メランコリア

メランコリアの国にようこそ。
ここにあるのはわたしの心象スケッチです。

『戸川純の気持ち』(JICC出版局)

2017-02-11 14:50:25 | 
『戸川純の気持ち』(JICC出版局)
戸川純/著 宝島編集部/編さん

ずぅーーーーーーーっと読みたいと思いつつ、amazonで4000円出して買うか迷っていた1冊
ライヴに行ってから、また純ちゃん熱が復活して、ダメもとで近所の図書館に他館予約したら
なんと! 多摩市立図書館にございました/驚×5000 すばらしや 有り難や/感謝×5000

戸川純35周年記念LIVE「わたしが鳴こうホトトギス」@恵比寿リキッドルーム(2017.1.13)(ネタバレ注意

雑誌『宝島』に連載していたらしい「人生相談」コーナーをそのまま載せつつ、
ほかにも純ちゃんの魅力たっぷりな1冊
ちなみに定価は1010円だった まあ、絶版で、古書店でも見つからないだろうからねえ 貴重

純ちゃんも占星術を信じているようで、後ろのほうに性格などが転載されている
おひつじ座とは意外! なるほど 私の周りにもけっこういるんだけれども
猪突猛進、正義感が強く、竹を割ったような性格 チャレンジ精神etc...
加えてB型となれば、自由奔放さが加味されて、あのように独創的になるわけだ

とにかく「雑誌(メディア全般)に書いてある8割は事実と違う 1つ1つ弁明したい」っていう切なる想いが伝わった
「根暗」「不思議ちゃん」今で言えば「ヤンデレ」?(違うか 意味も分からずゆってみたけれども)などなど
いろいろ誤解され続けて、本人曰くそれが「自称」と言われることが辛いのだそう

雑誌のインタビューで言ってないことを創作されたこともあるとか、
食いつきやすいキャッチコピーが全然的外れだったりとか・・・

そんな気持ちも吐露しつつ、♪玉姫様 ♪レーダーマン ゲルニカ、ヤプーズなど
私がいまだ大好きな曲を「今、作っております」というリアルタイム感で味わえるのも素晴らしい

他館の本は2週間以内で返さないと、延長が出来ないので、
読むのがもったいないと思ってとっておきたい気持ちと複雑だったけれども
読みはじめたら、やっぱり面白くて、数時間で一気に読みきってしまった

話の中には、こないだライヴで話していたエピソードもあったし、
根底に流れているものは、変わっていないのかもしれない

・・・などと勝手に批評すると、本人にとっては「それも違う」とツッコまれそうで
こうして感想を書くのも控えようw



【内容抜粋メモ】

ロンドンは、寒かった 1984.6


キングスロードにパンクスはいたけど、貧乏という感じはしなかった
東京のお金持ちが道楽でやってる感じ




“ロックはもう歌わない宣言”?@新宿・厚生年金快感 1984.10.2
「ライブの前に、必ずリポビタンDスーパーを飲みます 本当は体力ないの」




沖縄は、暑かったわ 1984.8
映画『パラダイス・ビュー』撮影

 



第1章 ほんとうの気持ち~ニュー・ウェイブ・プリンセスが等身大を語りつくした

ネクラとか病気とか一時期言われたのは、いまもスキゾだとかって見出しとしてつけられているのと同じ
どうしても諦めきれないのが“自称”てつくところ
自分の意志で売りにしてると思われるのがいや

ファンレターに「大好きだらから、腐らないうちに死んでくれ」っていうのが多々来る

戦後、社会党代議士で人気のある浅沼稲次郎を、山口二矢という愛国党の少年が刺し殺した
少年は留置所で自殺した そういうヒロイックさを求めているのね

シド・ヴィシャスのように閃光のように散って下さいなんて手紙来るのよ(笑)

―自己主張の自己投影でしょうか
私を見ることで彼女等は自分を表現している
普遍的な悩みで、私だけではなくてみんなそうなんだと思いますねぇ


●♪諦念プシガンガ は善・倫理・道徳を武器にした受け身側の攻撃
“ファーストアルバム『玉姫様』は6万近いセールスを記録
 ニュー・ウェイブと呼ばれるアーティストとしては驚異的な数字”

私は自分の才能を信じてないから、運絡みで自分じゃないものが働いている気がする

私は恐いのよ
この部分を謙虚にしとかなければ、もう人間おしまいみたいな自覚が悲しいけど自分の中にはある
じゃなきゃ害を撒き散らすだけの「アメリカシロヒトリ」よ

幼児的な暴力癖がある気がするので、意識の上では謙虚にしなきゃと思いますよ


「孤独」もそう
どんなに寂しいと思っても、私は孤独を感じたことがない
優しさと同じで、孤独ってこんなもんじゃないだろう

一時期、ノイローゼでぐちゃぐちゃで干された時、
孤独って私の0.01の視力では見えないところに存在する


全共闘世代の挫折を知らない負い目が、私たちの世代にはあると思う

世の中おしまいだ、と言ってるわけじゃない
どうしようもなく感じつつも一抹の幸せがほしいの(笑)

いまの法律は、死刑より無期懲役のほうが甘いとされているけど
死に対する願望すらできなくなったら、それはほんとの絶望
独房で発狂するか、悟りを開くかのどちらかだと思うの

特攻に行って死なないで帰って来た人も、無期懲役を感じているだろうし、
70年安保で闘った人たちの挫折も無期懲役


ロンドンの街にも無期懲役を感じた
私にはピストルズのLP1枚あればいいってところがある
私にとってのパンクは、社会的アンチ精神じゃなく、もっと個人的なもの
お金に困ったことのない私が演るなんてことこそ嘘じゃない

