読書の記録

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アルゴリズム思考術 問題解決の最強ツール

2020年10月14日 | サイエンス
アルゴリズム思考術 問題解決の最強ツール
 
ブライアン・クリスチャン&トム・グリフィス 訳:田沢恭子
 
早川書房
 
 本書には「秘書問題(運命の人はいつ現れるか?)」「スロットマシーン問題(どのマシンが当たりかを探し当てる問題)」「順列並び替えのライフハック(野口悠紀雄の超整理法も出てくるぞ!)」「上手なプロジェクト進行スケジュールの立て方(料理の段取りがうまい人ってこういうこと)」などが紹介されている。これらに共通するのは、未来への意思決定だ。
   未来というのは、本来的にはどうなるかわからない不確定なものである。したがってその意思決定が本当に正しかったのかはその未来が現実になるまでわからないし、その意思決定によって選択されなかったほうの未来は、本当にそれが間違っていたのか永遠にわからない。
   ところが、この「アルゴリズム思考」は、そういう不確定なはずの未来への意思決定を、ロジックを極めることで、現時点にいながら最適な行動を選択できる、という驚異的なものである。そのからくりたるや、確率統計論とかベイズ理論とかラプラス公式等が出てくる。訳者もたいへんだったに違いない。
 
 正直いって、本書を読んでそのからくりを理解できたとはとうてい思えない。もうすぐ50になろうとする中年おっさんの頭にはなかなか入らない。もっと若いころに読んだらもうちょっと理解できたかもしれないなあ。
 
 とは言うものの、このアルゴリズム思考なるものは面白い。不確定なはずの未来をあたかも制御するような感覚は、まるで魔法をみるようだ。
 こちらもかつては統計を生業にしていたこともある身。細かいロジックはともかくその肝は、
 
①最後から逆算する
②閾値を見抜く
③近似値でよしとする
③ルールを見抜く
 
 というところにあるような気がする。
 
 ①最後から逆算する、というのは、バックキャスティングという思考法として知られている。もっともわかりやすいのが「スケジューリング」と呼ばれる分野だ。料理が上手な人は最後に同時に複数の料理が出来上がる。彼らの頭の中には、最後に同時にできるには、というところから逆算してどの段階で何ができてなければらないか、何を先にやっておこないといけないか、ボトルネックとなる作業は何かというのを算段し、着手するのである。
 これはゴールを設定して、そこから最短距離をみつけだす方法だから、未来にむかってもっとも合理的な道筋を用意するということになる。当たり前の話のようだが、逆算思考はそれなりに脳みそを要求し、センスと訓練がいる。ついつい見切り発車してしまって余計な回り道や浪費を食ってしまうのが人の常である。
 
 ②「閾値」を見抜くとは、その現象がどこにむかって収束しているかというポイントを見抜くということである。先の「秘書問題(運命の人はいつ現れるか?)」はこれの代表例で、俗に「37%ルール」と呼ばれる。たとえば18-40才を出会いの機会と考える人は26才を過ぎたあたり(時間軸上で約37%くらいに位置する)の時点で「いいね」と思った人と結婚するのがもっとも賢い選択という結果が出てくる。(26才時点でつきあっている人がいてその人で特に不満がないのならば、もうその人と結婚したほうがよい)。それを「もっといい人がいるかもしれない」と逃してしまうと、釣り逃がした魚は大きい、という結果に終わるリスクが高くなる。
 では、なぜ約37%なのかということ証明の演算はなかなか難しい。この約37%とは正確にいうと、自然対数の底であるeの逆数なのである。eというのは、この世界を成立させる力学のかなり肝に近いところを支配する数値であるからして、この約37%という特異点が示す意味というのはなかなかに骨太にして深淵なのである。
 
 ③は教訓だ。完璧な到達目標を定め、そこに完全に合致するようにしようとするとものすごく労力・時間・コストがかかるが、“だいたいそこらへんでよし”というところを目指すならば、かなり労力・時間・コストはおさえながら、現実的にはほぼ当初の目的を達成できる。東京メトロ地下鉄を使って銀座駅から六本木駅にいく真の最短ルートを探し出すのは大変だが、とはいえ、よほど見当違いの方向にむかわない限り、どのルートを通ってもその差はせいぜい10分以内である。だったらそこに突っ立っていろいろ調べている時間より、さっさと乗ってしまったほうがよい。
 むしろ正確性を追求しようとして、多大に情報を集めたりすることは逆に「オーバーフィッシング」という現象を起こす。過剰に部分最適化を起こしてしまったり、情報収集に時間を集めすぎて、活用の方に十分な時間が得られず、当初の目的から離れていったりするのだ。
 
 ④はアルゴリズムで支配される世の中との付き合い方だ。ルールを見抜く、というのは「その支配からの逃れられ方」ということである。実は「秘書問題」も「スロットマシーン問題」も「スケジューリング」も、ゲームのようにルールが先に与件として存在していてそれに従って計算すると・・という世界である。アルゴリズムとはそういうものだ。だから前提が変われば計算方法も変わる。例の「秘書問題」37%ルールも、現実的には「相手が断ったらどうするんだ」とか、「以前振ってしまった人にもう1回アタックするのはどうなんだ」とか「最初はなんとも思ってなかったのにだんだん好きになる場合はどうするんだ」とか留保条件をつけると計算方法はどんどん変わっていく。だから、与件を疑うというのは大事なことなのだ。いくら自然対数の底eが相手だとしても、あなたは無批判的に「37%ルール」の奴隷になってはいけないのである。
 そして、実際の世の中を渡っていくとき、変な力学が働いているなと思った時(集団心理的な社会現象や不自然な出会いがある時など)は、何のアルゴリズムがそうしているのかをメタの視点で眺めてみることだ。本書の最後は「ゲーム理論」で、オークションにおける情報カスケード化現象を扱っており、「誰かが自分自身のシグナルを無視して、ただやみくもに先行者についていこうと決めると、非常に重大な影響が生じる」と指摘している。コロナ初期にあったトイレットペーパー買い占め問題なんかがこれだろう。下手にアルゴリズムの中に絡み取られると良くない流れに巻き込まれるリスクがある。そういうときは、絡み取られる前に、そのアルゴリズムを支配するルールの外に脱したほうがよい。(いわゆる「ゲームチェンジャー」というやつである)
 
 
 本書を読んで気づいたことは、未来を少しでもよくしたいならば、直感よりも多少「楽観的」な方に判断したほうが良いということだ。
 「目の前の人が運命の人」と思ってよいし(人はたいていバイアスが働いて見送りがちなのだそうである)、「勝てばキープ、負ければチェンジ」で概ね外さないし、「最も直近に接したものはやはり最も重要なもの」だし、「偶然の産物はむしろ事態を良いほうに化けさせる」力を持つし、「何かを判断するにあたっての情報の量はほどほど」でよいし、「疑わしきは罰せず」で良いし、「はじめのうちはじゃんじゃん失敗してよい」のである。これがアルゴリズム思考と野性的本能が交差するところである。
 

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