カンボジアはアンコールワットを
旅行してきた職場の同僚にお土産をいただきました🎉🎉
若干、割れてしまったクッキーと蓮のお茶(LOTUS TEA)、そしてカンボジアでは香辛料のダイヤモンドと呼ばれるブラックペッパーです
もったいないカンジがして、香辛料はしばらくは使えませんが(笑)
ティーバックのお茶を
早速飲んでみたところ、思いのほかスパイシー💦
何というか、お土産が全体的にスパイシーと言うか、独特な香りです。
まさにカンボジアの風を感じました(笑)…
写真を2枚分けてもらったので、紹介します。
現地で見たら、きっと感動するでしょうね(遠い目)
▲幻想的な夕暮れを背景にb
【アンコールワット:その歴史】
12世紀前半、アンコール王朝のスーリヤヴァルマン2世によって、ヒンドゥー教寺院として三十年余の歳月を費やし建立される。
1431年頃にアンコールが放棄されプノンペンに王都が遷ると、一時は忘れ去られるが再発見され、アンチェン1世は1546年から1564年の間に未完成であった第一回廊北面とその付近に彫刻を施した。孫のソタ-王は仏教寺院へと改修し、本堂に安置されていたヴィシュヌ神を四体の仏像に置き換えたという。
1586年、ポルトガル人のアントニオ・ダ・マグダレーナが西欧人として初めて参拝し、伽藍に対する賛辞を残している。1632年(寛永9年)、日本人の森本右近太夫一房が参拝した際に壁面へ残した墨書には、「御堂を志し数千里の海上を渡り」「ここに仏四体を奉るものなり」とあり、日本にもこの仏教寺院は知られていた事が伺える。1860年、寺院を訪れたフランス人のアンリ・ムーオの紹介によって西欧と世界に広く知らされた。
1887年、カンボジアが仏領インドシナとされ、1907年にシャムからアンコール付近の領土を奪回すると、フランス極東学院が寺院の保存修復を行った。1972年、カンボジア内戦によって極東学院はカンボジアを離れ、寺院はクメール・ルージュによって破壊された。この時に多くの奉納仏は首を撥ねられ砕かれ、敷石にされたという。
1979年にクメール・ルージュが政権を追われると、彼らはこの地に落ち延びて来た。アンコール・ワットは純粋に宗教施設でありながら、その造りは城郭と言って良く、陣地を置くには最適だった。周囲を堀と城壁に囲まれ、中央には楼閣があって周りを見下ろすことが出来る。また、カンボジアにとって最大の文化遺産であるから、攻める側も重火器を使用するのはためらわれた。当時置かれた砲台の跡が最近まで確認できた(現在は修復されている)。
だがこれが、遺跡自身には災いした。クメール・ルージュは共産主義勢力であり、祠堂の各所に置かれた仏像がさらなる破壊を受けた。内戦で受けた弾痕も、修復されつつあるが一部にはまだ残っている。
内戦が収まりつつある1992年にはアンコール遺跡として世界遺産に登録され、1993年にはこの寺院の祠堂を描いたカンボジア国旗が制定された。
今はカンボジアの安定に伴い、各国が協力して修復を行っており、周辺に遺された地雷の撤去も進んでいる。世界各国から参拝客と観光客を多く集め、また仏教僧侶が祈りを捧げている。参道の石組みの修復は日本人の石工が指導しており、その様子はNHK「プロジェクトX」で取り上げられた
▲「天空の城 ラピュタ」を彷彿とさせる情景が其処彼処に…
【観光】
シェムリアップの中心部から北に6.5kmほど離れており、公共交通機関はない。アンコール遺跡全体が広い範囲に点在していることもあって、タクシー、三輪タクシー、バイクタクシーなどをチャーターするか、レンタサイクルを利用するのが一般的である。
この寺は西を正面としており、午前に写真を撮ると逆光になるため、午後の観光が好まれる。日の出が美しく、早朝に訪れる人も多い。正面からは年2度中央の祠堂からの日の出を見ることができる。
第三回廊への13メートルの石段は急である。登る事を諦め、ただ第三回廊を見上げ続ける人々も見られる。なお、第三回廊は修復工事のため2007年10月1日から立ち入りが禁止されていたが、2010年1月15日より拝観を再開した。
(以上、ウィキペディアより)
お返しにと…
我が家の味=カトルカール(パウンドケーキ)を焼きました。
本当に是非行ってみて下さい。ベトナムはせわしい感じの町だったけど、カンボジアのシェムリアップは穏やかな町で、アンコールワットと共に地元の人も生活してるって感じで、とっても素敵でしたよ
いつか入れなくなるらしいから、また行きたいな
こちらこそ素晴らしい写真をありがとう(^人^)
いつかは入れなくなってしまうし、願わくば行ってみたいね(>_<)