マーク・アーモンドと戸川純には同質のインパクトがあると某雑誌で書かれていた

音楽始めた頃は、絶対に受け入れられないと思っていた
芸能界をパターン認識していた
こうじゃないと売れないとか、ポンと肩を叩かれて振り向いたらスターになっていたとか
そのどっちかだと思ってた

小学校三年生の時から芸能界に憧れていた女の子の確固たる価値観だった


ゲルニカは、時代の理解と誤解の両方で受け入れられた
陽の目を見ないと思っていたから、本当に好きなことやっている感じで楽しかった
ゲルニカってアナクロニズムでふざけてるんだろうみたいな誤解

ゲルニカファンはときどき私を責める
たしかに私はメジャー志向だったけど、あれはあれで完成度の高いものだった

私ってネクラだなー
でもそれを改善しようと私が努めた時に、私の人気は落ちると思いますけど

仕事ではリリックなこと(笑)多々ありますよ


好きなタイプは?
尊敬できる人なら誰でも 人間的に全然ダメでも絵が上手ければいいとか
人間的に尊敬できる人


メディアの誤解も最近は気にならない 読んでる人への安心感からかな
私はちょっと楽天的なのよね
今はおそらく読む人のほうが頭いいんじゃないかな(笑)

どこでも門戸を開いて喋っている私のような人は、いっぱい書かれるわけですよ

私は、そんなに文学少女じゃない
私の読書は偏ってる 散漫


アカデミズムがタレントするのは構わない だけどその逆は許されない

―知識人との対談は、タレントの仲で一番多い 山口昌男氏との対談も
あまりに大それててショックだわよ 私はとても恥ずかしかった
「両義性」とか「トリックスター」なんて言葉、死んだって出すまい、と思った
私は山口先生の大ファンだから、ファンの態度以外とるのやめようと思ってたの


大きな会場でやってみると、ライブハウスのほうがいいと思う
「ロックミュージシャンの本拠地はやっぱりライブハウスだ」という考え方にアンチテーゼみたいなものを持っていた
でも、私の「大振りで迫力がある」と言われたステージが、舞台が大きくなると、逆に小振りに見えてしまうと思った


―「玉姫様ツアー」のステージングは?
黒張り、バックバンドはステージの後ろに乗っけて、あと私がいるだけ
私のファンは、テレビなどを通して知った人もたくさんいるみたい

有閑マダム風の中年のおばさんが前から2列目にいて
その隣りにはパンク、最前列にはJ・Jギャルの3人組
相変わらず黒ずくめのカラス族はいるし、はっきり言ってわけがわからない

ステージやってる時、あまり客席は見ないほうだけど、
そのおばさんだけは、どうしても目に入った
♪踊れない で喜んで、手拍子してて、ほんとになにがなんだかわかんなかったけど面白かった




握手会でランドセルしょっていた仲良さそうな4人組がいて、私のファン層って混沌としていて面白いわ(笑)


GOROのセミヌード写真への苦情、“オナペット宣言”
「あなたは、あんなことはすべきではない 僕の心の中のあなたが崩れてゆく・・・」みたいな手紙が多くて

サイン会の時、中学生の女の子2人連れが「私たちすごく悲しかった 昔の純ちゃんに戻って」
その時は、さすがに腹が立って「私、これからもしたいと思ったら、していくかもしれないわ ごめんなさいね」て言ったら
「あ、すいません」て言われちゃった 自分たちが芝居っぽくなっていたことにも気がついたようね


ロックはもうイヤだという気持ちになった
玉姫様ツアーの時、最前列の人に握手を求められて、客席に引っ張られて
「前の客を相手にするなんて、戸川純、お前もか」て苦情もいっぱい来たし

今回はステージから一方的に見世物としてやらなきゃと思ったけど
声をかけられちゃうと、完璧に無視できないの

ロックをやる以上「客席と一体のノリを目指しません!」と言っても無理だと思った
私自身は見世物に徹したい ロックという音楽そのものがそうさせるのかもね


戸川純の人生相談 其ノ一
「ビデオの♪森の人々 が恥ずかしい 誰か戸川を助けて」

(これは自分の悩みなのねww

TOTOのCM第4弾も撮った 今回のカッコは忌野的なものがあった



戸川純の人生相談 其ノ二
「ヌードはしない、と宣言してはみたものの・・・」

映画『メイン・テーマ』(あれ、出てたっけ?)

私は自分がセクシャリズムなんてコンセプトすると、絶対滑稽になる類のモノだと信じてやんなかったつもりだが、
戸川純にとってグレートウォールである変身に挑戦せざるを得なく、
自分でしちゃった(男の子に生まれれば良かったと思うわ



第二章 女優になりたい

“昭和36年、高度経済成長期 ♪スーダラ節 をBGMに戸川順子誕生
 家の中ばかりで遊んでいた女の子は、
 小学校三年生の時、テレビ番組『ゲバゲバ90分』に出たい、と願った”

新宿の日赤病院で私は生まれた
12歳で早々とコンタクトレンズを入れたり、耳にピアスは開けるし
盲腸は切るし、治した歯は40万円
もうここまでくるとエセサイボーグよ(w


いまも続く教会幼稚園時代のお祈りの習慣
新宿の西大久保教会幼稚園に通った
運動神経が鈍い子で、家の中ばかりで遊んでた

とにかく一番の楽しみは絵を描くこと

(これ描いたの!? すごい!!


