『週刊金曜日』2017.9.29号(1154号)に石田勇治東京大学大学院教授(ドイツ近現代史)のインタビュー記事「ナチスの手口と安倍政治の危険性」を寄稿した。編集部の許可を得たので、以下に転載する。
*無断転載禁止
*リード文は省略した。石田氏の発言の最初に「石田」など分かるようにした。
*石田勇治氏に関し、これまで当ブログ2015.10.15「「ナチスの手口」と「安倍政治の手口」」と同2015.2.13「「過去の克服」 ドイツと日本」で取り上げた。
■囲み解説「ヒトラー政権誕生までのドイツ」】
第1次世界大戦(1914~18年)に敗北したドイツでは帝政が崩壊し、民主的なワイマール憲法を擁する共和制国家が誕生した。労働者を代表する社会民主党がいったん政権に就いたが、経済的苦境は続き、国民の敗戦の屈辱感と相まって、政治的混乱が続いた。
そんな中、世界恐慌が29年に勃発すると、差別と暴力を正当化し「ドイツ第一主義」「反ユダヤ主義」「反共産主義」を訴えるヒトラー率いるナチ党が台頭した。
ナチ党は32年7月の国会選挙で約37%を得票し、第1党に。同年11月の同選挙では約33%に後退したが、政治の実権を握るヒンデンブルク大統領が翌年1月30日、ヒトラーを首相に任命した。
■石田勇治(いしだ・ゆうじ)
1957年生まれ。東京大学大学院教授。専門はドイツ近現代史。著書に『ヒトラーとナチ・ドイツ』(講談社現代新書)など。長谷部恭男早稲田大学教授(憲法学)との近共著『ナチスの「手口」と緊急事態条項』(集英社新書)も。
【本文】
───麻生太郎副総理兼財務相は8月29日の講演で「ヒトラーはいくら動機が正しくてもダメだ」と述べ、批判を浴びました。どう考えますか。
国益損ねた麻生発言
石田勇治東京大学教授 あきれ返りました。ヒトラーが政治活動を始めたころに執筆した『わが闘争』を読めば、動機自体も悪いことが分かります。民主主義を批判し、ユダヤ人をドイツから追放することを求め、差別を肯定していた。ヒトラーは、そういった動機を持って政治家になったのです。麻生氏は「ドイツを再建・復興させる」といった動機を考えたのかもしれませんが、的外れな発言です。
───麻生氏は約4年前にも、ナチ・ドイツの憲法破壊の歴史を取り上げ、「(日本も)あの手口を学んだらどうか」などと発言しました。
石田 あれは国際社会では完全にアウトでした。日本の国益を損ねた。麻生氏は、この言葉の前に「ある日気づいたら、ワイマール憲法がナチス憲法に変わっていた。誰も気づかないで変わった」と言っています。しかし、史実はまったく違う。ナチス憲法なるものはないのですが、憲法が破壊される過程で、大規模な国家テロがあり、緊急事態条項を使った人権侵害が続いたのです。
ドイツの緊急事態条項
───1933年1月30日、ヒトラー政府が発足しました。そして、「先進的で民主的な憲法」と言われるワイマール憲法の下でヒトラーは独裁体制を確立しました。なぜでしょうか。
石田 そのカギは、ワイマール憲法第48条「大統領緊急措置権」(緊急事態条項)にあります。ヒトラー政府誕生前の30年代初頭、時の少数派政府はこの条項に基づく大統領緊急令を発令することによって、国会で多数を占める野党の攻撃をかわし政権を維持しました。
第48条は「公共の安寧と秩序が著しく阻害され」た場合に限り適用できるはずですが、 この時期には拡大解釈されて法律代わりに頻繁に発令されるようになったのです。
───「決められる政治」ということですね。
石田 そうです。実際は「大統領内閣」「大統領独裁」とも言える状態でした。そういった状況下で、ヒトラー政府が誕生しました。これも少数派政権でした。
ヒトラーが首相に就任するとすぐに、大統領に働きかけて次々と緊急令を出させ、憲法で保障された民主的権利を形骸化させ、反対勢力への弾圧を始めました。
───しかし、ヒトラー政府以前の31~32年の方が大統領緊急令は多く出されています。
