読書の記録

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この1冊、ここまで読むか! 超深堀り読書のススメ

2021年02月20日 | 言語・文学論・作家論・読書論

この1冊、ここまで読むか! 超深堀り読書のススメ

鹿島茂
祥伝社


 ここでは博覧強記で知られるホスト役の鹿島茂が、楠木建や成毛眞や内田樹や高橋源一郎などの論客と、1冊の本について語り合うのだけれど、実は本そのものについての言及はあまり多くなく、むしろその本が扱っているテーマそのもの、その著者やそれが書かれた時代背景、社会世相の考察へと話題は広がっていく。

 つまり、本そのものは深く広く展開される教養の世界に飛び込むための触媒に過ぎない。まさに「ここまで読むか!」である。ここまで語れてようやく読書の醍醐味というのが出てくるように思う。


 だけど、自分の読書歴や印象に残った本などを振り返ってみると、1冊の本からここまで深みにはまっていくことができたものはそう多くない。

 ①たいていの本は、字面に書かれたものをそんなもんかなとか、へえーといった程度で消化されて終わっていく。

 ②何冊に一冊かは、じっと考えて関連する分野のことに思いをはせたり、自分のこれまでの行いなどをふりかえってみたり。つまり脳みそに歩留まって、ちょっとした新たな地平を見せる。

 ③さらに何冊かに一冊になると、その本のテーマそのものや著者自身が気になりだし、似たようなテーマの本をさらに探し出して読んだり、同じ著者のものをさらに読んでみたりする。ここまでくると読書の甲斐もあったというもので、最初に出会ったその本はかなり「当たり」ということになる。自分が生きるこの世界に新たな時空間がひとつ加わった感じがする。

 ④そして、数年に1冊あるかないかの稀なこととして「目の前の景色が変わる」本というのに出くわす。自分が今まで見知っていたつもりの世界観がくずれていくような本である。


 「名著論」に近いものは④であり、座右の本などと呼ばれるのも④だ。

 だけれど④は、もはや己の身体と分離できないところまでいって、どこまでが本の世界でどこからが自分なのかもはや感知できないようなことにもなっている。本の思いを伝えることはできても、その本が本来持っていたテーマ性や背景を「深堀り」して語り倒すにはもはや主客一体化していて難しい。信仰みたいなものだろう

 なので、本書に近い感覚の本というのは、むしろ③あたりだなと思う。④は狙い定めて得られるような本ではない。僥倖に近いといってよい。
 だけど③は目標にできる。考えてみると、僕が大型書店を定期的にさまよったり、WEBの読書コンテンツをチェックしたりしているのはこの③ねらいのところが多分にある。もちろん①で終わってしまうことのほうが多いし、②でも満足感の得られる本はたくさんある。

 ただ、③を得るにはどうしても書店にいって実物をパラパラとでも見ないとなかなかむつかしい。②まではたとえAmazonの購入でも、巷の評判や著者の実績や出版社などからある程度「読める」のだが、この情報だけで大当たりさせるのは難しく、どうしても書店にいって実物を確認したくなる。目次立てなどみて、これは当たりそうだと思ってレジに持っていく。
 だから③の本は電子書籍がほとんどない。ここらへんの本選びの感覚を、電子書籍でもまっとうできるようになるUIUXはできないもんかななどとも思う。Amazonもそれ以外の電子書籍ECサイトも、本選びのアルゴリズムが情報検索のそれ、つまり目的志向型だ。それはそれで便利なんだけれど、書店でぷらぷらするような具合のものができれば絶対そこに入り浸るんだけどなと思う。あるいはそれこそがリアル書店の生き残る道でもあるわけだけど。

 


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