花の写真が撮りたくて
白山神社へ行きました。
ぱんだちゃんの東京十社巡りに
付き合って以来7年ぶりでした。
紫陽花の季節は初。
長い階段をのぼった先に拝殿があります。
しかし、この南から正面に向かう
参道と思しき道には鳥居がないのよな。
鳥居は拝殿に対して横、東にある。
ここの狛犬さんはなんか可愛い。
紫陽花はもう、ほんとに
いろんな種類が植わっています。
見ていて楽しい。
明け方まで降っていた雨が上がって
タイミングがベストでした。
白山神社の紫陽花2021
花の写真が撮りたくて
白山神社へ行きました。
ぱんだちゃんの東京十社巡りに
付き合って以来7年ぶりでした。
紫陽花の季節は初。
長い階段をのぼった先に拝殿があります。
しかし、この南から正面に向かう
参道と思しき道には鳥居がないのよな。
鳥居は拝殿に対して横、東にある。
ここの狛犬さんはなんか可愛い。
紫陽花はもう、ほんとに
いろんな種類が植わっています。
見ていて楽しい。
明け方まで降っていた雨が上がって
タイミングがベストでした。
白山神社の紫陽花2021
少し前のことだけど京成線の駅で
かわいらしい美少女絵のポスターを見かけた。
「あっ、高橋真琴さん」
子供のころ「なんてキラキラしてきれいなんだ」
と思って憧れてたことを思い出した。
そんな高橋真琴さんの展覧会があったので
見に行ってきました。
HPは → こちら
版画の新作ということで点数は20点ほど。
展覧会というより展示販売会でした。
もうちょっとたくさん見たかったけど
子供のころと同じ気持ちで
きらきらした世界に見とれました。
今年に入ってから公式さんがTwitterを始められて
定期的に作品画像をアップして下さるのも
ありがたく拝見しています。
いい時代
(今回展示されたものの中から
ことに好きだった作品をTwitterからお借りしました)
かわいいなぁ。ほんと好きだわ~
矢野顕子さんと上妻宏光さんのユニット
「やのとあがつま」のライブに行ってきました。
チケットをゲットしたのが3月。
矢野さんのTwitterをフォローし、
矢野さん来日したんだ、
(ご本人が「来日」と書いてらした。
すでに「帰国」ではないのですね)
2週間の隔離期間を終えたんだ、と
近づくライブを楽しみにしてたけど
緊急事態宣言が発出。
秋田公演中止。
大阪公演中止。
はたして東京は開催されるのだろうか。
チケット発券予定日が
5月7日から5月14日に変更。
やっぱりやりませんとかないよね?
5月14日、無事に発券できて
ようやく胸をなでおろす。
でも開場は18時、開演19時。
あれ?緊急事態宣言下では
イベントは20時終演って
要請されてなかったっけ。
開演時間の変更あるかも?
今日の今日、会場に向かうまで
変更のお知らせ来たりしてないよね?って
何回もメールをチェックしていました。
会場は東京文化会館。
若い頃はクラシックのコンサートでよく来てた。
フーツォンもダンタイソンも
ヨーヨーマもここで聞いたな。
最近はとんとご無沙汰。
中に入って「やっぱりいいホールだなぁ」
矢野さんも
「舞台に立ってみてほしい。
音が降ってくるみたい。
みなさんの拍手に包まれるみたいに
音が来る」って言ってた。
ステージはやっぱり矢野さんが圧巻。
ピアノ弾いてるとか歌うたってるとかじゃない。
ピアノが体の一部になって
体の全部から好きなように音楽が出てくる。
調性もリズムも何も飛び越えた音楽?
ってか矢野顕子自身。
上妻さんはそれを受けて立ってるというか
力強く立つ骨太の津軽三味線のまわりを
縦横無尽の矢野さんの音楽が
龍のようにとぐろを巻いてるみたいに見えましたよ。
そして上妻さんは歌も歌われるんですね。
民謡の発声が好き。
そのお二人を深澤秀行さんが
シンセサイザー(でいいの?)で支えてらして
なのでユニット名は
「やのとあがつま(とふかさわ)」と
なっていましたww
途中何曲か手拍子の場面があったんだけど
(ソーラン節となんだっけ)
どんなに縦横無尽な矢野サウンドでも
体に染みついた日本のリズム感は
何とも気持ち良くて
揉み手するタイプの手拍子(わかる?)