それはもうシュールなもんでしたよ
人じゃなくて、円とか線とかばっかり アブストラクトよ(笑)


私は「おひつじ座B型」の典型的な性格
人気や実力がないくせに“長”がつくもんだったら何だってやりたい

例えば、川で溺れてる人がいたら考えなしで飛び込むとか
正義感でなく、ただ衝動的なだけ
そうして、あとで「俺って正義感が強いなあ」と


自閉症の中学時代
中学に入った頃は、'70はじめで、世は'70年安保後の挫折感が漂っていて
スポ根とかカッコ悪い感じになってた時に、私のように、ひたすら無邪気にしてる人間はバカにされた

それをズーっとやって、やっと自閉症の道へと走っていった
その頃から親が異常に厳しくなって、外出させてくれないし、
家にこもって、一人でやることなら全部やったって感じ


バカ高での寂しさ
ファンの期待に応えるのに十分なほど、高校の時は暗かった(笑)
女子高なんて吐き気がするほど行きたくなかった

「三流高」っていうのがいつも頭にあって、私みたいな人間が上位にいるほど「バカ高」なんだと思って

高校の時の友だちが1人いて、小山という女が部長、私が副部長で演劇部をやった
やけにドロドロした女を感じさせるところもあって、どこかアンドロギュヌスしてたわ


とにかく大学に入って女優の仕事をやろうと神奈川県の大学に入る
品川から三鷹に引っ越して、朝「いってきまーす」と家を出て
よく渋谷のパルコPARTⅡのてっぺんのレストランで公園通りを見下ろしながらサラダを食べてた
高校の時ほど親がうるさくなくなっていたし そんなだらしない学生っぽい生活は、後にも先にもそれきり



戸川純の人生相談 其ノ三 「処女の良さがわかんなくて、この夏、危険な私」
処女の価値は処女が作るもの 淋しいけど、自己満足なのよ


戸川純の人生相談 其ノ四 「彼女が戸川さんの歌を聞いて暗くなってしまいました」
あなたが恋人なんだから、悲劇的なことを起こして、喜ぶようにしてあげなさい


戸川純の人生相談 其ノ五 「最近、まじめに相談にのらないのはナゼだっ!?」
それは、最近レコーディングで牛や豚や虫のような歌をうたっているうちに
頭まで畜生化(?)してきて、この原稿も〆切りを10日過ぎてるんだわ

私にとって秋は春、冬は夏
思えば、私が人生であんなの一度きりだろうと思える怒濤の恋愛がオゴソカに幕をあけたのも何年前かの秋だった

あれだけ「女の生理」をテーマに頑張ったつもりが、意外にも一応の「YEN盤」になってしまって、ちょっと安心しています

NHK銀河テレビ小説「今ぞ恋しき」に出ますので、見てね



セックス・ピストルズの衝撃


音楽は、小さい頃、いっぱい童謡を聴かされていた
母が凄く奇麗な声で、音楽的な美意識も完璧にそこから生まれている

ナツメロ趣味も強くて♪東京ブギ・ウギ なんかを人前で歌ったりして
それが'77年にピストルズが出たのをたまたま聴いたのを契機にニューウェイヴ系に導かれた
蘇州夜曲 とピストルズ的趣味が融合したのが「ゲルニカ」(笑)

大学1年の夏休みに、母が経営している喫茶店の1つでアルバイトを1ヶ月ほどやった
その帰りに、高田馬場で降りて、レコード屋に寄ったら「東京ニューウェイヴ'79」てレコード買っちゃった

その1週間後に「8 1/2」を野音で見て、初めて「ナイロン100%」に行った
1週間に多い時は4、5日通った 短いけどウエイトレスもやってた

その頃は、テレビの準レギュラーをしてるくらいで、ゲルニカに誘われて
“ナイロンの歌姫”なんて言われてたので(笑)

でも、ステージにあがると震えてしかたなかった
客席のコが「あのコ、足が震えてるわよ」て言ってるのが聞こえる
スピーカーや自分の頭をガンガン叩いたりして、今のステージの原型はその時作られたんでしょう(笑)




『刑事ヨロシク』初レギュラー、ゲルニカ休業、ヤプーズ結成
もともと「ハルメンズ」のファンだったから、バンドを作る時、どうしてもメンバーが浮かんじゃう



戸川純の人生相談 其ノ六 「一人暮らしの私が“言った”『長かった二年間の同棲』」
今はソロアルバム「玉姫様」のレコーディング中
「素材に徹する」を仕事の信条にしてきた私が、初めてプロデュースする

「役者は心を入れてナンボの商売 だからあたしは、ギャラ泥棒さ」(週刊サンケイ)
8割は嘘が書いてあった

私は会話で「~だワナ」などと絶対使わないわよ

夕刊フジの見出しは「恋人と別れ、“同棲二年間は長かった”」も
「一人暮らしを始めて、二年たちました」て言っただけなのに

東京新聞の「自分のことを“純ちゃん”と呼ぶ」にはホント参った

全部書いてたら、今まで載った記事の8割を書き写さねばならない
私の記事は何故か“桃井かおり風ケダルチック”に書かれることが多い(w
この反アンニュイな戸川がよ

(ジョンも「新聞に書いてある唯一の真実は、タイトルだけだ」なんてゆってたね




戸川純の人生相談 其ノ七 「月3回のメンスにどう対処すればいいの」
私は、生理を客観視して、その趣の深さを味わったりして終えるわけよ
でも、月半分は血ィ流して生きる余裕はないわよね
生理は精神的なものでメチャクチャになるから、なにか悩みでもあるのではないですか

