DRASTIC MODERN TIME TOUR で吉川晃司と出会ってからの私は、それまでの2年の遅れを取り戻そうかとしているかのようにその情報を集めまわった。
しかし皮肉なことに、シングル「モダンタイム」以降吉川晃司がメディアに登場する頻度は格段に下がっていったのではないかと思う。
初めて自らの作詞作曲によるシングルだった「モダンタイム」のセールスは、今までチャートの常連だった吉川晃司のアイドルとしての地位が下降していることを示していたはずだ。
次のシングル「すべてはこの夜に」は佐野元春の手による作品で、今までの吉川とは違う少し湿った切ない曲だった。これで一旦はチャート復帰したもののその後も徐々に露出が減っていったように思う。
その一方、当時の様々なインタビューなどからも察することができるが吉川はアイドル脱皮、ロックミュージシャンへの足場を公私で固めつつあったのだろう。
桑田圭祐らと親交を深め、多くのミュージシャン主導での生音楽番組「MERRY X'mas SHOW」をやったのもこの頃。
司会は明石家さんま。桑田、ユーミン、泉谷しげる、THE ALFEE、BOOWY、チェッカーズ、鈴木雅之、シーナ&ロケッツ(鮎川誠一人だったか?)、ARB、中村雅俊、米米クラブ、原由子、…
もっといた筈だけど今ざっと思い出せるだけでも奇跡のような顔ぶれだ。
こんな顔ぶれの中、21歳の吉川晃司は一番の若造だった。
あどけなさの残るやんちゃ少年が背伸びして駆け回っていた姿は、いつの間にか少し大人っぽい顔つきに変わっていった………。
1987年。
アルバム「A-LA-BA・LA-M-BA」のツアー、「解体へのSUGGESTION」へ足を運んだ。
前回のあまりにも鮮烈な最前列から一転、京都会館の2階席での再会。
オープニング曲はタイトルナンバーのA-LA-BA・LA-M-BAだとヤマを張る。
それは当たっていたが、外れてもいた。
アルバムで散々予習してきた高らかなイントロではなく、薄暗い照明の中静かに歌いはじめたその曲が、元歌とは似ても似つかないA-LA-BA・LA-M-BAだったのだ。
全部がバラードバージョンだったわけではなく、途中からは聴いてきた通りのその曲になったわけだけど。
私の記憶漏れがなければ、A-LA-BA・LA-M-BAのバラードバージョンなんて聞いたのはあれっきりだと思う。
このツアーの名前に、吉川晃司の一歩、二歩先を垣間見ることが出来る気がする。
「アイドル」として構築されてきた「吉川晃司」という存在を一旦「解体」しようとしていたのではないかと。
渡辺プロ社長の急逝に伴い、独立への置き土産になるはずだった映画「シャタラー」は大幅に脚本を書き換えられ大失敗に終わってしまったのだけど。
その事は随分後になってから知ったこと。
一度だけ見たけれど、印象の薄い、つまらない映画だった。
当初に用意されていた脚本やストーリーがどんなものだったのか、今となってはそれが気になる。
この年、1987年の晩秋には「COMPLEX前」最後のオリジナルアルバム・「GLAMOROUS JUMP」がリリースされた。
このアルバムのラスト曲は「BACK TO ZERO」。
過去の音楽雑誌の記事などをすべて当たれば、この頃にはすでにCOMPLEX始動の準備は始まっていたのかどうかを知ることができると思うのだが生憎そこまでの根性はない(笑)。
ただどんな形であれ、アイドル・吉川晃司を一度リセットしようという気持ちのこめられた曲だったのは間違いない。
吉川晃司が、一年間活動を休止すると聞いたのはこの頃ではなかったか。
1987年。
ツアー「QUESTION」に私は参戦することはかなわなかった。
ちょうどこのツアーのあったこの年の初めごろ、私は3週間のヨーロッパ旅行に出かけることになっていたのだ。
ちなみにその頃私は京都駅の観光デパートでアルバイトしていた。バイト先の友人に吉川ファンがいたのだが、このツアーで吉川が京都公演の時新幹線コンコースの売店でその姿を目撃したという……。羨ましい…。
実際には本当の「お休み前の最後のライブ」は武道館で実施された「BACK TO ZERO」だが当時の私は遠征など念頭になかったので、「私にとっての最後のチャンス」がこのツアーだったことになる。
ともかく、休止後どうなるか見えないまま「最後のライブ」に行くことが出来なかった私は───
ほんの少し、吉川晃司と距離ができた。
ここ最近よくテレビに露出するようになった吉川晃司を「昔は好きだったんだよね!」と懐かしむ人も多い。
もしかしたらそんな人の一人になっていたかもしれない、分かれ道がそこにあった。
※記憶に頼って書いている部分が多いため時期のズレなどがある場合があります。おおらかに見逃して下さい。
---吉川晃司と私 buck number---
