ヘレン・ケラーはどう教育されたか サリバン先生の記録
著:サリバン 訳:遠山啓序・槇恭子
明治図書
ヘレン・ケラーは、聾唖盲の三重の障碍にありながら、社会福祉活動家として世界を舞台にした偉人として、子ども向け伝記などでもおなじみである。往年の映画「奇蹟の人」も知られているし、来日歴もある。
ヘレンの努力と熱意については、もちろん世界中から敬意を評されてきたわけだが、こと福祉教育の世界では、彼女をここまで導いた先生、俗に「サリバン先生」と呼ばれるアン・マンスフィールド・サリバンが注目されていた。
サリバンが、ヘレンの元に派遣されたのはヘレンが6才のときだった。ヘレンは1才のときに熱病によって視力・聴覚を失い、故に言語の発話も覚えず、なんの教育もされていない「野生動物」だった。
そんな状態の人間をいったいどうやって導くのか? ヘレンの最大の幸運は、このサリバンという名教師に巡り合えたことというのは疑いない。
しかも驚くのが、そのときのサリバンの年齢である。なんと20才。現在の感覚にあてはめるわけにはいかないが、短大出で就職したばかりの新人の教師か保育士をついイメージしてしまう。そんなサリバンは、当時の障碍児の教育メソッドには頼らず、直観と熟慮と経験のトライ&エラーでヘレンを教育したのである。ケラー家の両親の理解や、サリバンの後ろ盾となるパーキンス盲学校のアナグノス校長の支援もあったに違いないが、それにしてもやはり驚く。「奇蹟の人」というのは日本では一般にヘレンのことを指すが、欧米ではヘレンとサリバンの両方を指すようである。
このサリバン先生。実は並々ならぬ苦労人であった。両親はアイルランドからの移民で、アメリカにて極貧の家庭に育った。その後家族離散の憂き目にあい、救貧院に送り込まれた。貧困と不衛生で弱視に陥っており、救貧院では「盲人」として登録されていた。それでも脅威のねばり力で、救貧院にある本を読破し、たまたま査察に来た議員に訴え、盲学校への入学が許された。この盲学校では、ヘレン・ケラー以前に多重障害者として知られたローラ・ブリッジマン(彼女は視聴覚のほか味嗅覚もなかったそうである)と出会っている。こういった壮絶な経験が、一般の障碍児指導の教師とは異なる知識と経験知と意欲を育てたのだろう。盲学校時代に目の手術を行い、いくぶんかの視力を取り戻した。
本書は、そのサリバンの手による、ヘレンの指導の記録である。ヘレン・ケラーに関しては、ヘレン本人による「わたしの生涯」が有名だが、この超難題を前にサリバン自身が何を見て何を思ったのかは、本書のほうが迫真に迫っているだろう。
とくにヘレンの「覚醒」して名高い「ウォーター」のシーンは興味深い。一般にこのシーンは、ヘレンが初めて手に触れた水のことをwaterと認識(指文字で判断したとされる)し、初めて「ものには名前がある」ということを理解した、ということになっている。僕もそう思っていた。しかし実際はもうちょっと複雑なようだ。むしろ健常者がもつ世界認識では図りようもない、想像を超えた位相の転換があったように思える。
実は、サリバンは初めてケラー家を訪問した日、ヘレンに人形をプレゼントしている。このときにサリバンはヘレンに指文字で「doll」と伝えている。ヘレンは「doll」の感触から人形のことを理解していたようである。つまり、ヘレンは「water」よりも前に、dollと人形の関係を知っていたことになる。その後しばらくの間にヘレンは十数個の単語を覚えたそうである。つまりwaterが最初に覚えた言葉ではないのだ。
ではヘレンは「water」でいったい何に開眼したのか?
