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芸術と向き合う

2008-08-24 | 不思議なことや気付きや癒し的なこと
 以下、週はじめから書き散らして、まとまっていなかった。
でも書いておきたいと思った。長いです。

         ・ ・ ・ ・ ・ ・

 ワークショップが終わってしまった…。
思うように動けなかろうが、聞きたくない事を指摘されようが、ここしばらくこれ以上なかったほど幸せな1週間だった。カラダをほぐしまくった7日間だったから、月曜にずっとPCの前にいたら火曜日腰が痛くて困ったので、翌日からひとに笑われながらも片隅で真剣にストレッチをするようになった。
 「月・火はなんか別人だったもんね~」と友人に言われた。溜息。


 今回参加を決めたのは開始の前日。前々夜の連絡で、10年以上前長期のワークに通った茗荷谷で、演劇学校の友人と急に会うことになった。彼女とお昼を食べた後、あれ以来初めてあのときの稽古場を見に行った。暗黒舞踏の土方巽も若き日に稽古していたというお寺の本堂。濃密な創造の時間を欲している自分に気付いて、現在は歌う者である私が得るものがあるのかどうかわからなかったが主催者へ連絡したら、しっかり憶えていてくれた。

劇場が好きで、そこで行われることが好きで、そこにいる人種が好きで。

 他の誰にも出せないと評価される歌声が突然出るようになって、大きなチャンスやサポートしてくれる人々に恵まれて以降、この9年あまりミュージシャンであろうとしてきた。しかし実際に楽器の演奏家などと付き合ってみると、肌合いが違うことにかなり戸惑っていた。(音楽家はエピキュリアンであるとか、ステージ以外では派手ギライな私にヴォーカリストは普段からド派手に目立ってなくちゃいけない、と説教するとか。ダンサーや女優は日常はすっぴんというひとも少なくないのに★)その後の予想だにしなかった試練の連続に生命力の枯渇を痛感して、ここ数ヶ月自分の原点に帰ろうとしてきた。このワークショップも、何にも邪魔されずに芸術が創造されたあの場に再びどっぷりと浸かりたかったのだとあとから気付いた。今回はそこまで厳しいものではなかったにしても。

 J-POPのTOMOKOしかご存知なければ、芸術という言葉はちゃんちゃら可笑しいと思う方もあるだろう。しかし私はそれが私の魂の本筋であることに今度こそ気付いてしまった。それで生計を立てるか立てないかはまた別として。

 不思議なのだが、開始前日の彼女も、旧盆中に会った劇団を長く休団している舞台女優の友人も共にTOMOKOは現役のアーティストなのだから、という言葉をかけてくれた。(更に開始前日の彼女は自分の大学の授業が演劇関係の座学だったので今の私に必要だろうと潜り込ませてくれた。ありがとう)それなりのクオリティの音楽は作り続けているはずだけれど、発表の場がきわめて少ない私をそう思っていてもらったことが意外であったと同時に、そうやって認めてくれる彼女たちに心から感謝した。

 もしそれがなくても生きられるなら、別の何かを探せれば、ある部分では楽になるのだろう。結婚でも、仕事でも。けれど私はそれらに流されて大事なものを見失うことを最も怖れたし、それにしっかりと触れていない期間は実際幸せではなかった。
 AIBO-M氏も私も、それがないと自分から乖離してしまうという理由で、ゆっくりではあるが作品を作り続けそこに留まり続けてきた。精神性と芸術性をこれほど理解しあえるパートナーにめぐり合えなければ、お互い、音楽活動もとうにやめていただろうとときどき話す。
 けれど全方位型ヴォーカリストは芸術のジャンルという枠もとらわれなくてもいいのかもしれないと。私たちのバンドも総合芸術的なものであってよいという話をAIBO-M氏ともした。そもそも彼の曲自体が映像的なのだし。だからこれからも私は歌い続けるし(おそらくそれは歌声を与えられた私の役割なのだ)同時に私の追及したいものも追及してゆくような予感がしている。

 今回再会した劇団阿彌主催者の岡村さんと、長く公演をしない期間を挟んでも彼を慕って黙々と深く厳しいワークを続けてきた若い劇団員諸君に尊敬の念を覚える。彼らの嘘のない身体の存在感。芝居は心の闇や暴力に関わるニュースを見るのがきつい私には題材が重すぎて(舞台にかけるのは現実の殺人事件や病んだ精神から始まるものばかりだったから)もしも同じ深さで、それがゼロに近いところから始まって光へと向うベクトルのものであったなら、舞台上で「おのれのはからいを超えた」経験をして間もなかった10年前の私ならずっと参加し続けたかもしれない。あれ以来、そこへ帰る道を探し続けてきたのだから。


…昔は芸術と心中するタイプを避けていたはずだったのに(苦笑)
しかしあのまま演劇に留まっていたなら、大地の声は発現していたのか、していなかったのか。まあ、いい。

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2 Comments

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演劇! (えみごんす)
2008-08-31 09:10:26
いつもTOMOKOさんのblogを楽しみにしています。
演劇のワークショップ・・・私も行きたい!
主婦として母として、今はすっかり現実に生きている私。
それは幸せだけど、感性が研ぎ澄まされる瞬間の感動が恋しくもあります。
やっぱり忘れられないものですね~

TOMOKOさんのお陰で、私もわくわくやる気が出ました。
ありがとう!!



演劇というか。 (TOMOKO)
2008-08-31 22:45:21
えみごんすさん、初コメントありがとう♪

演劇といっても彼らのは非常に前衛なのです。劇団を名乗っていますが、演劇と定義すること自体が実はちょっとギモン。私たちのやっていたことと比べると、こちらは舞踏の身体性に台詞がついているというほうがむしろ近いような。
私の求めているものはそのあたりに漂っているらしいと卒業してかなりたってから気づきました。

さて、同期で最も巧かったという誉れ高きえみごんすさんが、いろいろな経験を経て再びやる気になったら、何をやらかしてくれるだろう。先が楽しみ!

私もいわゆる現実に煩わされることばかりですが、今の私はどうやら夢とうつつがとうとう逆転したようです。

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