読書の記録

評論・小説・ビジネス書・教養・コミックなどなんでも。書評、感想、分析、ただの思い出話など。ネタバレありもネタバレなしも。

NOISE(ノイズ) 組織はなぜ判断を誤るのか?

2022年02月10日 | サイエンス
NOISE(ノイズ) 組織はなぜ判断を誤るのか?
 
ダニエル・カーネマン他 訳:村井章子
早川書房
 
 
 「ファスト&フロー」が超有名なカーネマンの注目の最新作。なんかもう、すべての経営者、マネージャー、ディシジョンメーカー、リーダー、アナリスト、スペシャリストの四肢五体を硬直させること間違いなしの内容である。
 
 我々は日々「判断」を行っている。今日の昼ごはんは何を食べるかも「判断」だし、今週の週末は何をして過ごそうかというのも「判断」である。
 満期になった定期預金をどうするか、というのも「判断」である。新たに繰越すか、他の投信にまわすか、あるいは現金化してしまうか。
 今日はちょっと体調が悪いがどうするか、というのも「判断」である。たいしたことがないとしていつものように過ごすか、大事をとって市販薬を飲んで安静にしておくか、それとも病院に行くか。
 知人から仕事話を持ち込まれてどうするか、受験志望校でどこを選ぶか、これすべて「判断」である。
 
 これら、お金の使い方とか、体調への気遣いとか、仕事や学業の選択とか、「判断」という行為においてはその後の人生に多かれ少なかれ影響を及ぼすものが少なくない。つまり「判断」とは少なからず未来に対しての「予測」とセットであり、それからその予測にむけて実際には何をするのかという「行動」が伴う。そしてその「行動」には「結果」が待っている。
 
 これを突き詰めていくと、人が何かを「判断」するとして、その判断は「結果」からみて「正解」だったのか「間違い」だったのか、という話になってくる。
 たとえば、満期になった「定期預金」の使い道として何を選択するか。「定期預金繰り越し」「他の投信」「現金化して何かを購入する」と選択肢があるとする。実際に我々はこれらの選択肢から1つしか選べない。並行世界SFものならば他の2つを選択した場合、彼の人生はどうなるかが比較できるが現実においては我々は選択しなかった場合にどういう人生を及ぶかは永遠にわからないのである。「繰り越し」と「他の投信」のどちらのほうがその後の人生で「正解」になるかは永遠にわからない。
 そこで我々は、定期預金の使い道について何とかして判断しなければならない。世の中の景気とか金利とか、当面のライフプランとか、銀行員のセールストークなどが頭のなかをぐるぐるとまわる。そしてベストと信じるものを「判断」する。
 
 仮に彼は「投信」に使うということを選択したとしよう。今度はどの商品を選ぶかという「判断」が待っている。我々の人生とは「判断」の連続である。その「判断」の分岐の数だけ、未来の予測はわからなくなる。そんな人生を我々は生きている。
 
 ところで、この「判断」。我々は同じ条件下であれば常に同じ「判断」を下すのだろうか。思考実験的になるが「世の中の景気」「金利」「当面のライフプラン」「銀行員のセールストーク」が同じ情報であれば、彼はいつなんどきでも同じように「投信」を選ぶことになるのだろうか。アルゴリズムであれば同様のインプットは同様のアウトプットをはじき出すはずだ。では人間はどうなのか?
 
