
我が家は日頃から貯金をして年に何度か国内を旅行しています。
基本的には電車やバスを乗り継いで目当ての観光スポットに向かうワケですが、行く先々で気付かぬうちにとんでもない距離を歩いてしまい、屁たることもしばしば...
ということで時にはノンビリした旅に出ようと、
食事と温泉だけに特化して「箱根千石原プリンスホテル」を妻が予約してくれたのが事のはじまり。

▲旧東海道「酒匂川の渡し」をデザインした小田原市のマンホール
まだ見ぬ地を散策することは旅の醍醐味かもしれませんが...
“ソワソワしない”“あまり動かない”で、その地(空間)をノンビリと贅沢な時間と共に過ごすこともまた一興かと思います。
(いつもの旅行記に比べると退屈だったかもしれませんね)
ということで旅の目的は達成できましたが、最後は小田原城界隈を少し散策して旅を締め括りました。

▲小田原城はまたの機会にw
天守閣まで昇ってしまうと時間が読めないので、小田原城を横目に敷地内に鎮座する「報徳二宮神社」に立ち寄ることに。
(敷地内には他に「蓮池弁財天」もあります)
こちらの御祭神は二宮尊徳翁(にのみやたかのりおう)。
その名の如く二宮尊徳を祀る神社で、二宮尊徳の教えを慕う6か所の報徳社の総意によって彼の生地である小田原にて1894年(明治27年)に創建されました。

▲創建以来100年以上経った今尚、小田原の地で厚く信仰されている神社
二宮金次郎(公文書:金次郎/自筆:金治郎)こと二宮尊徳翁は1787年(天明7年)相模の国栢山村(今の小田原市栢山)に生誕。
幼少時に父母を亡くし一家離散してしまった金次郎少年は親戚の家に預けられ、朝早くから夜遅くまで働く傍ら、僅かな時間でも勉強を続け、先人の教えを身につけました。
我々が目にする金次郎少年の像は、正にこの時の姿でしょう。
その後も懸命に働き続け、24歳までに一家の再興を果たしました。

▲錦鯉が泳ぐ神池
成人した金次郎こと二宮尊徳翁はその才能と手腕を買われ、小田原藩家老服部家の財政再建を手始めに数々の大名旗本等の財政再建と領民救済、そして多くの農村の復興事業を行いました。
私利私欲に走らず、社会に貢献することで巡り巡って自分に還元される「報徳思想」という経済思想を広め、世のために一生を捧げた人物です。

▲二宮尊徳翁像
兵庫県西宮市報徳学園創立100周年記念として彫刻家 南部祥雲氏に依頼作成された「二宮尊徳翁立像」10体の内1体。

▲二宮金次郎像
境内には背中に薪を背負いながら読書をして歩くお馴染みの金次郎像がありました。
同じ像は全国の小学校に向けて約1,000体制作されましたが、戦時中にほとんどが供出されてしまったので、今でも残っている貴重な一体だそうです。
改めて拝見して、その勤勉な姿勢が伝わってくる像でした。
彼のように一生を世のために捧げられる人間は極めて少ないと思いますが、それにしても傍若無人な発言や行動をする公務員が昨今は目立ちすぎます…
自ら国のために身を捧げる決意をもって公務に就いている人だからこそ、こうした偉人の生き様をを今一度手本にしてもらいたいですね。
最後になりますが、箱根千石原プリンスホテルのショップで購入したチョイ食べと手土産のお菓子を書き留めておきます。

▲箱根SAGANUYAのカソナードフルーツケーキ

▲箱根強羅の名店「銀豆腐」の豆乳を練りこんだ「銀のメイプルパンケーキ」

▲小田原柑橘倶楽部 片浦レモンジェラート
僅か一泊二日の旅行でしたが、長らくお付き合い頂きましてありがとうございまsた。
次回は従前に戻ってアクティブな旅行記をお届けする予定です

基本的には電車やバスを乗り継いで目当ての観光スポットに向かうワケですが、行く先々で気付かぬうちにとんでもない距離を歩いてしまい、屁たることもしばしば...
ということで時にはノンビリした旅に出ようと、
食事と温泉だけに特化して「箱根千石原プリンスホテル」を妻が予約してくれたのが事のはじまり。

▲旧東海道「酒匂川の渡し」をデザインした小田原市のマンホール
まだ見ぬ地を散策することは旅の醍醐味かもしれませんが...
“ソワソワしない”“あまり動かない”で、その地(空間)をノンビリと贅沢な時間と共に過ごすこともまた一興かと思います。
(いつもの旅行記に比べると退屈だったかもしれませんね)
ということで旅の目的は達成できましたが、最後は小田原城界隈を少し散策して旅を締め括りました。

▲小田原城はまたの機会にw
天守閣まで昇ってしまうと時間が読めないので、小田原城を横目に敷地内に鎮座する「報徳二宮神社」に立ち寄ることに。
(敷地内には他に「蓮池弁財天」もあります)
こちらの御祭神は二宮尊徳翁(にのみやたかのりおう)。
その名の如く二宮尊徳を祀る神社で、二宮尊徳の教えを慕う6か所の報徳社の総意によって彼の生地である小田原にて1894年(明治27年)に創建されました。

▲創建以来100年以上経った今尚、小田原の地で厚く信仰されている神社
二宮金次郎(公文書:金次郎/自筆:金治郎)こと二宮尊徳翁は1787年(天明7年)相模の国栢山村(今の小田原市栢山)に生誕。
幼少時に父母を亡くし一家離散してしまった金次郎少年は親戚の家に預けられ、朝早くから夜遅くまで働く傍ら、僅かな時間でも勉強を続け、先人の教えを身につけました。
我々が目にする金次郎少年の像は、正にこの時の姿でしょう。
その後も懸命に働き続け、24歳までに一家の再興を果たしました。

▲錦鯉が泳ぐ神池
成人した金次郎こと二宮尊徳翁はその才能と手腕を買われ、小田原藩家老服部家の財政再建を手始めに数々の大名旗本等の財政再建と領民救済、そして多くの農村の復興事業を行いました。
私利私欲に走らず、社会に貢献することで巡り巡って自分に還元される「報徳思想」という経済思想を広め、世のために一生を捧げた人物です。

▲二宮尊徳翁像
兵庫県西宮市報徳学園創立100周年記念として彫刻家 南部祥雲氏に依頼作成された「二宮尊徳翁立像」10体の内1体。

▲二宮金次郎像
境内には背中に薪を背負いながら読書をして歩くお馴染みの金次郎像がありました。
同じ像は全国の小学校に向けて約1,000体制作されましたが、戦時中にほとんどが供出されてしまったので、今でも残っている貴重な一体だそうです。
改めて拝見して、その勤勉な姿勢が伝わってくる像でした。
彼のように一生を世のために捧げられる人間は極めて少ないと思いますが、それにしても傍若無人な発言や行動をする公務員が昨今は目立ちすぎます…
自ら国のために身を捧げる決意をもって公務に就いている人だからこそ、こうした偉人の生き様をを今一度手本にしてもらいたいですね。
最後になりますが、箱根千石原プリンスホテルのショップで購入したチョイ食べと手土産のお菓子を書き留めておきます。

▲箱根SAGANUYAのカソナードフルーツケーキ

▲箱根強羅の名店「銀豆腐」の豆乳を練りこんだ「銀のメイプルパンケーキ」

▲小田原柑橘倶楽部 片浦レモンジェラート
僅か一泊二日の旅行でしたが、長らくお付き合い頂きましてありがとうございまsた。
次回は従前に戻ってアクティブな旅行記をお届けする予定です