しちゃいましたよ。
楽しかったなぁ。
そして最後はそれかと言われそうだけど
やっぱり生の音楽はいい。
そしてたくさんの人と一緒に観るライブはいい。
なんか心が生き返った。
やのとあがつま - こきりこ節 (Live at Ginza)
5月15日~17日は三社祭でした。
17日の朝、8時すぎごろ到着してみると
仲見世は閑散。
浅草寺も人はまばら。
しかし浅草神社の周辺はいつもよりは人がいました。
もちろん混雑というほどではありませんが。
鳥居の下に非接触体温計、
空間除菌なのかミストが噴き出すアーチをくぐり
設置されたアルコールで手を消毒。
(そのあとすぐに
手水屋で手を洗っちゃいますけど(^^;)
いつもは山車に乗っているお神楽も
境内で拝聴します。
神楽殿の前も密を避けるように
足型が置かれていました。
三基のお神輿御開帳。
御神輿の前では報道の腕章をつけた記者さんが
来場者から感想を集めていました。
(こんな三社祭は寂しい。
早く元に戻ってほしい。
という以外の感想があるとは思えませんが)
被官稲荷さんにお参りするので
浅草神社の社務所で赤いロウソクをいただきました。
今日は御神米と御神塩も一緒にいただきました。
被官稲荷の鳥居をくぐると
倉庫から子供神輿を出しているところでした。
いや、こんな立派な子供神輿なかなかない。
さすが浅草神社です。
細かな細工と彩色がほんとにきれいで
お願いして写真を撮らせていただきました。
被官稲荷さんにお参りを済ませて
浅草を後にしました。
新型コロナが蔓延してから
あの有名なお神輿が集まって
人がひしめきあう情景もなくなりました。
こんな三社祭は寂しい。
早く元に戻ってほしい。
雷門の前にも報道の人がいました。
お疲れ様です。
WORLD ORDERのファン友さんたちと
話していた時。
ダンスパフォーマンスのどこを見るか
何が好きか、という話題になった。
自分は何だろう。ちょっと考えて
「音楽がすごく好きだから
ダンスは目で見る音楽って感じ。
耳から入ってくるものと
目で見てるものがぴったり合うと
すごく気持ちいい」
と言う言葉が自分の口から出て
その答えを聞いた自分が
ああ、そこが好きだったのか、
と改めて自覚したってことがあった。
Hilty&bosch さんのダンスが好きで
ことにZINさんがインスタにあげる
レッスンで教えたオリジナルの振付を
生徒さんたちと踊る動画が好き。
ちょっとおかしな視角なんだけど
真ん中で踊るZINさんのおへそのあたりから
音楽が出て来るみたいに見える時があって
そういうときは最高に気持ちいい。
ある日動画に「楽曲にリスペクトを持って
振り付けを作るようにしています」
というキャプションをつけていらして
ああ、やっぱり。そうだよねぇ
といたく感激したものでした。
「楽曲にリスペクト」
AAAのSky-Hiさんは
個人で一億円を投じて
次世代のアーティストを発掘する
オーディションのを開催しています。
インタビュー記事の中に重視することとして
それが挙げられていました。
(以下抜粋です)
特にここまでの放送で印象的だったのが
「音楽を好きな人の歌・踊りである」
というSKY-HIの評価である。
「音楽を使って自分を際立たせることと、
自分のスキルを使って音楽を表現することって
近いようでいて全然違うんですよね。
たとえば歌であれば、
日本はカラオケ文化があるからか
前者の方向性で上手な人が多いように思います。
ただ、どんなに素晴らしい才能や
キャラクターを持っていたとしても、
それを輝かせるために音楽を使うことを
僕としてはあまり推奨したくないんです。
歌や踊りの上手さを自分のアピールに使うのではなく、
その音楽を自分の身体で咀嚼して
アウトプットすることを大事にしている人かどうか、
というのは特に注目して見ています。」
わかります。
インスタには「自分どやぁ」な動画が
あふれてますから(^^;
でも、プロの表現者を目指すなら
「自分どやぁ」な意識ではだめなんでしょう。
それを先に言ってもらえるって
恵まれていますよね。
ただ、その意識を持っていても
「音楽を咀嚼してアウトプット」ができるには
きっと並外れた才能も努力も必要なんだろうと
凡人は想像することしかできません。
ただ、観させていただけることに
感謝するのみです。
AppleWatchを購入して4か月。
もともとスマホにアプリを