実は、最近密かに想いを寄せていた男(ひと)に妻子がいたと、1時間ほど前知って、私は寂しい



女優へのプロセス~ニキビの徹底退治、拒食症になるほどの減量、人づきあいの研究・・・


人生ドラマチックなほうがいいものね
よく女優の人が「(ドラマで)いろんな人生が歩めるから楽しい」て言うじゃない

結局、それらを助力するものは、他に何もすることがなかったからじゃないかしら
結婚相手も親が決めることになっていましたし


『ゲバゲバ90分』に出たい テレビに出たい
妹と「劇団ひまわり」に入って、音楽、日舞、バレエ、歌、
コーリュウブンゲンて声楽の初歩も習って

子役としてはエキストラばっかり 「ケンちゃんシリーズ」とか
妹はトコちゃんのお友だち役をやった

小学校の終わり、新橋演舞場で『王将』て芝居があって、子役が足りないからオーディションを受けた
その時舞台に立って、本気で女優になりたいと思った
その直後に、学校側から劇団をやめさせられた

(日本の教育は、夢を摘み取るんだよね


親は「大学に入れば好きなことをやっていい」と言い、「大学に入らなくちゃ」と思った

入ったら即、女優になるために動こうと決めていたから、まずルックスだと、もの食べるのやめた
ニキビも凄かったが、慶応病院の皮膚科に行き、1日5回くらい洗顔して跡形もなく消えた

拒食症みたいになって、翌年には62kgが47kgまで減らした

「人づきあいの本」とか買って、周りに「あ、私たちと同じ部類のコなんだ」と思ってもらうために必死



“笑顔は人の心を円満にする”という言葉の蟻地獄
本の言うことを鵜呑みにして、イジワル言われても「へへへ」て笑って、人に好かれると思ってた

演劇部には半年間顔出していただけ 中上健次の『岬』を演った

よくエキストラをやっていたら、監督に「キミ光ってるね」とか言われて拾われる
そんなことを本気で考えていた


西武劇場の「80年代版ヘアー」のオーディション
アクエリアスのレコードを買って、一発録りで歌って、テープを送ったら一次審査に受かった

二次審査に行ったら、みんなレオタードにバレエシューズだった(『ガラかめ』!?w
トレパンに上履きは私だけ 曲をかけて好きなように踊ってと言われ、
私はリズムも関係ないパフォーマンスしか出来なくて(笑)

特技を何も言えず、「妹さんは好き?」「はい」「どうして?」「自分に似ているからです」
「あなたは個性があるから採った」と言われて、歌と踊りを習ったけど、
1ヶ月半で「やっぱり、あなたは下手クソだ」て降ろされた

2度目のオーディションは、ホームドラマ風の「しあわせ戦争」
「特技はありませんけど、♪蘇州夜曲 歌います」
それで受かって、短大生役で出してもらった




戸川純の人生相談 其ノ八 「あのシーンだけは許せない!」
ヤプーズで♪隣りのインド人 という解散直前の頃のハルメンズの名曲を演っている(この曲も大好き!

手紙は『あとは寝るだけ』の上半身をさらした件について
「たとえ5秒間とはいえ、胸丸出しにするような仕事はやめて欲しいのよ!!」

私は素材に徹するとエラソーに言ってきたわけで、あの時も泣く泣くやってしまったってことよ
ドラマの世界を決めるのは監督
奴隷になって服従しますみたいなことなの

カヨコさんは歌う私は許してるみたいだけど、あれも戸川純の世界というわけじゃない

一応理屈はこねたけど、私は本質的に破壊衝動を抑えきれないタイプだということ ハハハ


戸川純の人生相談 其ノ九 「私、バンドマンに夢中なんです」
そんなに好きなら無理にコンタクトするほか道はないのよ
グルーピーのエネルギーを見習うべきだわ

ボーヤに近づいて踏み台にする
自分もバンドやってメジャーになって近づく
本人の親類縁者から攻める
つまりは、方法ではなく、迷いをふっきってGOを出すか否かだ

ニコ、ブリジッド・フォンテーヌ、ジェーン・バーキンだって大好きなのに
なんで私の声はこう園児まがいなのかしらね

昔「ナッキーはつむじ風」とかゆう番組でエキストラやった時、
ライトをもろ眼に浴びて潰しちゃって以来、おてんとう様に背を向けて生きねばならなくなった
私のコンタクトは順天堂ので、6ヶ月間入れっぱなしでも、そのまま眠ってもいい画期的なやつ



戸川純の人生相談 其ノ十 「バンドをやってますが、人前でアガってしまいます」
どうせ私はライブでいまだにあがるわよ
「ゲルニカライブ評 ボーカリストの眼が狂気してて良い」なんて書かれても
それが単なるアガリのせいだと知ってる自分は罪悪感感じちゃってるわよ

大学1年留年、2年休学 なぜ籍置いてるかっつーと、
私は1日に1回はこんなヤクザな道から足洗って、カタギの娘に戻ろうかと思うから
現実にはしなくても、籍置いとくと安心して仕事に励める

(純ちゃんも英米文学部なのか/驚



ミニインタビュー


―テレビドラマ『無邪気な関係』の調子は?
毎回なぜかラブシーンやるんですよね

考えると時代性って面白くてコワイ
どんなイヤな枠組みがあっても、その枠内で自分は何してもいいんだって最近分かった

―イヤな役をやったんですか?
『あとは寝るだけ』!(笑)

―どの曲が一番気に入ってる?
蛹化の女!(私も好き 今も歌ってるね

♪蘇州夜曲 の録音は、たけしさんとの共演の中からの抜粋じゃなかったっけ???