石田 そのとおりです。しかし、ヒトラー政府誕生の前と後では、 緊急令の主な目的が変わります。「前」は、国会が制定すべき法律を緊急令という形で出していました。これに対して「後」は、治安対策、憲法で保障された基本権を無効にするために使われました。
独裁に通じる〝抜け穴〟
───ヒトラーが首相になって1カ月も経たないうちに、国会議事堂炎上事件が発生しました。国会選挙の最中です。炎上事件の翌日、ヒトラーは非常に強力な緊急令を大統領に出させます。
石田 この炎上事件について最近、「(ナチ党の)突撃隊の一派によって実行された」との研究が発表されました。 この大統領緊急令は、憲法で認められた国民の基本権を根こそぎにしたものです。
───その後、ヒトラー政府は威圧と暴力と強引な国会運営によって「3分の2の賛成」をでっち上げ、念願の授権法(全権委任法)まで手に入れます。
石田 この授権法は、憲法を改正することなく事実上これを無効にし、立法権を政府が握ることを認めました。これでヒトラー政府は、憲法に違反する法律でも自由に制定できるようになりました。
34年8月にヒンデンブルク大統領が死去すると、ヒトラーは政府が定めた法律によって大統領と首相の権限を併せ持つ「総統」に就任し、名実ともに絶対権力を手中に収めたのです。
───ワイマール憲法の緊急事態条項が悪用されて授権法ができ、その下でヒトラーの独裁体制ができあがったのですね。
石田 そうです。第48条の第5項は「詳細は共和国の法律でこれを定める」と規定していましたが、歴代政府はこの「法律」を作りませんでした。ここに独裁に通じる抜け穴があったのです。
濫用の危険性大
───現在の日本では、安倍晋三首相を先頭に与党自民党などが憲法改正の発議に向けて準備を進めています。その自民党が2012年に発表した日本国憲法改正草案では、首相権限の非常に強い緊急事態条項が条文化されています。「内閣総理大臣は(中略)緊急事態において、特に必要があると認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、緊急事態の宣言を発することができる」など。
石田 さらに「緊急事態の宣言が発せられたときは、法律の定めるところにより、内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができる」ともありますね。これはワイマール期ドイツの大統領緊急令と重なります。思想・表現の自由、苦役の禁止など基本的人権については「最大限に尊重」すると言っているだけで、制限してはならないとは言っていない。
もしこのような条項が憲法化され、拡大解釈して使おうとする政治家の手で、あるいは時の為政者の誤った判断で濫用されたら、取り返しのつかない事態に陥ります。性善説に立って為政者に危険な独裁権を与えるのは、日本政治の現状を見てどうでしょうか。
───安倍政治は、安全保障関連法(=「違憲戦争法」15年)の制定過程を見ればわかるように、立憲主義を蔑(ないがし)ろにし、「憲法骨抜き」の度を強めています。そういった状況下では特に司法の役割が重要ですが、最高裁はこれまで「高度な政治性を帯びた国家行為には司法権は及ばない」とする統治行為論の立場を取っています。
石田 緊急事態の下でも司法のチェック機能が維持されることは最低限必要だというのは、現代憲法学の常識のようですが、今の日本で果たして可能でしょうか。
緊急事態が宣言されて、それが何百日と続けば、その間に権力者がテロ等の脅威を煽り、再び憲法改正を強行しようとするかもしれません。自民党改憲草案に記された憲法改定規定では、改憲発議の要件が現在の衆参3分の2から単純過半数に緩和されていることも気になりますね。
───緊急事態条項の持つ真の危うさについて、過去の失敗例にも学びながら理性的に対応しなければなりませんね。
