたのを天井に釘止めしたとか。

画聖雪舟が小僧時代に涙でネズミの絵を描いた方丈が丸窓の向こうに見えます。

雪舟が縛られていた当時の柱は火災にあって焼失したようです。

室町中期の特色のある重要文化財の三重塔は紅葉の色と「紅」を競っているようです。

「井山」の山号の由来となった千尺井の中でも紅葉が色ついていました。

シッカリと紅葉を楽しんだ一日でした。

 

 

 

 


久しぶりに若者N君と

2021-11-16 23:31:17 | お出かけ

会社の若者の仕事がちょっと暇になったので一緒に秋を楽しみに豪渓へ行ってきました。

駐車場が狭いので渋滞していましたが、その間に体調を整えることができました。

駐車場から歩き始めるとすぐに秋の色が出迎えてくれました。

楓ばかりではなく銀杏もキレイに色づいています。

槇谷川に写る紅葉も良かったです。

天柱山が主峰らしいですが、その他にも奇岩がアチコチに見ることができました。

雲梯峰、剣峰など。

     

地方道に沿って約600mを楽しみました。


仕事を兼ねて

2021-11-12 23:50:25 | お出かけ

仕事を兼ねて近江八幡に2年ぶりに行ってきました。

この街は浪人時代にもお世話になった大好きな叔父と叔母が暮らしていた街です。

またテレビの収録に使われることの多い八幡堀や安土城址そしてヴォリーズが作った病院がある街です。

今回は仕事なので従弟達には失礼しまして、

美味しいバームクーヘンを作っている建築家藤森輝信氏の設計のラクリーナを見学してきました。

アチコチに設計者の想いがこもっていいるように思います。

壁には和菓子の型が沢山かかっています。

こんなに色んな型が並んでいると何とも言えません。

見たことのある形をした型もありました。

奥には次の計画があるようです。

今回はたねや本店には寄らないので、和菓子は型だけを楽しみバームクーヘンを買って帰りました。


小島を一周

2021-11-10 23:44:55 | チョコチョコトレッキング

文化の日に日生諸島の大多府島を歩いてきました。

S師匠が色々ルートを探してくれて最短時間で行ける頭島からの定期船で向かいました。

約10分で大多府島の「夫婦岩」が見えてきました。

遠くには家島諸島が見えます。

小学生の頃、飾磨港から行った覚えのある懐かしい島ですが、かなり島の形が変わってしまったように思います。

いよいよ大多府島です。

先ずは、いつものようにS師匠の解説から始まりました。

先ずは、「春日神社」にお参りしてから

自然研究路の案内に沿って行きます。

たくさん並んでいる牡蠣筏には、きっと美味しく、大きくなった牡蠣がいっぱいぶら下がっているんでしょう。

ここからの灯りはきっと海の道しるべとなっていたと思われる場所に「燈籠堂」がスクッと立っています。

昔はこの辺りも畑でもあったのか小さめの石で綺麗に積まれた石垣が続きます。

反対側は木立越えのかなり下に綺麗な海が見えます。

道沿いの岩場の上で親子連れが、その向こうの船からも釣りをしていました。

この辺りはいいポイントなのかもしれません。

道沿いのツワブキの花ではミツバチが蜜を吸っていました。

道の上にも秋が転がっていました。

今回のメインの海蝕洞の「勘三郎洞窟跡」の看板がありました。

かなり下ったところにあるようです。

この奥の岩の割れ目にあるようです。

先ずはツワブキの花が迎えてくれました。

S師匠の向こうには仏像があるのですが、邪魔な人が一人!!!

帰る途中の岩に「亀の手」が群生していました。

ハブランサスですかね?一輪だけ咲いていました。

加子番所跡に江戸時代の絵地図が掲げてありました。

元禄時代に薩摩藩が参勤交代の時に暴風雨に会いこの港に避難して無事であったことで、岡山藩に譲渡を申し入れたため

岡山藩はこの島の避難港としての価値に始めて気づき、津田永忠に命じて防波堤を築くなどして開港し番所も置き、

燈籠堂もこの時に整備したとのこと。

絵に見える4軒の長屋作り移住を奨励した後、大いに発展したようです。

今も「六角大井戸」は水を湛えていました。

「六角大井戸」から少し登ると向こうに小豆島が見えます。

島の高台にある小学校は廃校となってからずいぶん時がたっているようで運動場も草ぼうぼうでした。

「元禄の防波堤」は所どころ修復されながら今も役立っているようです。

さあ、「のりなはーれ」に乗って帰ります。

和気藹々の一日でした