戸川純 写真館




第三章 日常的戸川純 ランダム・ノートⅠ

青山のレンガ造りの“古着感覚”マンション
青山は一番最後にひらけたから緑が多い
それまで住んでいた高円寺(!)から引越したのは、単に仕事に便利だったから

マンションの前の通りを「爆発通り」と名づけた
岡本太郎さんが並びに住んでいるから(おお! あの辺かあ まだご存命の頃!


買い物の街・原宿
キッチュなものはほとんど「ラゲン」「マヤ」、今は「ラフォーレ」
私は新宿生まれだから、小さい頃から人ごみの中をスイスイかきわけて歩くの得意よ(私の友だちみたい

原宿の樹は、もう寿命で根っこにカンフル注射みたいのを打って生きてるそう
それがなぜ、冬にあんなに情緒があるのかと思うと悲しい


わけありで初めての一人暮らし
高円寺は独房って感じだった 文化屋のパイプベッドだもん(笑)


夜のマラソン
東品川には5年半ぐらい住んでいた ほとんど家の中にいた頃
「マラソンに行く」と言うと夜でも外に出してくれた
いつも走るコースを決めて、スウェットスーツを着て走るの


幼い頃から『夜のヒットスタジオ』に出たかった
「みんな私を見てどう思うだろう」と心配で、
私はぺーぺーでごぜーますだという感じの態度ならいいんじゃないかなって(笑)

「おはようございます、おはようございます」て一生懸命やってたら
「純さんて、もっと違う雰囲気かと思ってた」と言ってくれた


ブランド志向の制服趣味
ブランドの服をよく着るのは単に「こういう服が着たい」と思うと
デザイナーズブランドに行けば見つかるから
それに生地のいいもの大好き

好きなブランドは「コム・デ・ギャルソン」とくに「トリコ」
「ピンクハウス」「コム・サ・デ・モード」「Y’S」「45RPM」など


セーラー服は大好き
「制服」ってエロチックだとは思わないけど、その禁欲的清楚さがロマンチシズムしてる
自分を解放するのと逆だから

高校三年の時にまず髪を切った
人に溶け込むには、まずルックスから変えなくちゃと
そこから私のポジティブな道のりが始まった(笑)


好きな映画は『吹けば飛ぶよな男だが』『カリビアの夜』
家が厳しかったけど、土曜の午後は遊べた
五反田の東映ホールとかよく行った

『カリビアの夜』は、母が小さい頃から話してくれてた映画
「順ちゃんもあの映画の女の人のように純粋でいて欲しいわ」とか言って


活字メディア大好き
よく読む雑誌? 原稿書いてる『宝島』
音楽では『ロッキング・オン』とか 自分の世話をよくしてくれた雑誌は読んでました

私を読書家だと思っている人がいるけど違う 単に活字や紙媒体が好きなだけなの
印刷物そのものっていうか、印刷された紙の上の誤解混じりの(笑)
文字である以上、真実は伝わらない 文字の世界が好き

高校の時にすごくショックを受けたのは、石川達三の『泥にまみれて』(笑)
妻の悟りで「悩んだ末に諦めることによって楽になる」ってことを知った



戸川純の人生相談 其ノ十一 「女優になるにはどうしたら?」
「女優になりたい」と毎日血を吐くぐらい願う 10年目くらいできっとなんとかなるだろう
信じなくてもいい しかし、私自身は、自分の少ない下積みをもってして、現在の私の状況をその結果とする気はない
誰にバカにされようが、この点についてはユングの本でも読んでくれと言っちゃう

「愛憎遊びの泥沼から抜け出したい」
わたしなどは、むしろこんな男と付き合いたいと思ったりしてみる

なぜこのような散漫な文章かというと、今日わたしは生理日でヒステリックなんだっ!
私は、モンゴルの土が恋しい 月1回、感じざるを得ない「民族の血」っつーのをー

坂本スミ子の♪夜が明けて をダビングさせてもらって嬉しかった(このカバーも大好き



戸川純の人生相談 其ノ十二 「用事があって、どうしても行きたいコンサートに行けません」
玉姫様ツアーも無事終わりました 客席ギュー詰めで、ごめんね

今回のツアーはアクシデントが多かった
京都では人多すぎて消防署から中止命令がきて、急遽2回公演になり、頭ン中メチャクチャ!
東京では、1曲目張り切って出ていくなりマイクがない!!

それでも美味しいものは美味しい
九州の長浜ラーメンは良かった 千駄ヶ谷ホープ軒の常連としては嬉しかったですたい



戸川純の人生相談 其ノ十三 「将来、東京へ出て、音楽をやりたいがどうすればいいか」
やっぱり運が大です

'79某日、異常に機嫌が悪く、みかねた母と妹が外出を異常にすすめて
なぜか日比谷野音に行き、81/2を見た あと10分遅かったら終わってたんだけど
キーボード奏者に握手を求めて、数日後には歌ってみないかと誘われ、読んで字のごとく「運」ね!