石田 「安心・安全」神話の落とし穴に嵌(はま)らないようにしたいところです。
【聞き手=星徹・ルポライター】
*無断転載禁止
*リード文は省略した。石田氏の発言の最初に「石田」など分かるようにした。
*石田勇治氏に関し、これまで当ブログ2015.10.15「「ナチスの手口」と「安倍政治の手口」」と同2015.2.13「「過去の克服」 ドイツと日本」で取り上げた。
■囲み解説「ヒトラー政権誕生までのドイツ」】
第1次世界大戦(1914~18年)に敗北したドイツでは帝政が崩壊し、民主的なワイマール憲法を擁する共和制国家が誕生した。労働者を代表する社会民主党がいったん政権に就いたが、経済的苦境は続き、国民の敗戦の屈辱感と相まって、政治的混乱が続いた。
そんな中、世界恐慌が29年に勃発すると、差別と暴力を正当化し「ドイツ第一主義」「反ユダヤ主義」「反共産主義」を訴えるヒトラー率いるナチ党が台頭した。
ナチ党は32年7月の国会選挙で約37%を得票し、第1党に。同年11月の同選挙では約33%に後退したが、政治の実権を握るヒンデンブルク大統領が翌年1月30日、ヒトラーを首相に任命した。
■石田勇治(いしだ・ゆうじ)
1957年生まれ。東京大学大学院教授。専門はドイツ近現代史。著書に『ヒトラーとナチ・ドイツ』(講談社現代新書)など。長谷部恭男早稲田大学教授(憲法学)との近共著『ナチスの「手口」と緊急事態条項』(集英社新書)も。
【本文】
───麻生太郎副総理兼財務相は8月29日の講演で「ヒトラーはいくら動機が正しくてもダメだ」と述べ、批判を浴びました。どう考えますか。
国益損ねた麻生発言
石田勇治東京大学教授 あきれ返りました。ヒトラーが政治活動を始めたころに執筆した『わが闘争』を読めば、動機自体も悪いことが分かります。民主主義を批判し、ユダヤ人をドイツから追放することを求め、差別を肯定していた。ヒトラーは、そういった動機を持って政治家になったのです。麻生氏は「ドイツを再建・復興させる」といった動機を考えたのかもしれませんが、的外れな発言です。
───麻生氏は約4年前にも、ナチ・ドイツの憲法破壊の歴史を取り上げ、「(日本も)あの手口を学んだらどうか」などと発言しました。
石田 あれは国際社会では完全にアウトでした。日本の国益を損ねた。麻生氏は、この言葉の前に「ある日気づいたら、ワイマール憲法がナチス憲法に変わっていた。誰も気づかないで変わった」と言っています。しかし、史実はまったく違う。ナチス憲法なるものはないのですが、憲法が破壊される過程で、大規模な国家テロがあり、緊急事態条項を使った人権侵害が続いたのです。
ドイツの緊急事態条項
───1933年1月30日、ヒトラー政府が発足しました。そして、「先進的で民主的な憲法」と言われるワイマール憲法の下でヒトラーは独裁体制を確立しました。なぜでしょうか。
石田 そのカギは、ワイマール憲法第48条「大統領緊急措置権」(緊急事態条項)にあります。ヒトラー政府誕生前の30年代初頭、時の少数派政府はこの条項に基づく大統領緊急令を発令することによって、国会で多数を占める野党の攻撃をかわし政権を維持しました。
第48条は「公共の安寧と秩序が著しく阻害され」た場合に限り適用できるはずですが、 この時期には拡大解釈されて法律代わりに頻繁に発令されるようになったのです。
───「決められる政治」ということですね。
石田 そうです。実際は「大統領内閣」「大統領独裁」とも言える状態でした。そういった状況下で、ヒトラー政府が誕生しました。これも少数派政権でした。
ヒトラーが首相に就任するとすぐに、大統領に働きかけて次々と緊急令を出させ、憲法で保障された民主的権利を形骸化させ、反対勢力への弾圧を始めました。
───しかし、ヒトラー政府以前の31~32年の方が大統領緊急令は多く出されています。
