素振りブログ。

一般でスピーチできる話の素振りのはずなのに、無理な話がほとんどのブログ。

無駄金使いたいなら好きにしたらいいじゃない。(反対派の弁護士さんはお気の毒だけど)

2017年05月27日 17時45分19秒 | 日記
今日の産経の二面に「日弁連、『死刑廃止』で紛糾」って記事が載ってて。
記事を読むと日弁連が死刑廃止に向けた活動を行うための予算を無理矢理通したことに、日弁連内の被害者支援に取り組む弁護士が抗議して紛糾したという内容。

私としては「無駄金使ってるなー」って印象以外無いんですが。
だって日本人の性格というかモノの考え方考えたら、死刑廃止は無理だというのが私の意見なので。

前にも何回も言ったと思いますが、日本人の心の中には悪を必ず裁いて報いを与えてくれる絶対的な神様なんか居ないですやん。
とすると、あまりに悪い、救いようのない悪党を前にしたとき。
最後の正義の落としどころに神様を求めること、不可能ですよね。

だから無理だ、と言うのが私の意見。

「先進国はみんな死刑を廃止している」とか「もし冤罪だったらどうする」なんてのは理由になりませんし。
前にも言ったと思うけど。

多数が絶対に正しいなんて保証どこにあるの?

死刑を無くして終身刑を設ければ、冤罪が起きたときに取り返しがつく、わけねーよな。
(牢屋に入れられて、失った人生の時間は金を積まれても戻らない)

だから本当に死刑を無くしたいなら、正義の落としどころをキチンと作らなきゃダメだ、と思うのですが。
それも無理だよね。日本人宗教心無いし。

そんな状態だから、死刑に反対する人間には偽善者が多くなる構造が日本にはあると思うのですわ。
絶対に設置しておかなきゃならない正義の最後の落としどころがいい加減な人が多いから、結果として偽善者になってしまう。

で、一般的な人は偽善者を軽蔑しているから、受け入れられるわけが無い。

だから無理でしょ。だから日弁連がいくら死刑廃止にお金を使おうとも、ちっとも危機感を覚えないのですが。
(私個人は死刑は「仕方ないから賛成」派)
どーせ何やったって無理だもの。
だから金を溝に捨てているようにしか思えない。

まぁ、仮に?
日本で死刑が廃止される日が来たとしたら、日本人の意識の中に「悪事を必ず裁いてくれる神的存在」が生まれた日だと思うので。
私個人は死刑に賛成派ですけど、それはそれで「仕方ない」と思えますよ。