読書の記録

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四畳半タイムマシンブルース・AIとカラー化した写真でよみがえる戦前・戦争 ・他

2020年08月30日 | 複数覚え書き

四畳半タイムマシンブルース・AIとカラー化した写真でよみがえる戦前・戦争 ・他

 

たまにやってくるうまくオチなかったものの覚書き。


四畳半タイムマシンブルース

森見登美彦
KADOKAWA

 おお。森見登美彦の初期のケッタイな世界が帰ってきた。文庫化を待とうかなと一瞬思ったが、最近かための本が続いたので息抜きに購入。
 といいつつ、「四畳半神話大系」の詳細はもうすっかり忘れている。小津って誰だっけ、樋口ってのは重要人物だったっけ、そうそうヒロインの名前は明石さんと言ったっけな・・という状況である。せりふ回しもすっかり忘れている。「四畳半神話大系」を確認したくても、自分が持っていた文庫本はだいぶ前に処分してしまっていたので、本屋さんで確認。あーやっぱりあのセリフはここに伏線があったのかと納得。
 それにしても、ドラえもんはすごい。日本人はドラえもんのおかげでタイムマシンパラドックスの妙に対してのリテラシーがあるといってもよい。同じ時空間に同じ人物が多種存在してドタバタする狂騒さや過去と未来のつじつま合わせのトリックは映画「バックトゥザフューチャー」よりはるか前に、我々は「ドラえもんだらけ」で知ったのである。

 

縄文の思想

瀬川拓郎
講談社新書

 日本人論を語るのに、「日本人は農耕民族だから」という日本人観はわりと自縄自縛というか、好都合につかわれてきたレトリックのように思う。
 日本列島の特徴を「四方で海に囲まれてる」と表現するくらいだから、漁労文化もまた日本を特徴づけるものになるだろう。また、国土の70%が森林山岳地帯となれば、狩猟文化だって日本文化のメインどころとなる。
 「反穀物の人類史」でも壮大に示されたように、狩猟採取文化と農耕文化は同時並行的に存在し、共依存のような関係でもあったと言えなくもない。学校の教科書では「縄文」のあとに「弥生」がくる教え方をしているから、われわれは一般において「縄文」は米作前の旧時代という印象が強い。しかしあらためて考えれば農耕民族史観というのは、天皇家(とその取り巻きの氏族・貴族)がその行政基盤となったわずかな平野に対してつくった歴史観にすぎないのではないかなどとも思う。「縄文文化」と「弥生文化」は並走していたとみてもよいように思う。


AIとカラー化した写真でよみがえる戦前・戦争

庭田杏珠・渡邊英徳
光文社新書

 こうしてあらためて見ると「モノクロ写真」がもつイメージの束縛力は大きいのだなと感じる。カラーになったときのいまの我々の「地続き感」ははんぱない。いままで近現代の歴史における記録写真や記録動画は「モノクロ」のもつ隔絶性とでもいった免罪符に守られていたのではないかとまで思う。ぼくはNHKスペシャルの「映像の世紀」が大好きだが、あれも「モノクロ」ゆえのすごみというか、不思議な説得力があった。映画「シンドラーのリスト」ではスピルバーグがあえてモノクロで全編撮影をしていて、すさまじい虚無感に襲われるがこれもモノクロのもつしたたかさとも言える。あの映画、カラーだったらずいぶんまた印象が違うのだろう。


漱石を知っていますか

阿刀田高
新潮文庫

 完全に漱石作品のダイジェスト集。「吾輩は猫である」「坊っちゃん」「草枕」「三四郎」「それから」「門」「虞美人草」「こころ」「明暗」など、有名な漱石の小説のほぼすべてをカバーしてあらすじを整理している。労作だが、しかし小説というのは骨子だけダイジェストにすると魅力は半減するのであって、こうして装飾を取り払われた骨子だけの漱石というのはさして面白くないなというのが発見であった。登場人物の思わせぶりなセリフやちょっとしたたちふるまいの描写、街の光景、場面転換の妙に漱石の神髄はあったんだなというのを改めて感じだ次第である。

 

アルゲリッチとポリーニ ショパン・コンクールが生んだ2人

本間ひろむ
光文社新書

 なんでこの2人? というのが率直な感想だった。
 僕が高校生くらいの頃(80年代)、クラシック音楽の世界で頂点に位置するバリバリ現役のピアニストは4人いた。マルタ・アルゲリッチ、マウリツォ・ポリーニ、ウラディミール・アシュケナージ、アルフレッド・ブレンデルである。このうちアシュケナージとブレンデルは2020年現在すでに引退を発表している。
 ぼくは当時もいまもアシュケナージ派で、したがってアルゲリッチやポリーニにはそれほど思い入れがなかった。なんというか判官贔屓のような思春期特有のメジャー嫌いがたたって、当時すでに絶大人気だったアルゲリッチやポリーニは忌避していたのである。アシュケナージだって大人気だったが、どういうわけか彼は「通ウケ」がよくなかった。ブレンデルは高校生のぼくには、そのストイックなピアニズムが渋すぎた。
 この4人はいわばレコード会社の看板を背負う向かうところ敵なしの4大ブランドであったが、ブレンデル以外の3人はまっとうな精神状態でピアニストをやり切とげることができなかった。アシュケナージは途中から指揮活動のほうに夢中になってしまった。ポリーニは90年代ころに演奏スタイルが激変し、その後はあきらかに切れ味が落ちた。いちばん顕著なのはアルゲリッチで、ソロ活動ができなくなってしまい、2台ピアノのための作品や室内楽ばかりやるようになった。
 こうしてみると最後までぶれずにふみとどまったのはブレンデルだけだったということになる。この人はもともと屈折したところがあってそれゆえに試練への耐久性があったのかもしれない。
 超一流ブランドでありつづけることの苦悩は想像を絶する。ということで、実はアルゲリッチとポリーニだけでなく、アシュケナージとブレンデルをふくめた4人でやってみたら戦後のクラシック音楽界のピアニズムやピアニストの事情を壮大に俯瞰できたのではないかとも思う。

 


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