たくさん入れない人だし
AppleWatchにもそんなに仕事させないので
参考になるかはわからないけど
ここまでの経験で。
一番よく使う機能は
タイマーとアラーム。
仕事の電話で「14時過ぎに
もう一度ご連絡いただけますか」
「10分後にかけなおしていただけますか」
みたいなシチュエーションはけっこうあり
便利に使っている。
以前はスマホで設定してましたが
Apple Watchになってから
席を離れる時スマホ持つ必要がないし
逆にスマホを持つのを忘れて
いない間に席で鳴っちゃって
「鳴ってたよ、止めといた」
「ごめんなさい」みたいなことがなくなった。
Google Map の経路案内は
うまく機能するときとしないときがある。
車社会じゃない都内。
使うのはほぼ駅から徒歩の場面なので
移動の幅が小さい。
指示が地図とずれて遅かったりすると
わけわからなくなる。
スマホだと地図自体が見えているので
迷わないけど
Apple Watchは「50m先を左折」みたいに
文字だけなので「どれ? どこ?」って
結局スマホを取り出して確認、
みたいなことが結構ある。
通知はきちんと設定すれば
便利な機能かもしれません。
もともと通知はうるさいと思って
ほとんど切っているので
現状ウェザーニュースと
都と区の防災情報くらいしか
通知されないのですが
DMでやりとりしてるときは
通知をONにしておけば
すぐにチェックできて
ずっと気づかなかったみたいなことが
ないと思います。
あとは「Iphoneを探す」
あんまりはないけど家の中で
ふとどこかに置いてしまい行方不明
みたいなときにIphoneを遠隔で
チリンチリン鳴らすことができます。
Apple Watchはセル対応とそうじゃないのが
選べるようになっていて
セル対応だとIphoneとは独立して使えます。
私は廉価な非対応を選んだので
Iphoneを持ち忘れたりすると
ネット環境が必要な機能
(地図とかメールとか)が使えません。
というわけで電話としてのApple Watch。
セル対応機種だと
Iphoneを持ち歩かなくても
Apple Watch「だけで」電話が使えます。
実はこのことを
「非対応機種では電話ができない」
と誤解していました。
そして事件がおきました
ある日職場で仕事中に
スマホに電話がかかってきました。
っていうかApple Watchが
↓ ↓ ↓ こういう着信画面になりました。
電話がかかるはずないと思っているので
びっくりしながら
あまりに見慣れたアイコンなので
思わず緑のボタンを触ってしまいました。
するとスピーカーフォン状態になって
「そゆる様、美容室〇〇でございます。
ご予約おとりできたのでご
連絡させていただきました。
ただいまお話させていただいて
よろしいでしょうか」
スマホだったらスピーカーを切れますが
Apple Watchをどうしたら良いかわからず
ますますあわてるから
「折り返します」と言って切るという
選択が頭にうかばない
とにかく音がでないようにしたい
という思いしかなくて
なぜだか「はい」と返事してしまう
結局そのまま社内に内容だだもれのまま
最後まで会話を続けました
緊急事態宣言中で出勤者7割減の
閑散とした社内でよかった。
それでも「どしたどした?」
「なんでスピーカーフォンで
そんな私用電話してる?」的な空気を
背中に感じて汗かきました(^^;
セル対応機種だと
Apple Watch「だけ」で電話ができる。
セル非対応機種でもIphoneが近くにあれば
電話はできる。
Bluetoothのイアホンを考えたら当たり前のことが
対応・非対応という言葉にひっかかって
完全に誤解していました。
身内や友人との連絡は
よほど緊急な時以外電話を使わないので
基本電話をかけるのは宅配便の再配達依頼とか
美容院とか病院の予約とかくらい。
かかってくることもほとんどありません。
なので思い込みを改めるチャンスが
ここまでありませんでした。
そのチャンスせめて自宅であってほしかった(^^;)
以上、主に使ってる機能でした
夫婦別姓について
私は夫婦に限らず
家族で姓が違うことが
普通になったらいいのになあと思っています。
というのは様々な事情を見てきているから。
子供のいない高齢の叔母のために
40過ぎて養子になった甥。
叔母の姓になった。
妻や中高生の子供の姓はどうする?
