私が本好きになったのはいつからだろう。
中学生の時は国語のテストがものすごく苦手で、文章問題の点数がひどかった。
文学なんて冗長なものを読む人は余程の暇人でしかないと思う。いまでもそう思う。
小中学生で、読書課題があったが、特に面白い本に出合わなかったために、
私は本を読むことが特別なことでなく、ひたすら億劫な出来事でしかなったと思う。
では、私が本好きになったきっかけは何だろう。高校生?いや、あのときはひたすらゲーム・漫画のことしか考えていなかった。
分かった。18歳の頃に読んだ本。
池田晶子「残酷人生論」
やっぱり、始まりはこの本だった。
池田晶子から、
埴谷雄高につながり、
ドストエフスキーにつながり、
そこから無数に拡散した。
だから、私が本好きになった「残酷人生論」が皆に一番伝えたい、本の醍醐味を語ってくれるはずだ。
この本はどんな魅力をもっていたか。
語りかけてくるような文章。諭すような文章。人を楽しませるために書いていない。
これまでの文学とは全く異質のものなのだ。これはただの書物ではなく、伝道の書なのだ。
扱っているテーマは、とてもありふれている。家族、死、生、幸福、愛、どこにでもあるもの。
だから、何かの知識がないと読めないという本ではなく、誰でも読める本になっている。
これはとても重要な要素だと思う。表現じゃなくて、中身勝負。真っ向ストレート勝負。
「何故人をころしてはいけないのですか。」
「そんなの分かってる。決まりだからだ。」
世の中の大人がはっきりと教えてくれないことを彼女ははっきりと明快に答えていく。
それが気持ちよかったのだろう。
しかし、彼女は私たちに安住の地だけを与えるのではなかった。
「自分自身で考えなさい」
そう言い残して、彼女はこの世を去った。
中学生の時は国語のテストがものすごく苦手で、文章問題の点数がひどかった。
文学なんて冗長なものを読む人は余程の暇人でしかないと思う。いまでもそう思う。
小中学生で、読書課題があったが、特に面白い本に出合わなかったために、
私は本を読むことが特別なことでなく、ひたすら億劫な出来事でしかなったと思う。
では、私が本好きになったきっかけは何だろう。高校生?いや、あのときはひたすらゲーム・漫画のことしか考えていなかった。
分かった。18歳の頃に読んだ本。
池田晶子「残酷人生論」
やっぱり、始まりはこの本だった。
池田晶子から、
埴谷雄高につながり、
ドストエフスキーにつながり、
そこから無数に拡散した。
だから、私が本好きになった「残酷人生論」が皆に一番伝えたい、本の醍醐味を語ってくれるはずだ。
この本はどんな魅力をもっていたか。
語りかけてくるような文章。諭すような文章。人を楽しませるために書いていない。
これまでの文学とは全く異質のものなのだ。これはただの書物ではなく、伝道の書なのだ。
扱っているテーマは、とてもありふれている。家族、死、生、幸福、愛、どこにでもあるもの。
だから、何かの知識がないと読めないという本ではなく、誰でも読める本になっている。
これはとても重要な要素だと思う。表現じゃなくて、中身勝負。真っ向ストレート勝負。
「何故人をころしてはいけないのですか。」
「そんなの分かってる。決まりだからだ。」
世の中の大人がはっきりと教えてくれないことを彼女ははっきりと明快に答えていく。
それが気持ちよかったのだろう。
しかし、彼女は私たちに安住の地だけを与えるのではなかった。
「自分自身で考えなさい」
そう言い残して、彼女はこの世を去った。