 さにあらず。というのが本書だ。
 
 たとえば彼が銀行に行ったときの天気、銀行内の待ち時間、銀行員のちょっとした容姿の違いで、じつは彼の「判断」は異なってくるのだ(セールストークの中身は同じだったとしても)。「世の中の景気」と「金利」の情報のどっちを先に知ったのかでも「判断」は異なってくるのだ(たとえ内容は同じだったとしても)。
 それどころか彼が銀行に出かける前に、家庭の中で奥さんの機嫌がどうであったかによっても、最終的な満期になった定期預金の使い道は異なってきてしまう。本書はそう看破する。
 
 これが「ノイズ」である。我々は「判断」の際、つねにそれがベストであることを信じ、その判断の根拠となるロジックやストーリーの正当性を固く信じているが、実は「ぶれまくり」なのである。我々はたとえ同条件下であっても、決して一貫して同様の「判断」ができる生き物ではないのである。
 
 
 定期預金解約のたとえ話は、しょせん彼自身の人生に跳ね返ってくる話だ。すべては自己責任といってしまってもよい。
 ところが「判断」の中には他人の人生を左右するものが多々ある。たとえば入国審査、診療、人事評価、採用面談、裁判、合コンの品定め・・・
 
 本書によればこれも「ぶれまくり」なのである。つまり我々は他人の「ぶれまくり」な判断に翻弄されているということになる。こちらが同条件下にあろうとも、相手の「ぶれまくり」によって入国審査、診療、人事評価、採用面談、裁判、合コンの品定めの結果は毎回かわってしまうのだ。上司が朝令暮改であることをぼやく話は枚挙にいとまがないが、人間は本質的にそうなのである。
 
 じゃあ、どうすればいいのか。
 
 本書では「判断ハイジーン」という概念が出てくる。つまり、「ノイズ」はあるものという前提のもとで行動をする。具体的には判断のプロセスを前もって周到に決めておく。複数人で判断するとか、その複数人はまず相互に没干渉の状態で個別で「判断」し、それを突き合わせて再度「判断」するとか。判断の根拠となる要素を複数に分解して、それぞれごとに「判断」し、それを組み合わせてどうジャッジするかをはじめから決めておくとか。(先の満期になった定期預金の場合ならば、「世の中の景気」「金利」「当面のライフプラン」「銀行員のセールストーク」それぞれを個別に判断し、それらを係数化して総合判断を行う)
 どういうノイズが入ってくるかわからないがこのプロセスを愚直に行うことがノイズ予防の行動になる。ちょうど、帰宅後に手洗いやうがいを慣行することが、手や喉にどんな菌がついているかはわからないが(オミクロン株かインフルエンザかノロウィルスか・・)とにかく感染症の予防には有効であるように。
 
 ISOなんかの認証の仕組みも同様のコンセプトと言えよう。たとえばISO27001は企業のセキュリティがしっかり為されていることを証明する認証だが、その企業が本当にセキュリティに対して万全なのかは終ぞわからないのである。経営者の証言や社員の顔つきなどから判断することなどできないし、仮に今までセキュリティ事故が一切なかったとしても、今後に何らかのサイバーセキュリティに攻撃突破されないとは限らない。そんな予測はできないのだ。
 ではISOはどうやってその会社がセキュリティ万全と断じるのか。
 ISOは、セキュリティ万全であるための「プロセス」をまず規定し、その企業が「プロセス」に準じているかをチェックするのだ。うがいや手洗いを慣行していれば、100%これで風邪をひかないという保証はないが、しかしかなりの確率で疾患リスクが減ることも事実である。これと同様に、「セキュリティのための専門の部署」があり、「資格を持った人が一定数」存在し、「セキュリティの社内ルールが規則化」され、「定期的に社員に対してセキュリティ教育」が施され、「仮にセキュリティ攻撃を受けたときにどうするかの初動マニュアルが完備がされ」・・などいくつかのプロセスが完備されていれば、かなりの確率でその企業のセキュリティリスクは減ることにはなる。
 このプロセスをもって、この会社はセキュリティがしっかりしていると「判断」され、ISO270001は認証される。逆に言えば、どんなに経営者がカリスマであろうとも、過去に無事故であろうとも、このプロセスが満たされてなければ、その会社はセキュリティ万全とはみなさないのである。
 