その後は、デモテープをバラまいたり、ライブは正直恐怖だったから
ライブの前後に泣き出すことも何度もあって、ハッキリ言って地獄仕事したわ

(ザ・バンドのロビー・ロバートソンは、催眠術かけてもらったとか書いてあったな

努力に関しては、恥を上回る野望に執着することだと思う



戸川純の人生相談 其ノ十四 「なにか漠然とした不安感が・・・」
私も人生相談に行ったことがある 神経科医より具体的なアドバイスをしてくれたが
「結局はあなた次第」と「まだ若いんだから」が結論なのはどこも同じだった

催眠療法は束の間だったが気持ちよかった

浜松の霊媒の先生に御祓いしてもらったけど、巫女さんのような人が
去り際に例の「結局はあなた次第」と「まだ若いんだから」の2つを言ったので私はちょっとがっかりした

私の母性は包容力じゃなく、親猫が子猫をとられそうになった時、慌てて食べてしまう母性ね

この人生相談にくる悩みでマジメなものはほぼ似た内容
きっと普遍的なものなのでしょう

「贅沢な悩み」なんて言葉ほど腹立つものってないものね



ランダム・ノートⅡ


必然的に生まれた東京のゴジラとロンドンのパンク
ゴジラは生理的に好き 東京を破壊した悪者なのにヒーロー
パンキッシュなものを感じる

パンクも社会現象 “生まれるべくして生まれた”必然性
ゴジラに東京を壊させたのは東京


カン高い声から生活感のある声へ
歌ってる時の声のほうが、喋ってる時よりうんと高いと言われる
昔は喋る時も高かったけど、だんだん低くなった

昔は“私は、なんて常識的なんだ”と思ってた
レストランに入ったら、バッグは隣りの席じゃなく、背もたれと背中の間に置くとかが常識と思ってた
(今もいるね

そうゆうのを一例にして、“ああ、疲労感が前提の毎日”って感覚を持って
生活感のある声になっていったんじゃないかな。やあね。


文章を書くということ
歌は感情移入が自由 演技はその範囲が限られている

そう考えると文章なんていうのは「自分を表現するより、面白ければいいんじゃないか」とかね
サービス精神で書いているところがある

戸川の昔話なんて出尽くしてんじゃないの? この本で本当に最後よ
偉業もしてないのに自叙伝ぽいのってもう、ヤ


初めて受けた雑誌の取材
最初の頃は友だちがインタビューしてくれてたのが多かったからよかった

普通の雑誌のインタビュアーになって、言ってないことを書かれるようになる
「自称ネクラ」「私って病気なの」って見出しで始まる記事などね

私のやってる音楽は「人を不安にさせるため」とか何回か非難された
みんな自分の好きな音楽の話だけしていればいいのにね



戸川純の人生相談 其ノ十五 「痩せることへの徹底パラノイアックアドバイス」
単純でいいから、強い動機が必要だ
私の場合「女優になりたいから」だった ハハハ

痩せるプロセスに「健康」の2文字は邪魔だ
私は穀類は太るという当時有名な迷信を鵜呑みにして
白米、麺、パスタ、パンを一切摂らなかった

糖類は一切絶ち、果物は太らないという迷信を信じてよく食べた
煙草は痩せる

ダイエット食品の利用は、非常に難しい

痩せるのに一番あると便利なものは、あなたの潜在的な自虐性
拒食症になった時は、44kgくらいだった
食べるのが恐くて、無理やり食べると吐いちゃう
胃薬と安定剤と水だけしか受けつけなかった

食後、指をノドにつっこんで吐くという減量法は
お百姓さんのこと考えたら、すぐ止めた だって悪いものね



戸川純の人生相談 其ノ十六 「ニキビ、なんとかして!!」
戸川は慶応大学病院の皮膚科に行った
ひたすら洗った 病院でもらったヘンな液体の薬塗って
18ぐらいで治って、あとにもならなかったの


戸川純の人生相談 其ノ十七 「理想が高くて、幸福な恋愛は望めそうにない私」
女子高生の戸川はよくナンパされ、駅構内、車両の中を問わず走って逃げた
その頃の私の恋愛観は、恋愛=罪悪と思えたくらいだ

恋愛は運だ 私なんか痴漢にはバカみたいに遭ったが
あなたの場合も、このままいくと、幸せな恋愛をただ運まかせにするしかない

①いつか良き運がめぐってくる
②理想より、あらゆる妥協の上、恋愛する日を待つ



戸川純の人生相談 其ノ十八
「あなたが好きです 美保純も好きです
 あなたに好かれるには暗くなきゃいけないし、美保純ちゃんに愛されるには明るくなきゃいけないし
 どーしたらいいんでしょうか」

どーして私に好かれるには暗くなきゃいけないの 美保純ファンの戸川はどーすればいいのか
先生は暗い明るいで好き嫌いを決めたりしないぞー

例えば、少年探偵団の小林少年が私は大好き
二十面相を捕らえた時、一同「明智先生ばんざあい」と叫ぶのだぞ
彼らは非常に明るいのだが、暗いと言えば目も当てられないほどの暗さなのですよ



プライベート・ファイル


もちろん結婚したい しかも、子どもがいて、幸せでね
私の仕事の位置は、いまの伊丹十三さんみたいだといいな

かつて「僕と半分ずつお金を出して、どこかで住もう」と言われた時に
ものすごくそのヒトと一緒にいたかったのに断った
結婚しないと一緒に住めない



戸川純の人生相談 其ノ十九 「いつも平均的な子になりたい」
手紙の多くが「ネクラで孤独だ」と訴えている

知司君は3タイプに分けている
①本質的に暗い
②よい子的ネクラ
③流行主義にわかネクラ

①の中で「復興したい」人は、鉄則としてネクラを自認しないこと
人にそう呼ばれても「バーロー、俺は明るいんだ!」と返す

これは自分に言い聞かせることになる
自分が前向きにならないと復興する意志を具体化するに至らないの

具体的な方法、マイナートランキライザーとしての推薦図書、推薦宗教、推薦薬剤、
果てはどこの病院が親切かも答えるから、もー少し詳しく書いてちょーだい!