石田 そのとおりです。しかし、ヒトラー政府誕生の前と後では、 緊急令の主な目的が変わります。「前」は、国会が制定すべき法律を緊急令という形で出していました。これに対して「後」は、治安対策、憲法で保障された基本権を無効にするために使われました。
独裁に通じる〝抜け穴〟
───ヒトラーが首相になって1カ月も経たないうちに、国会議事堂炎上事件が発生しました。国会選挙の最中です。炎上事件の翌日、ヒトラーは非常に強力な緊急令を大統領に出させます。
石田 この炎上事件について最近、「(ナチ党の)突撃隊の一派によって実行された」との研究が発表されました。 この大統領緊急令は、憲法で認められた国民の基本権を根こそぎにしたものです。
───その後、ヒトラー政府は威圧と暴力と強引な国会運営によって「3分の2の賛成」をでっち上げ、念願の授権法(全権委任法)まで手に入れます。
石田 この授権法は、憲法を改正することなく事実上これを無効にし、立法権を政府が握ることを認めました。これでヒトラー政府は、憲法に違反する法律でも自由に制定できるようになりました。
34年8月にヒンデンブルク大統領が死去すると、ヒトラーは政府が定めた法律によって大統領と首相の権限を併せ持つ「総統」に就任し、名実ともに絶対権力を手中に収めたのです。
───ワイマール憲法の緊急事態条項が悪用されて授権法ができ、その下でヒトラーの独裁体制ができあがったのですね。
石田 そうです。第48条の第5項は「詳細は共和国の法律でこれを定める」と規定していましたが、歴代政府はこの「法律」を作りませんでした。ここに独裁に通じる抜け穴があったのです。
濫用の危険性大
───現在の日本では、安倍晋三首相を先頭に与党自民党などが憲法改正の発議に向けて準備を進めています。その自民党が2012年に発表した日本国憲法改正草案では、首相権限の非常に強い緊急事態条項が条文化されています。「内閣総理大臣は(中略)緊急事態において、特に必要があると認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、緊急事態の宣言を発することができる」など。
石田 さらに「緊急事態の宣言が発せられたときは、法律の定めるところにより、内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができる」ともありますね。これはワイマール期ドイツの大統領緊急令と重なります。思想・表現の自由、苦役の禁止など基本的人権については「最大限に尊重」すると言っているだけで、制限してはならないとは言っていない。
もしこのような条項が憲法化され、拡大解釈して使おうとする政治家の手で、あるいは時の為政者の誤った判断で濫用されたら、取り返しのつかない事態に陥ります。性善説に立って為政者に危険な独裁権を与えるのは、日本政治の現状を見てどうでしょうか。
───安倍政治は、安全保障関連法(=「違憲戦争法」15年)の制定過程を見ればわかるように、立憲主義を蔑(ないがし)ろにし、「憲法骨抜き」の度を強めています。そういった状況下では特に司法の役割が重要ですが、最高裁はこれまで「高度な政治性を帯びた国家行為には司法権は及ばない」とする統治行為論の立場を取っています。
石田 緊急事態の下でも司法のチェック機能が維持されることは最低限必要だというのは、現代憲法学の常識のようですが、今の日本で果たして可能でしょうか。
緊急事態が宣言されて、それが何百日と続けば、その間に権力者がテロ等の脅威を煽り、再び憲法改正を強行しようとするかもしれません。自民党改憲草案に記された憲法改定規定では、改憲発議の要件が現在の衆参3分の2から単純過半数に緩和されていることも気になりますね。
───緊急事態条項の持つ真の危うさについて、過去の失敗例にも学びながら理性的に対応しなければなりませんね。
石田 「安心・安全」神話の落とし穴に嵌(はま)らないようにしたいところです。
【聞き手=星徹・ルポライター】