素振りブログ。

一般でスピーチできる話の素振りのはずなのに、無理な話がほとんどのブログ。

明日、ボジョレー・ヌーヴォーの解禁日ですね。(ワイン党のお祭り)

2014年11月19日 20時33分11秒 | 日記
去年は美味しかったんですが、今年はどうでしょうかね。
(まぁ、あまり期待して無いのですが)

去年は赤で、今年はロゼワインで予約入れてます。



今週で聲の形が最終回でした。

なかなかいい最終回だと思ったですよ。

決してさ、全てが良くなったわけじゃないんだよな。
多分植野さんはまだ石田君を取った(と思ってる)西宮さん内心嫌いだろうし。

永束君は未だに、友人が少ないことを気にしている。

でもさ。
2位ではダメなんでしょうか?

これはアカンですけど。

人間の生き方としてはさ、必ずしもレベル99になる必要は無いんですよね。
というか、レベル99って、何をもってレベル99って言うの?

作中の人間、いいとこ10~20くらいの低いレベルでウロウロしてますけどさ。

最大レベルに達していないのは確か。
でも、何をもって「最大まで成長した」というのか。

わかんねーじゃん。
じゃあ、気にしても意味なくない?

これは、中盤あたりで触れられてたことですけどね。

ラスト「生きてさえいれば、可能性はあるんだよ」と。

いいね。

彼らのこれから先の人生、おそらく嫌なことだらけでしょうけど。
いいことが起きる可能性だってあるわけで。

先に待ってる嫌なことを嫌って、人生を閉ざしたら、本当に全て終わってしまう。

ちょっと話はズレますけどさ。
ギリシャ神話で有名な話「パンドラの箱」

ギリシャ神話の神々が、最初に作り出した女・パンドラ。
彼女は、絶対に開けてはいけないと神に言われていた箱を好奇心に負けて開けてしまい、世界にあらゆる厄災を撒き散らした。
しかし、ギリギリで箱の蓋を閉じたせいで、最後に希望だけが残った、と。

そういう話なんですけどさ。

この「希望」

一説には「予知能力」って話があるんですよね。
つまり、何かを行動に起こそうとすると、そこから最終的にどうなるのか全て予知で分かってしまう。

もしそんなことになれば、誰も何もやろうとしなくなくなる。
希望が持てなくなる。

そういう究極に不幸せな特殊能力を、世界中の人間が備えることだけは防いだ、と。

この説、わりと説得力あると思いますよ。
聲の形の最終回を見た後では特に。

勝手に「もう人生詰んだ」決め付けて、自ら人生を閉じようとしていた少年が、「先に何が起きるかまだ分かんないんだから、とりあえず希望だけは捨てるな」と思うようになったあたり。
「分からないこと」が「希望」なんですよな。