副田本道の「平和維新」

私の夢:「平和維新」を世界の共通語にすること。

戦争のない平和な日

2010-12-14 17:35:37 | Weblog
WEB入口は阿修羅掲示板(http://www.asyura.com/)。一粒万倍日。来訪者様に感謝。
ブログ「伊勢白山道」の紹介です。伊勢白山道様に感謝。

戦争のない平和な日を求めて、「平和維新」のブログを、続けています。
うれしいことに、ここに紹介するブログの記事に、その解答がありました。

>人類から戦争を無くさせるのは、先祖霊への感謝供養による人類の遺伝子のククリ直しと、心に内在する神様へ感謝することなのです。


紹介はここから。
伊勢ー白山 道白山(裏・陰)と伊勢神宮(表・陽)に光の柱が建ちます。この意味を探求して行きましょう。

命の親神は、自分の心に居ます 2010-12-12 11:48:01 | Weblog
http://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/e/9bb4a67bb1e3036cb8cf39039b8ff049

多くの人間は、自分が不幸だ・不運だと思い始めますと、自分自身を見詰めることから離れ、さも立派そうな他人の有料先生やパワースポット・スピ商品に注意が向き出します。
実は、これこそが本当の不幸の始まりなのです。
自分を離れて他に求める、自分を信じられない、”自分を見捨てる”ことで運命が悪化して行きます。必ず今の現状以下の状態に、年月を掛けて進みます。
自分の心に在る良心とは、内在神であり自分の命の親神(おやがみ)なのです。
この心の親神=内在神から離れますと、運気も生命力も必ず低下します。なぜなら自分の魂にエナジーを与えている元が、内在神だからです。

自分の心に神様を求める姿勢が、絶対的に必要です。
死ぬ時は、自分の心1つだけで行くのですから、余計なお荷物を信じては生けません。誰も同行してくれないことを認識しましょう。
もし教祖や教団の神仏が迎えに来ると聞かされても、本当にそれはウソです。悲しいほどの集金のための大ウソです。そんな話を真に受けていますと、いよいよ自分が死ぬ時は迷います。教団の邪霊の妨害がなければ、必ず自分の先祖霊が迎えに来ます。
産まれた時の入り口は、親という先祖から産まれて来たのです。死んだ時の出口も、家系の霊線を初期に通過します。

そして、死後の49日のバルドォ期間(http://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/d/20090907)に、霊になった自分の視線で初めて見る、信じていた教祖や教団、有料先生の姿を見て驚愕することでしょう。それらは人間の姿をしていないことに気付くからです。
床をはう大蛇や、タヌキ親爺のような”形象”が座っている姿を見るでしょう。そんな物に、生前の自分は家族を犠牲にして、心身を捧げ、子供の時間と楽しむ金銭も無くしていた罪に心が痛みます。
このような後悔をしないために、今から自分の心の良心へと振り返れば大丈夫です。
生きている内に、そうしてみる気持ちに自分が成れる、なんとなく理解できるだけでも”素直さ”=親神の心が残っています。

ただ、生きる人間は弱いものです。
何か信じる形は、初期には必要です。キリストが好きならば、はりつけにされたキリスト像に祈り祈願するのでは無く、自分の心に居るキリストに感謝をすれば良いです。
その霊的反映は、地球に住む間は、”他を許す心”・”愛情を他に尽くす”などの反射が、自分の心中に産まれます。
本当は産まれるのではなく、既に自分の心の奥に内在していたキリストの意識を”思い出す”のが霊的真実です。
もし、南無妙法蓮華経という言葉が好きならば、他に向けて繰り返すのでは無く、自分の心に内在する釈迦の意識に向けて、
ナムミョウホウレンゲキョウ=”自分の心を華のように咲かせます” ”きっと咲かせて見せます”と、目の前の問題に立ち向かえば良いのです。自分の心の釈迦意識に、誓うことになります。
そうしますと日蓮のように、自分に振り向けられる剣刃も折れてしまうのです。「他のためへの”やる気”」とは、本当に強い物です。どんな魔物も切断します。(注意:この言葉を勧めている訳ではないですよ)
初期にはこんな感じで、内在する大いなる存在を意識すれば良いです。

しかし、こんな遠回りも不要な時代の波動なのです。
先祖霊への感謝供養を通じて人類の残存思念を癒し、内在する神様=良心が発露する時代が来ています。
人類から戦争を無くさせるのは、先祖霊への感謝供養による人類の遺伝子のククリ直しと、心に内在する神様へ感謝することなのです。


生かして頂いて ありがとう御座位ます


人類の 5% 運動を広めたいです。
紹介はここまで。