「water」エピソードの以前に、どうもヘレンは「milk」と「mag」と「drink」の区別がつけられなかったらしい。なるほど、後知恵ならばこれらを区別させる方法を思いつきそうだがそんなのは皮算用。実際に聾唖盲で何の教育もされなかった6才児にこれを認識させることははなはだ難しいだろう。感触だけが手がかりの彼女にとって「doll」とはあの形象のことであり、パーツのことでもあり、それをつかって遊ぶということでもある。所作や対象をどこでどのように区切ってそこに言葉を当てはめていくか、というのは人間が後天的に獲得する知恵である。それどころか、「区切る」という発想をまず理解しなければならないだろう。「区切る」発想なしに、動詞や形容詞、可算名詞や不可算名詞の存在を仄めかしてもわけがわからないはずだ。
これが、庭で水しぶきに触れた感触を得て、このひやっとしてぴしゃっとしたものこそが「water」であると知ったとき、これまで混沌としていたパズルのピースがすべてはまったようなのだ。(このとき手には「mag」を持っていたそうである)
この状況を一生懸命に想像してみる。「doll」のときはスルーされて「water」のときに理解できたこと。それは、世の中の記述の仕方あるいは世の中のコミュニケーションのあり方は、パターン認識および言語体系によって成立しているということを初めて認識したということではないか。これによってヘレンは世界とつながる方法を得たのだった。ものすごくくどい書き方をしているが、言語化以前の世界を認識していた状況から「ものには名前がある」ということを知ったときのパラダイムシフトというのはこういうことなのではないかと思う。
ヘレンがWaterを認識したのは水の感触の記憶からであった。「感触」こそは言語化以前に知覚できる記号情報であり、ヘレンはこのとき「感触」によって、「名前」による人間の所作やモノゴトの「区切り」のことを知った。世界はそのように秩序されているのだ。「ものには名前がある」というのは、「世の中は記述で把握されている」ということなのである。
サリバンは、このWaterのエピソードを「大事な第二歩」を進んだ、と表現している。
これは要注目だ。この有名なエピソードはサリバンにとって「第二歩」なのである。では「第一歩」とはなんであったのか?
ヘレンは「第一歩」にあたる出来事を手紙で報告している。その手紙で「二週間前の小さな野生動物は、やさしい子どもに変わった」と記し、「この小さな野生児は、服従という最初の教訓を学び、そして拘束が楽なものだと気づいた」と表現している。
サリバンがケラー家に到着したときのヘレンは、手の付けられない野生動物だった(「モンスター」と形容されることもあった)。それをサリバンは2週間でおとなしく言うことをきかせられる関係に持っていた。それを「服従」「拘束」と表現している。
しかしこの「服従」「拘束」という剣呑な表現には説明がいるだろう。これは屈服させる、ということでも、無理やり言うことをきかせる、ということでもない。サリバンがヘレンにしてほしいことをヘレンが行えば、サリバンは喜び助かり、そしてヘレンにも良い結果が返ってくる、という善のフィードバックの関係性を知るということだ。同じく、ヘレンの要望をサリバンが進んで叶えてくれれば、それはヘレンにとって望ましいだけでなく、サリバンにとっても満足感を得られるものことであり、二人の間により善の相乗効果が働く。
これは要するに愛と信頼による相互関係の形成である。単にサリバンとヘレンの間柄だけではなく、家族や外部の人たちとのこともあてはまる。人間には相互に愛と信頼があり、それが安心の秩序となって両者が共有できる文化となる。愛と信頼は言語非言語を問わない。ヘレンは「野生動物」であった。その「野生動物」にサリバンがまず注入したのは、「人と人の関係の作り方」だ。言語はその次なのである。この後長じてヘレンは外に対して愛の態度を積極的にとっていく。その外向きの姿勢によって次々と新たな知識を吸収していく。
まずは愛と信頼関係の構築。これが「第一歩」。そして「ものには名前がある」ことに覚醒した「第二歩」。このプロセスこそが多いに敷衍できるサリバン先生の功績なのだった。
とはいえ、もちろん順風満帆にいくわけはないのであって、初期は言うことを聞かない「野生児」のケラーを何時間にもわたって取っ組み合って押さえつける日々を余儀なくされている。映画でも描かれているシーンだ。思うに、子どもの体力を上回るガッツこそ、二十歳という若さのたまものだったかもしれない。
サリバンはその後、ヘレンの人生にずっと付き添った。眼病には長年悩まされ、70才で完全に失明した。