素振りブログ。

一般でスピーチできる話の素振りのはずなのに、無理な話がほとんどのブログ。

同じ死刑で人生を終わるにしても、何かが違うはず。

2014年11月13日 22時16分59秒 | 日記
今週の相棒も見応えあって面白かったですよ。
今回の話も「法とは何か」「罪とは何か」「服役とはなんぞや」ということを強く意識しましたね。

今回の話は、1人の死刑囚とその家族、そして過去に殺人を犯して、そのまま逮捕されることなく生き続けてきた身も心も底辺の、浮浪者の老人が中心になって進むのですが。
浮浪者の老人が逮捕されなかったのは、警察の違法な取調べで、問題の死刑囚が浮浪者の老人の罪を被ったからで。

つまり、冤罪のおかげで捕まらなかった。

この老人、最低の人間でね。
年末になると、刑務所に入りたくてわざと犯罪を犯す。

罪を犯すということの意味合いを分かって無いんだよね。
刑務所に入るんだからいいだろ、なんて思ってるんでしょうけど。

刑務所に入るのは、その平気で犯罪を犯す欠陥品の精神を改善するためで、別にペナルティじゃないんだよ!

確か現実でもある裁判官が以前、こんなことを言ってました。

「裁判は遺族の復讐の場では無い」

もし刑務所に叩き込まれることがペナルティなのであれば、そりゃ裁判は遺族や被害者の復讐の場でしょうよ。
だって罰なんだもの。

でも、本当はそうじゃないからこそ、こういう言葉を裁判官は発したわけでしょ。

それにさ。
もし服役がペナルティなのであれば。
ペナルティさえ覚悟すれば、それをやっても構わないってことになるんですよね。
そんなもの、どう考えても健全な考え方じゃないですよな。

罪を犯せば、被害を受ける人に嫌な思いをさせたり、人生を壊したりする。
そんなことを「ペナルティは覚悟している。だからあんたも耐えろ」って。

はぁ~???

あんた何様ですか?
ってもんですわ。

浮浪者の老人はそういうものの考え方でね。
まあ、だからこそ「身も心も底辺」って言い方したんですけど。

過去の殺人は、腹が減って他人の家に上がりこみ、食料を漁っていたら。
家主の老婆に見つかって、騒がれたから思わず首を絞めて、そのまま殺してしまった。
そういうもので。

で、自首せずに現在までシャバに居続けた。
路上生活者だけど。

おそらく、いつ犯行がばれるかと怯えながら、捕まるまではシャバで生活しようと思ってたんでしょうね。
自分のせいで、老婆の人生が断たれた。黙っていたら、それはすなわち老婆の尊厳を汚すことになるんだ、とは考えなかった。

まぁ、取り返しのつかない真似をしてしまったことは肌で理解してたのか、その後の人生、老婆の幻影に悩まされていたようですが。
残りの罪は地獄で償えばいいよ。たのんます閻魔様。


で、もうひとつの中心「死刑囚」(演じるのはダンカン)

こいつは犯罪の常習者で。
刑務所を出たり入ったりの人生を送っていた。

死刑判決を受けることになったのは、強盗で。
ある老夫婦を殺し、金品を強奪。その後別の老婆の家にも押し込み、計3人を無残に殺した罪で逮捕。
3人も金目当てで殺したわけですから、当然相場通り死刑判決を受け、確定。

……なのですが、老婆の方の殺人はこいつじゃないのですな。
真犯人は浮浪者の老人だから。
まぁ、他はこいつなので、どのみち死刑なんですけど。

こいつが他人の罪を被ったのは、暴力的な取調べで警察に脅されたから、じゃなくて。

老夫婦の家から奪った品物の中に、赤ちゃん用の靴下があることを隠してもらう見返りなんですな。

何でそんなものを奪ったかというと、こいつの娘が妊娠中で、生まれてくる孫へのプレゼントのつもりで、老夫婦が自分たちの孫へ贈るために買っておいた靴下を強奪。
そんなものを贈ったわけですわ。

こいつ、この行為で少なくとも5人の人間の尊厳を汚しているのに気づいて無いんでしょうね。

まず孫へのプレゼントを奪われた老夫婦。次にその孫の赤ちゃん。そしてそんな他人の血の涙が染み込んでいる靴下を知らずに贈られた娘。そして、自覚無いまま履けば履くほど老夫婦とその赤ちゃんを冒涜する靴下を履かされる死刑囚の孫。

孫へのプレゼント?
ざけんな!(当の娘も言ってましたけどね)

この死刑囚が隠そうとしていた事実を、話の後半で右京さんが娘にバラそうとしてましたけど。
それをカイト君が躊躇ってましたね。

この行為に意味があるのか。
知らぬが仏。バラせば不幸な人間が増えるだけなんじゃないのか?

でも、右京さんはバラして、父親が唯一自分に対してやってくれたと思っていた、ただひとつの善行が、実は全然そうじゃなかった。
それを教えてやったわけですわ。

教えられた娘は泣くわけですよ。
恨み言も言ってましたね。右京さんに。

逆恨みですけどさ。

ここはさ、感謝するべきなんだよ。
何故って、知らなかったら、知らないで本来そのプレゼントを囲むはずだった3人の人間を冒涜し続けていたんだもの。

それもあるんですかね。

ラストで、自分の3つの殺人のうち、1つは冤罪だと認めて、再審請求をかけることに決めたとき。
面会して「心が軽くなった」と死刑囚の父親に言われて。

「教えてくれてありがとう」と、カイト君に。

再審かけてもさ、死刑は変わらないんだよね。
でも、冤罪が冤罪であることを認めることで、誤魔化されていた殺人の真犯人が誰であるか、明らかになるわけですよ。
それは殺された老婆の尊厳を守るためには必要なことなんですわ。

人間なんだから、誰のせいで人生を閉じることになったのか。そこがいい加減でいいはずがないですよね。

で、それを告白することで「心が軽くなった」と。
結果は変わらないんだけどね。少なくとも、目に見える部分の結果は。

処刑されるまでに心の壊れた犯罪者から、真人間にいくら近づけるのか分かりませんけど。

罪というものを最終結果とリスクでしか図れない野蛮人のままで殺処分されるように死ぬか。
それとも、罪の意味を多少なりとも理解して処刑されるか。

何かが違うわけですよ。
そこが分かったから、娘から「ありがとう」って言葉が出たんでしょうね。

目に見える結果だけが全てじゃない。
目に見えない大切なものってものがあって、右京さんはそれを守ったんだ、と気づいたんでしょうか。
カイト君。ラストでニヤニヤしてましたけどさ。