砂漠の音楽

本と音楽について淡々と思いをぶつけるブログ。

フジファブリック「FAB FOX」

2017-05-18 11:12:51 | 日本の音楽


彼が亡くなってもう何年たつのか、だんだん忘れてきている


ちょっと気が早いけれど、もうじき梅雨がやってくるから今日はこの1枚を(投稿時間を気にしたら負けだと思う)。
フジファブリック、メジャーデビューして2枚目のアルバム『FAB FOX』。この作品は、おそらくフロントマンの志村正彦(Vo/Gt)が一番思い悩んでいた頃のものじゃないだろうか。志村が生きているときの後期の作品『CHRONICLE』なんかも、きっと思うところがあったんだろうけれど(ポリープの手術とかあったし)、でもそれぞれの曲の持つ「重さ」というか「エネルギー」はこの作品に収録されている方が濃密だ。だからこそ、頭を鈍らせる梅雨の湿気を吹き飛ばすにはもってこいだと思う、ちょうど「Sunny Morning」「虹」といった、晴天を思わせる曲も入っているしさ。

1stアルバム『フジファブリック』はメジャーデビューしたこともあって、「見せてやるぜ」という意気込みが伝わってくるような野心作だった。日本のバンドでは珍しいことに、いきなりバンド名をアルバムのタイトルにしたこともその表れではないだろうか(1stアルバムをセルフタイトルにしたバンドを、私は「レキシ」とか「スピッツ」くらいしか知らない笑)。
その作品に収録されているM3「陽炎」M9「赤黄色の金木犀」は文句なしに良曲だし、M6「Tokyo Midnight」は60年代ロックみたいな音楽に「パジャマで~パヤパヤ~♪」みたいなどこまで真面目なのかわからない歌詞が乗っかっている変な曲(誉め言葉)で、M8「サボテンレコード」にはひねくれたリズムとサビのポップさがいい具合に併存している。後半の山内氏によるギターも格好いい。
それまでインディーズから発売されていた『アラカルト』などの要素がちりばめられつつも、くせのあるコード進行やメロディ、意外性のある展開から、フジファブリックの魅力が存分に発揮されているものだと思う。ただちょっとした気負いみたいなものもあるのか、志村が書く詞には後期作品にみられるような「自分のどうしようもなさ」「自分の弱さ」みたいな部分はまだ表れていない。そこはちょっと惜しいな、と思う。


今回紹介する『FAB FOX』はどうだろうか。正直言ってこの作品はなんだかよくわからない。1stよりもまとまりがないと言ってもいいかもしれない。いきなり変なリフで始まる「モノノケハカランダ」(これはギターのことを歌った曲らしい、「ハカランダ」とはブラジリアンローズウッドという、楽器の素材となる樹木の別称である。3回目のAメロのギターが格好いい)、中盤の「マリアとアマゾネス」「地平線を超えて」は志村が好きな60~70年代ロックをこねくり回したような曲で、「唇のソレ」はカントリー調のフェティッシュ曲、「水飴と綿飴」はセンチメンタルなバラードだ(この曲はギターの山内氏によるものである)。
でも全体を通して聴いたとき、一番心地よいというか「ああ、一つの作品を通して聴いたな」という実感を持てるのは、彼らのなかではこのアルバムだと思う。曲の配列が良いのもあるだろうし、他のアルバムにはない独特のテンション(緊張感)があるからかもしれない。そしてたぶん金澤ダイスケ(Key)の、縁の下の力持ち的な影響が強いようにも思う。

この作品は、なんといっても後半の畳みかけがすごい。「虹」「Birthday」「茜色の夕日」という並び、圧巻。特にM11「Birthday」の存在が大きい。4枚目の『CHRONICLE』の最後に入っている「ないものねだり」という曲もそうだけど、終わりの方にこういう曲を入れてくるのがまた憎いというかなんというか。ぐっとくるのである。アルバムももうそろそろ終わりだな、と肩の力が少し抜けたタイミングで、ちょっとひねくれているけれども可愛げのある曲を志村に歌われると。

―今日は特別な夜さ 素敵な夢を見れたらなあ
 明日が待ってる ゆっくり帰ろう
―今日は特別な夜さ 素敵な夜になりそうだ
 みんなが待ってる 急いで帰ろう 「Birthday」


「素敵な夢」はひとりの世界の話だし、「みんなが待っている」というのは人と交わっているときの話だ。
私たちはこうやって、ひとりの時間と人といる時間を交互に繰り返して、歳をとりながら生きていく。人が生きるうえではどちらも大切な時間だ。そうやってひとりで、ときに人と関わっていくなかで自分が生きているという実感を、ほんのりだけれど意識させる歌詞ではないだろうか。
そんな解釈はさておき、飾り気があるわけでもないが実にいい曲だと思う。「小さい頃はなんにでもなれると思っていた」という、誰もが思ってはやがて忘れていっちゃうようなことを、とても丁寧に言葉に、曲にしている。

そして本作の最後を締めくくる「茜色の夕日」だけ、インディーズ時代の曲を再録したものだ。「線香花火」とか「環状七号線」「消えるな太陽」とか、他にもいい曲はたくさんあるのに、どうしてこの曲がアルバムに入ったのだろうか?
ただたんにいい曲だから、というのもあるかもしれないけれど、実際のところどうだったんだろう。「茜色の夕日」は、志村が山梨から東京に出てきて初めて作った曲だと聞いたことがある。このアルバムに収録したのは、自分はここからスタートしたんだ、という彼の思いもあったのかもしれないし、今までやっていたことを清算してもう一度スタートしようとしたのかもしれない。彼にとって思い入れが強い曲であることは間違いないだろう。この曲も山内氏のギターが格好いい、派手ではないけれどいいところにいい具合にギターが入っている。

このアルバムを出したあとドラムの足立氏が音楽性の違いを理由に脱退し(私は志村からクビ宣告されたのだと思っているけど)、バンドの雰囲気はまた違ったものになっていく。そこから先の音楽もまたいいんだけれど、それは別の機会にお伝えすることにしよう。
とはいえ、もういない志村のことを考えながらこのアルバムを、「茜色の夕日」を聴くと、なんとも言えない切ない気持ちになるものだ。


それにしても変なジャケットである。若い人が見たら某MAN WITHと勘違いしそうだ。

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