読書の記録

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マンガホニャララ

2010年06月18日 | 言語・文学論・作家論・読書論
マンガホニャララ

ブルボン小林

ついついおもろくて一気読みしてしまった。
著者のブルボン小林とは、ふざけた名前だが、実は芥川賞も受賞した長嶋有である。

おちゃらけて、軽いノリのようでいて、実はかなりスルドい。これ1冊頭にたたき込めば、飲み会でのネタは抜群である(相手を選ぶが)。たとえば、「美味しんぼ」の根底にあるのは産めよ増やせよであるとか、「ドラえもん」の画期的なところはタイムマシンを「板状」にしてしまったこととか、「かりあげクン」は笑わないとか。

こういった指摘はもちろんのこと、「ドラえもん」以降、子供向けの絵本のヒットがなくなった、これは本来絵本が与えていた夢や希望やわくわくをすべてドラえもんが回収してしまったからだ、というのは、結論急ぎすぎとはいえ、看過するにはもったいない指摘である。「ぐりとぐら」「はじめてのおつかい」といった子供向けロングセラー絵本は、たしかにドラえもんのエピソードとしても成立しそうなのである。「こんとあき」に至っては、僕なんぞは絵本版ロードムービーと見立てたつもりだったのだが、ドラえもん的プロットの完全な支配下にあるというこの指摘に、ぐうの音も出ない。

本書が面白いのは、数あるマンガを挙げて、それを単なるクオリティとしての出来不出来の批評にするではなく、社会との関係性や、作品が持つテーマ(裏テーマまで)の時代的意味につなげようとしているからである。そして、作品を通じて、作者の思想(本音)に迫ろうとしている。

だから、たとえば絵柄の描写とか、コマ割に見せる技術論などはあまりない。要するに文学批評の方法論をマンガに対して行っているとも言える。マンガに文学批評を持ち込むのは決してこれが初めてではないが、これだけ人口に膾炙されたメジャーな、ある意味「易しい」作品をずらりと並べてやってしまうのは爽快でさえある。

そんな中、浦沢直樹の作品に見せた厳しさは、小説家という同じ創作家として指摘せざるをえなかったのだろう。手塚治虫の「史上最強のロボット」を拡大に拡大のパラフレーズで再生してみせた「PLUTO」は、僕は素直にのけぞったものだが、安直なロマン主義に堕したともいうようなこの批評は、まさに近代文学そのものの主張のように思えたのだった。まあ、相手は娯楽マンガなんだからさ、というのは野暮なのであろう。

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