戸川純の人生相談 其ノ二十 「嫌なことでも、やる気の出る方法を教えて」
現代人なんて、医者に捕まるか、野放しにされているかの違いであって、一億総患者という感が抜けません
だから、病気を必要以上に恥じたり、逆に自慢する時代ではない

現代の内因性精神病の代表選手「躁うつ病」
別名「循環病」で苦しむ方は大勢いる

病自体より「俺はこんなに夜ウツなのに、学校のみんなは“ただの明るい奴”と思っている」

手紙の方は、はっきり言って治すのは困難だ
分裂気質や、てんかん気質の人は、他人に迷惑をかけるだけに病院も優しいが
躁鬱は苦しむ人が多い割に世間は冷たい

で、芸術方面では、これがうつ勢の昇華でイッパイだから
バンドのボーカルなんてやってみるのが良いのではないかと

昭和30年代のようにスイスイスーダララッタと生きてーなーと願うあなた
戸川純とともに目指そう、社会復帰!



戸川純の人生相談 其ノ二十一 「やる気の出る方法を教えて」
①やる気のしない仕事ほど「期限」がつきもの
ギリギリまでやんないで、「もーやんなきゃ間に合わないっ!」てとこに来たらやる

②どうしてそのイヤなことをするハメになったのか考えてみる
どこかで自分で選択した時があるはず

③これやり終えたらミヨちゃんとデートするんだ、とかを目標にする


「干渉の多い父とは、もう一緒にいたくない!」
お父さんを嫌って、会うたび無視したりすると、それは父親にとっては
あなたが友だちの電話を切られる時と同じくらい理不尽さを感じさせるから悪循環
最初は、嘘や効果をねらった話題だとしても、そのうち本音を話せるようになるぞ



星から見た戸川純の素顔
・自信と自頼心が自然に備わっているのが強み

・夢想家で幻想家

・神秘主義、死後の世界、瞑想に深い興味を示す占星学上の世代に属しており
 ヨガ、恍惚状態、魂の友の探求があなたの特徴です



あとがき


今までになく“タイムリーな戸川”の本にしてくれました どうもありがとうございました

(宝島はあの『VOW』も出した出版社かw






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“原発避難いじめ” 子どもに何が?大人はどうする?@週刊ニュース深読み

2017-02-11 14:49:25 | テレビ・動画配信
格納容器内 極めて高い放射線量か@福島第一原発2号機
 

 



“原発避難いじめ” 子どもに何が?大人はどうする?@週刊ニュース深読み


「菌」「賠償金あるだろ」原発避難先でいじめ 生徒手記
 

専門家:
関谷 直也さん(東京大学大学院 特任准教授)
三浦 恵美里さん(ふくしま子ども支援センター県外避難者支援担当)
関根 仁美さん(鷺宮都営住宅自治会 会長)
早川 信夫(NHK 解説委員)

 

 

ゲスト:
金子 貴俊さん(タレント)
宮崎 美子さん(女優)


経緯をおさらい

1.事故後の避難


事故後、原発半径20km圏内の世帯に避難指示が出された
県内の他の場所に行った人もいれば、県外に行った人もいる
県外避難は、子どもたちだけでも推定9000人以上




2.「避難」の捉え方の複雑さ
「避難」しているのか、避難先に「定住」するのか、そんなに簡単には決められない
この約9000人という数字は「自己申告」なので、もっと多い可能性もある
全国各地に散らばったので、1人1人の状況把握がとても困難な状況


3.20km圏内以外の地域の人々も不安で県内外に避難している
 

例:
最初、家族全員で避難してきたが、父は仕事で福島に戻り、
祖父母は「都会での暮らしは合わない」と、同じ東北の避難所へ移った
親子2人が残り、ある日、何者かによってクルマに傷をつけられたが
「福島だから仕方がない」と母親が泣いているのを子どもが見て心が痛んだ


4.「賠償金」の複雑さ
被害状況、家族構成など、さまざまな事情によって金額、対応が異なる

最初に1度だけ「慰謝料」として一時金しかもらえなかった世帯もある

東電からの「賠償金」は平均月10万円ほど
いつまでもらえるかはいまだ不明 すべて失った状況では足りない


手記内容から読み取れること
まだ当時の子どもには分からないであろう“ばいしょう金”“ほうしゃのう”
という言葉が書かれていることから、「いじめ」+「原発問題」が深く関わっていることが分かる
少年は「賠償金があるだろう」と言われて、150万円ほど脅し取られていた

街の声:そう言った子どもは、親から聞いた言葉を言ったのだと思う

(毎回思うが、これは立派な犯罪だ
 言葉や行為による暴行、ゆすりもすべて、法律によって罰せられる
 “いじめ”という、なんだかゆるいニュアンスで曖昧になっていないだろうか?