 このように「プロセス」遵守という価値観を導入することで、組織の判断として「ノイズ」を減らす努力はできる。つまり、「自ら」のノイズは減らすことができる。
 
 だけれど問題は、「相手」のぶれまくりによって影響を受ける場合、こちら側としての対処はどうすればいいのか。相手にノイズを減らすつもりがなければどうするのか。本書によれば、経営者であれマネージャーであれアナリストであれスペシャリストであれ、おのれの実力を過信している人ほどこういったプロセス導入を毛嫌いする傾向があるという。有能な経営者は直感的決断を大事にする、という神話は後を絶たない。真に予測精度が高い人はむしろ「自分は間違っている」という前提を常に持つ者なのだ。しかしそんな殊勝な心掛けの人は稀有である。
 我々はあいからわず、入国審査官や医者や保険の査定者や上司の人事評価の気まぐれに黙ってつきあうしかないのか。これはもう絶望的な気分になる。
 
 実は、医者においてはセカンドオピニオンという概念が既に成立している。複数の人間にアタックするというのは、ノイズの軽減のために有効な方法だ。
 そこで思い出したのが「ドイツ式交渉術」という本だ。この本には意外なヒントがあった。
 
 本書「ドイツ式交渉術」で、特にポイントになるのが再凸と交渉のススメだ。
 
 この本では、コールセンターなどに相談を持ち掛けて思うような結果が引き出せなかったとき、時間をかけてもう一度電話せよということを述べている。つまり、コールセンターのオペレーターはぶれまくっているのだから、1度目はダメでも2度目は通る可能性は想像以上に高いのだという(違うオペレーターが出れば成功確率はぐっと上がる)。コールセンターのほうにノイズを除去するためのプロセスマニュアルが用意してあることも多いが、案外にマニュアルはたいして対処法を網羅していない。
 
 それに、一人の人間の中でも大いにブレているのだから、時間をかけて手を変え品を変えて交渉するのは十分に有望ともいえる。人間には一貫性のバイアスというのがあって一度下した結論を簡単には変えたがらないが、逆に言えば一貫性を崩す根拠なり状況なりを提示できれば、変更は期待できる。
  「交渉術」というのは、要するに相手の「ぶれまくり」の習性を利用して自分の思惑のように交渉を進めていくテクニックである。時間切れを狙う、相手の疲れているところを狙う、他の人との比較につけこむなど、相手の「ぶれやすさ」をむしろ利用するのである。
 人事評価も文句があるならばやはり言ったほうがいいのだろう。今回はもはや覆らなくても、次回は考慮してもらえる可能性はある。しょせん、上司の人事評価もそのときそのときのノイズでぶれまくりなのだから、こちらからノイズを与えてやってよいのだ。
 
 本書「ノイズ」は、いかに人間は「ぶれやすいか」を白日の下にさらし、せめてものその軽減に「判断ハイジーン」という概念を繰り出しているが、ぶれまくるのが人間であるならば、その「ぶれ」を込みで立ち回るのが社会における生存術ともいえるだろう。
 
 ***
 
 ところで、本書はハードカバーで上下巻。読み通すのに1か月以上かかった。最近ともに読書力が落ちて読んでる先から忘れたり、いつのまにか活字を目で追っているだけでちっとも頭に入っていないことが多かった。
 そこで「マルジニア方式」を採用してみた。ページの余白に感想や連想をどんどん書き込みながら、本と会話するような読書スタイルを通してみた。したがって今回の読書にあって本書は書き込みや傍線がびっしりになってしまった。
 そのような読み方なので、1ページ読み通すのに大変時間がかかり、完読までに1か月以上かかることになった。
 
 だけど、そのような読書法により、今回はけっこう頭の芯にまで入ったような気がする。それどころかペンを片手にしないと読書が落ち着かないような気分になってしまった。読書スピードは落ちるが、しばらくはこのスタイルで行こうと思う。
 

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« マルジナリアでつかまえて ... | トップ | 森のような経営 社員が驚く... »