姓が変わっても「なんで?」ときかれるし
甥と姓がちがっても「どうして?」ときかれる。
公的な資格を伴うビジネス。
住民票に記載の氏名を
使用しないといけないお仕事。
姓が変わることによってお仕事の場で
「結婚した?」「離婚した?」「養子になった?」
とたずねられる。
なんでそんなプライベートを
晒さなければならないのか。
家族であっても姓が異なることが
当たり前であれば
本来必要のない申し開きをしたり
言わなくていい事情を話したりしなくてすむ。
もちろん今までどおり
家族で同じ姓を選びたい人はそうすればいい。
でもそうしない人がいてもいい。
選択肢が多い方が自由だし幸せですよね、
と思っている。
でも、そこにものすごく抵抗感を覚える方
というのがいらっしゃる。
ネット上でそういう方の意見を読むと
「家族の一体感が失われる」とか
「長い日本の歴史に逆らう」とか
あまり説得力があるとは思えず
自分が別姓を強制されているわけでもないのに
なぜそこまで抵抗感を感じるのかが
理解できずにいた。
前回「不倫遺伝子」で触れた
中野信子さんと内田也哉子さんの対談集に
その答えと言える記述をみつけました。
同じ土地で16代続く農家の御子息である
本木雅弘さんが也哉子さんと結婚して
内田姓になったことに関しての話題で
本木さんのご両親がすごく悲しんで
也哉子さんは「姓」の重みが
それほどのものだと初めて知った。
それについての中野さんの考察。
農家の方というのは作物が育つ土地と自分は
切っても切り離せないものという感覚を
持っている方が多い。
農家の方にとって家(姓)を継ぐというのは
土地を継ぐことと同じなので
そこが途切れると感じることは
すごく痛みを伴うものだったのではないか。
なるほどなあ。
そのシステムが今の生き方にあわなくなっている、
たくさんの不便をかこつ人がいる、
という頭で考える理屈に対して
理論では説明できない
無意識の刻まれた深い感覚として
抵抗感を覚えているということなのか。
中野さんは脳科学者なので
なぜそう感じるのかも説明している。
他の人と一緒にいるとなぜ安心を感じるのか。
それは生存確率が上がるから。
一緒にいた時間が長くなればなるほど
それはその人と生き延びられたという実績になり
脳ではオキシトシンが働いて
その相手との「絆」を感じさせて
生存確率を上げようとする。
場所についても同じで
そこに長くいられたということは
そこで生き延びられたという実績が
脳に刻まれている。
何代も続いているということは
その年月を
自分が実際に経験したものではないけれど
「ここに長くいられた。
ここにいるのが一番安全だ」
と無意識に思わせる仕掛けがどんどん強まる。
東京の人は
いろいろなところから流入してきた民なので
どこへ行っても一緒でしょ
と考えているところがあり
土地を基盤に生きている農業の民とは
ちょっと感覚が違う。
「姓」というものにこだわる人たちの感覚が
言語化されるということは素晴らしいと思いました。
別姓を望む人にもそれに抵抗を感じる人にも
明確な理由が与えられることで
お互いの理解が進み
よりよい解決策に向かっていける気がしました。
(別姓推進派は
よくわからないけどなんかイヤと言われても
説得のしようがないし
別姓反対派は
もし別姓が選択できるようになったとして
なぜ自分がそこに抵抗を感じるのか
理解しないままそれが決まってしまうと
ただもやもやした感情が残り
未来へ向かえないと思いました)
中野さん、すばらしいな。
少なくとも自分は
反対する人の気持ちがわかるようになりました。
内田也哉子さんと中野信子さんの対談集
『なんで家族を続けるの?』を読みました。
「なぜこんな行動をしてしまうのかしら」
「なんでこんな人がいるのかしら」
という也哉子さんの疑問に対する
中野さんの脳科学的な解説が面白かった。
自分の思考や情動を
俯瞰の目で眺めることができる
脳の部分が完成されるのは