 それに、こうした差別心を持つ親も、その子どもも
 他国の非難、移民追放!などの言動にもつながっているかもしれない
 差別意識の根底はいっしょ 無知、無意識が原因



子どもたちの悩みは複雑で多様


遊びに行けない
「賠償金で暮らしているから、お金を使っているところを友だちに見られたくない」

福島に戻りたくないと言えない
避難先で友だちができて、離れたくない

福島に戻りたいと言えない
子どものために県外避難をしている事情を知っているため


当時、小学生だった子どもも、6年後の今は中学生の難しい思春期に成長している
子どもの問題は、これまで親御さんを通してしか見えてこなかった
成長すると、いじめも深刻化する
自我が出て、親に心配させないようにガマンする子も多い

教育現場でも「原発被害者だから」という特別扱いはやめようという空気があった
余計に差別、いじめにつながるかもしれないから、静かに見守ろうという意図
それが良い事例につながったり、悪い事例になったり(教師の無関心など)


専門家:
親たちの何気ない噂話を子どもはよく聞いている
それを子どもたちの間で話す
どこかに行って、小さいお土産を配ることさえためらう子どももいる


<メール・ツイッター>

「震災直後、日本中の被災地の方を心配して、ボランティアをしたり
 寄付した時の温かい気持ちはどこにいってしまったのかと思います」

「他国へのヘイトにも通じる 排他的な意識が蔓延しているのではないか」

「避難せざるをえなかった人たちを排除しようとする意識を感じる」



時間の流れによる変化
 



***********プレゼン2:関根さんの活動例~正しい知識を知ることから



中野区のある都営団地
120世帯を受け入れて、現在は50世帯ほど うち、子どもは19人いる

関根:
親が不安だと、子どもも不安になる

実際、一部住民から酷い嫌がらせもあった
玄関に「早く出て行け福島!」と張り紙をされたり、生ゴミを置かれたり
クルマのタイヤに何十個もの画鋲を刺されたり

これではいけないと、なぜイヤなのか理由を聞いていったら、やっぱり「不安」だということ
それぞれのことを知らないのが原因だと思い、団地の「交流会」「親睦会」を企画した



最初は、福島住民も来るとは言わず、みんなで集まりましょうと声をかけたら、どちらも来ていたという感じ
顔を知っていたりするので、帰ろうとする人たちもいたが、
何度か交流を深めるうちに、嫌がらせは減りました



みそ作り会(結局、ニンゲンて食べ物なのかね/苦笑
 

大人も子どもも一緒になって作る 機械を使わず、手で大豆をつぶした
福島産の大豆を使用したが、最初はそれも言わなかったが、みんな美味しいと食べた
もちろん安全を確認したもの

会に来ないと言う人には、作った味噌汁などをおすそ分けした
偏見を生まないようにするには、正しい知識を知ってもらうこと

地域のまつりでは、味噌おでんを作った
中野区と福島を合わせて「ナカフクの会」と名づけた

交流を重ねるうちに、子どもたちも一緒に登校するようになった
親が笑顔になれば、子どもも笑顔になる

実際には、まだ反対者もいるが、続けることが大事


<メール・ツイッター>

「自主避難者です 補助金はもらっていません いじめは大人の間でもあります 挨拶しても返ってこないとか」

「みんな不安だから、避けたいと思う気持ちは出てしまう」



原発避難いじめは、大人の問題

<メール・ツイッター>

「原発事故による福島の人たちに対する大人の世界の見方が、子どもにそのまま反映している」

(これは原発に限らない 偏見は、親から子、大人から子へと伝わる
 生まれたばかりの赤ちゃんは、偏見などないのだから


誤解を解くために
避難者から放射能は伝染らない

食べ物などは全袋検査して、基準値超えは0

それでも「風評被害」は以前としてある

専門家:
科学的にいくら証明してみせても、不安感のほうが強まる
福島の方は検査について知識をもち、毎日、話題にしているが
県外の人はいまだに知らない人が多い


マスコミ報道との関係


専門家:
ある意味、マスコミの報道が不安感を煽っている部分もある

最初、快く取材を受けてくれていた方も、
「もう取材を受けたくない 話してもちっとも伝わらない」と拒否される方がいるほど

テレビなどで福島を取り上げる時、必ず映るのは、原発の映像や写真で
そこで暮らす人々の姿は、なかなか映らない
そういった“伝わらないもどかしさ”を抱えたまま過ぎた6年間だった


小野さんが言葉を詰まらせながら


「いくら特集を組んでも、伝えることが、伝わるのかと思うことがある
 まず、見てくれる人が少ない
 “伝染しない”と言っても、“本当ですか?”と言われる
 マスコミという立場を離れて、自分自身の中でも答えを探したい」



関根:
私たちは、避難者と中野区の住民とで、これまで4回、福島を視察に行きました
放射能測定器を持って、被災者の実家を訪ねたら、1回目は地域にも入れない状態

2回目、3回目、家を見たら、泥棒に入られ、動物も棲んでいて、
人が住まないと、家ってこれほどになってしまうものかと思った

何年も避難が続いている状況がなんとかならないものかと
県庁にも出向いて話を直接聞いたりもした

その映像を、まつりでも流して、みんなに見てもらった


ゲスト:学校でも授業の一環として流してほしいですね


関根:
近隣の学校に講義にも行ってます 被災した方の体験談を話していただいている


原子力災害は、ほかの自然災害とは違う
この6年間で分かった情報をちゃんと受け取って、理解しなければならない
時間の経過とともに、いろんな変化もある


関根:
放射線量だけでなく、避難先での暮らしで「戻れるか、戻れないか」でいまだ悩んでいる
人々の間でも原発の話題は扱いづらいという空気がある
まずは、住んでいる両隣りを気遣うことから始めればいいのでは

「ありがとう」という言葉1つでも変わる
避難してきた時に大変お世話になったから、今度は地域の人のお役に立ちたいと
郷土料理を教えたり、公民館で縫い物を教えたりして
そうすることで、被災者も自信を取り戻して、イキイキと暮らしていけるようになる


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