読書の記録

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ウェブ×ソーシャル×アメリカ <全球時代>の構想力

2011年03月31日 | テクノロジー

ウェブ×ソーシャル×アメリカ <全球時代>の構想力

池田純一

 アメリカがDNA的に持つフロンティアを目指す果てしなき夢は、リアルバーチャル問わず、個人の行動と思考の範囲をどこまで自由に延ばせるか、というところにある。これがカウンターカルチャーにも宇宙開発競争にもつながり、その技術と精神の申し子がARPAネットを経て、今のインターネット網をつくったとも言える。

 このインターネットという場でできた秩序がWEBである。WEBは、情報を水平に遍在させるという機能を持つ。この機能を最大限に引き出し、すべての情報へのアクセスというビジョンでふりきってみせたのがgoogleであった。一方、WEBは情報を遍在させる、ということを「機能」ではなく、デジタルコードへの変換の「足場」ととらえ、「情報」にアクセスするのではなくて人の営みの「場」としてWEBにつくった国家がfacebookだった。

 しかし、ユーザー数5億人であっても、基本的にクローズドな社交システムであるfacebookは、すべての情報へのアクセスを試みるgoogleとは矛盾しあう関係である。この2つの巨頭は、WEBというものの行方をどうしてしまうのだろうか。つまり、facebookの台頭は、WEBの死期を早める――すべての情報にアクセスという観点からはむしろ後退させる動き、とも言えるわけである。もしくは、5億人を越え、いまなお拡大を続けるfacebookという「国家」がやがてWEBを相転移させ、新たな地平をそこに見せるかもしれない。アメリカがファンダメンタルで持つプログラムは、フロンティアを目指して永遠に止まらない。

 

ここで興味深いのはtwitterである。

本書によれば、twitterはソーシャルメディアで、facebookはバーチャル国家である。つまり、twitterはメディアだが、facebookはメディアではない。メディアとは「情報が載る器」とでも考えればいいのだが、「情報の載った器」が自走的に人々の間に行きわたっていくための“匿名性”と”ブロックする権利”をtwitterは備えている(facebookは実名制の相互承認制で、ようするに排他的会員クラブなのである)。

 

人間社会は何でできているかというと、情報の交換で成り立っている。言語は情報を記号化したものだし、情報に定量的単位で一元的な価値の尺度をつくり、さらにそれを持ち運び容易にしたのが貨幣という考え方もあるくらいである。

情報の異配合が社会の進化(イノベーション)をつくってきたし、逆にいえば、クローズドな世界の中での情報交換は成熟こそしても、どこかで自家中毒をおこし、成長から衰退へと推移していく。バーチャル国家としてのfacebookは、宿命的にクローズ性が持つ限界に行きあたる。その矮小なものが日本のmixiではすでに「mixi疲れ」として起こってもいる。

ここにトリックスターのように、つまり異世界からの情報の使者があるとすれば、それはtwitterであろう。情報の正確性が必ずしも担保されないtwitter(本書では「遊戯性」と呼んでいる)が、民俗学でいうところの「旅人」あるいは「悪所」としての機能を持つ。このあたりアメリカというよりはヨーロッパ的な見方かもしれないが、googleという荒野とfacebookという城塞都市の間を出入りするtwitterというのが、いまのWEBという地球なのかもしれない。(そしてappleは人々がまとう衣装といったところか)


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