明仁天皇と平和主義
斉藤利彦
朝日新聞社
生前退位が報じられてクローズアップされた明仁天皇であるが、実は昭仁天皇という人が、どのような人なのか、そもそも現代日本における天皇とは何なのかを、本気で考えたことはなかった。
そこで本書を読んでみたのだが、思わず涙が浮かんでくる内容だった。著者の書きぶりはやや主情が勝りすぎた部分がなきにしもあらずだが、とはいえ、様々な文献や明仁天皇の発言録にあたっての考察の体をとったものであり、迫真に迫ってくる。
「天皇は日本の象徴である」というのは、日本人にはよく知られた定義である。しかし、「日本の象徴」とは何か、というのは実は難しい問題である。
たとえば富士山は日本の象徴という言い方をする。桜は日本の象徴という言い方もあるだろう。しかし、天皇と富士山と桜が同列というのも考えにくい。
本書は、明仁天皇が「象徴天皇とは何か」をつねに自ら問い続け、責任をもって実践してきた「人」として論述している。
「人」としての天皇の対義には、「制度」としての天皇がある。
「制度」としての天皇がいかにがんじがらめであるかは皇室典範を始めとしてよく知られたところであり、その公務の在り方は雅子さまの体調ひとつ見ても十分に察せられるものであるが、昭仁天皇は「制度」としての天皇あるいは皇室というものを十二分に自覚し、全うしながら、しかし「象徴天皇」としての試行錯誤というか不断の決意で日々に挑んでいる。それは明仁天皇がインタビューで答えた「立場上、ある意味ではロボットになることも必要だが、それだけであってはいけない。その調和が難しい」と述べたことにも現れている。
その「調和」こそが、「象徴天皇」とはなにか、という明仁天皇の内省と実践によって追い求めていることだ。
明仁天皇が「象徴天皇」として挑んでいることは「国民への共感と共苦」というものであった。「国民の現実の苦楽に常に関心を寄せ、共感と共苦を求める」というものであった。
そして、そのために国民の苦楽のあるところは進んでその中に入っていて、一生懸命にその渦中にある国民の心情に寄り添い、そして平和への希求を願う。
この「平和」とは単に「戦争のない状態」だけではない。本書の記述を借りれば、国民の命の尊敬、人権と民主主義の尊重、自然と環境の保全、国際親善、そして甚大な自然災害の下でも人々がともに支え合い、復興の課題を見出していこうとする状態を含んだものである。
本書では、その実例として、東日本大震災後における明仁天皇と美智子皇后の行動を追っている。
明仁天皇と美智子皇后のそのありようは、まさに宮沢賢治の「雨ニモマケズ」にうたわれる人そのものである。
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ
明仁天皇とはまさにサウイフモノなのであった。
それはまさしく「国民への共感と共苦」への積極的関わりそのものであり、それが「日本の象徴」というものなのだった。そういった明仁天皇の「人格その識見」に寄せる民心の支持こそが、日本国民の総意として天皇制を支えるという、日本国憲法第一条につながっていくのである。
実は、初めから「象徴としての天皇」としてその座についた天皇は、明仁天皇が最初である。昭和天皇は天皇在位中にその立場の在り方が「主権」から「象徴」に変わったのである。
つまり、明仁天皇は皇太子時代から「象徴天皇」としての前提と覚悟で過ごし、1989年に「日本国民の総意に基づく日本の象徴としての天皇」に即位した。純粋な象徴天皇としては、明仁天皇が日本史上最初とも言え、初代「象徴天皇」としての責務を追い求めたのであった。
これはもしかして、究極のリーダーシップの姿ではないかと思う。リーダーは「象徴」でなければならない。こんなに厳格で悲壮でしかし誇り高きリーダーの在り方があるだろうか。