30歳ごろなので、それまでは
カーっとなる自分を抑えることが
できにくい。
若い頃は血の気が多いと言われるのは
脳の発達段階的に理由のあることだったんだ。
なので脳が子育てに向いた条件になるのは
40代以降
20代で二人の子の母親になった自分は
イライラカリカリして
子供を叱ってばかりいて
おのが未熟さに自己嫌悪を感じていたけど
未熟なのは脳で、それは発達段階としては
自然な事だったのね。
最近なにかと物議をかもす
同調圧力についても
大きな集団のほうが生き残りやすいという
生き残りをかけて獲得した心理であるとか
平和を求めている一方で
波風を立ててしまう人は
ドーパミンの快楽がそうさせる、とか
単純に性格の問題と言うだけでなく
体の仕組みだったり
生き残りののために利点があるとして
獲得してきたものだという理解が面白い。
中に特に興味深い記述がありました。
「不倫遺伝子」
ホルモン受容体の中の塩基一文字違うだけで
広く浅くたくさんの人を大切にするか
たった一人のひとを大切にするか
タイプが分かれる。
不倫って言っちゃうと聞こえが悪いが
タレントさんの多くは
「広く浅く」タイプなんじゃないかと
思いました。
自分なんかは大勢に愛を振りまくとか
とても面倒くさくてできないって
思っちゃいますから。
以前に書いた『なぜ女は
男のように自信がもてないのか』
の中にもありましたが、生まれながらに
「自信」を持っている人がいるように
遺伝子的に
「貞淑」であることが自然な人がいて
「愛人体質」の人がいる。
性格というのは心の仕組みのようでいて
思っている以上に肉体的な
体質の側面があるんだなあ。
もちろん努力によって
克服したりできる部分はあるのだけど
体質が変えられないように
受け入れるしかない部分もある。
そういう理解は他人にはもちろん
自分にも優しくなれるような気がしました。
映画館の上映作品一覧に
『AKIRA』とあるのを見て
東京オリンピックの年に
新型コロナウイルスが蔓延して
これは『AKIRA』が予言した世界、
と話題になったことを思い出し
「どんな話なんだろう」と
興味を持って観に行きました。
映画が始まって、まず
圧倒的な画力に驚きました。
以前書いたとおり
直前に『プペル』を観ています。
ご存知のように
『プペル』の細密画っぷりはすごい。
『プペル』は本当に映画館で観る作品。
大きなスクリーンに耐える密度です。
アニメ作品ということで上映前に
どらえもんやクレヨンしんちゃんの
予告編が流れますが
それがすかすかに見えてしまう。
『AKIRA』が始まってすぐに感じたのは
負けてない密度。
え、これ30年前の作品てほんとですか。
デジタルの力を借りないでこれですか。
とりあえず街の景色に見とれました。
『プペル』とは真逆の世界観なのに
画面に没入する感じが一緒。
ストーリーも単純じゃないので
繰り返し観たい映画だったなぁ。
4KBlu-rayも出ていますが
映画館の大きなスクリーンで観たかった。
ロードショーじゃないので
上映が続かないのが残念でした。
舞台あいさつに立たれた佐々木望さんが
「この映画が公開されたとき
まだ生まれていなかったり
小さいお子さんだったりして
今回初めてご覧になる方も
いらっしゃると思います。
30年経っても新しい観客が
増え続けていく作品は
それほど多くはありません。
そんな作品にかかわれたことが
しあわせです」
というようなことをおっしゃいました。
自分は公開時ばりばりの大人でしたが(^^;
30年経ってから初めて出会う観客でした。
アキラ AKIRA(1988) 劇場予告編
とりあえず映画の再演がないので
コミックスを読んでみようと思います。
読み終わったらこれを観るww
(解説は後から聴きたい人ww)
【AKIRA①】2020東京五輪延期&新型コロナ蔓延を予言!?
【AKIRA②】2020東京五輪延期&新型コロナ蔓延を予言!?