だいぶ前だけど、
ナイナイアンサーって番組で心屋なんとかいう
カウンセラーの方を見た。
その日は清水なんとかいう俳優さん
(ごめん人の名前を全然ちゃんと覚えられなくて 汗)が
自己評価が低いのを指摘して
「自分に『どうせすべてはうまく行く』
『どうせ自分は愛される』って言ってみてください」と
アドバイスしていた。
自慢じゃないが私もけっこう自己評価が低いので(とほほ)
この言葉はハマった。
言ってみると安心するのね。
「今まで自分自身に逆の言葉を言い続けて来たので」
なるほど。
だとすると、それと同じ回数とは言わないが
(ポジティブな言葉ははネガティブの何倍もパワーがあるというから)
今まで自分に言ってきたのをひっくり返すくらい
何回も言い聞かせたほうがいいのね。
で、3日間くらい、事あるごとに唱え続けてみた。
ぼ~っと歩いてる時とか自転車に乗ってる間とかね。
そうすると実際現実がシフトする(ような気がする)。
それ以来、生活の中で何か不具合が起こるたび
自分の観念を見直して、
逆の言葉を唱えるようにしている。
たとえば、仕事の中で「こうして下さい」とお願いしたことが
うまく回らないことはままある。
そういうとき、自分はどうなるかというと
その人がしない分、できない分をできる限り手出しして
うまく回るように頑張る。
で、次からは「こいつはダメだから(笑)
前もって手を打っておいたほうがいいかもしれない」って
うまくいくかどうかわからないうちから手を出して
準備万端整える。
でもさあ、そんなことしたって
相手が100%自分の思った通りに動くなんてことはないし
うまく行かないこともけっこうあるよね。
そして、愚痴が出ます。
「あいつ、ほんとにダメだわ」
なので、唱えます。
「全部まかせて大丈夫」
唱えてまかせてみると、案外大丈夫だし、
というか自分が人並み外れて心配性で
未来の物事をうまくいかなかったらどうしよう前提で
動いていたことがわかった。
「うまくいかなくても大丈夫」
そんなに心配しなくても、
最悪うまくいかなかったとしたって
会社が潰れるほどの損害がでるわけじゃないし
案外別の人が知らないところで動いてくれて
スムーズに行ったりするものなのだ。
「天にまします我らの父よ、
願わくは、御名をあがめさせたまえ。
御国を来らせたまえ。
御心の天になるごとく、地にもなさせたまえ。
われらの日用の糧を、今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、
我らの罪をも赦したまえ。
我らを試みに会わせず、悪より救い出したまえ」
(キリスト教、主の祈り)
「祓いたまえ、清めたまえ、神ながら、守りたまえ、幸いたまえ」
(神道、清めの詞)
神様にいろいろお願いするのもいいんだけど
自分という神様が自分自身に言ってあげる言葉のほうが
具体的で効果がある祈りのような気がする。