【1】(1984~85)~出会う前~
【2】(1986)~鮮烈すぎる出会い~
【3】(1986~1988)~解体への…~
【4】(1989~1990)~COMPLEX~
【5】(1991)~LUNATIC LUNACY~
【6】(1992)~Shyness Overdrive~
【7】(1993)~10th Anniversary~
【8】(1994)~My Dear Cloudy Heart~
【9】(1995)~FOREVER ROAD~
【10】(1996)~BEAT∞SPEED~
【11】(1996~97)~0015→HEROIC Rendezvous~
【12】(1999)~HOT ROD~
【13】(2000)~HOT ROD MAN RETURNS~
【14】(2001)~SOLID SOUL~
【15】(2002)~PANDORA~
【16】(2003)~Jellyfish&Chips~
【17】(2004)~20th Anniversary~
【18】(2005)~エンジェルチャイムが鳴る夜に~
【19】(2006)~Savannah Night~
【20】(2007)~TARZAN~
【21】(2008)~SEMPO,and・・・~
【22】(2009)~25周年、両刃の剣を携え~
【23】(2010)~夏と冬のGROOVE~
【24】(2011)~日本一心~
【25】(2012)~愚~
【26】(2013)~SAMURAI ROCK~
【27】(2014)~反発の30年~
【28】(2015)~骨折してもシンバルキック~
【29】(2016)~WILD LIPS~
【30】(2017)~ライブこそ人生~
【31】(2018)~武道館で、笑顔の再会を~
【32】(2019)~吉川晃司、起動。~
【33】(2020)~空に放つ矢のように~
【34】(2021)~BELLING CAT~
【35】(2022)~OVER THE 9~
しかし皮肉なことに、シングル「モダンタイム」以降吉川晃司がメディアに登場する頻度は格段に下がっていったのではないかと思う。
初めて自らの作詞作曲によるシングルだった「モダンタイム」のセールスは、今までチャートの常連だった吉川晃司のアイドルとしての地位が下降していることを示していたはずだ。
次のシングル「すべてはこの夜に」は佐野元春の手による作品で、今までの吉川とは違う少し湿った切ない曲だった。これで一旦はチャート復帰したもののその後も徐々に露出が減っていったように思う。
その一方、当時の様々なインタビューなどからも察することができるが吉川はアイドル脱皮、ロックミュージシャンへの足場を公私で固めつつあったのだろう。
桑田圭祐らと親交を深め、多くのミュージシャン主導での生音楽番組「MERRY X'mas SHOW」をやったのもこの頃。
司会は明石家さんま。桑田、ユーミン、泉谷しげる、THE ALFEE、BOOWY、チェッカーズ、鈴木雅之、シーナ&ロケッツ(鮎川誠一人だったか?)、ARB、中村雅俊、米米クラブ、原由子、…
もっといた筈だけど今ざっと思い出せるだけでも奇跡のような顔ぶれだ。
こんな顔ぶれの中、21歳の吉川晃司は一番の若造だった。
あどけなさの残るやんちゃ少年が背伸びして駆け回っていた姿は、いつの間にか少し大人っぽい顔つきに変わっていった………。
1987年。
アルバム「A-LA-BA・LA-M-BA」のツアー、「解体へのSUGGESTION」へ足を運んだ。
前回のあまりにも鮮烈な最前列から一転、京都会館の2階席での再会。
オープニング曲はタイトルナンバーのA-LA-BA・LA-M-BAだとヤマを張る。
それは当たっていたが、外れてもいた。
アルバムで散々予習してきた高らかなイントロではなく、薄暗い照明の中静かに歌いはじめたその曲が、元歌とは似ても似つかないA-LA-BA・LA-M-BAだったのだ。
全部がバラードバージョンだったわけではなく、途中からは聴いてきた通りのその曲になったわけだけど。
私の記憶漏れがなければ、A-LA-BA・LA-M-BAのバラードバージョンなんて聞いたのはあれっきりだと思う。
このツアーの名前に、吉川晃司の一歩、二歩先を垣間見ることが出来る気がする。
「アイドル」として構築されてきた「吉川晃司」という存在を一旦「解体」しようとしていたのではないかと。
渡辺プロ社長の急逝に伴い、独立への置き土産になるはずだった映画「シャタラー」は大幅に脚本を書き換えられ大失敗に終わってしまったのだけど。
その事は随分後になってから知ったこと。
一度だけ見たけれど、印象の薄い、つまらない映画だった。
当初に用意されていた脚本やストーリーがどんなものだったのか、今となってはそれが気になる。
この年、1987年の晩秋には「COMPLEX前」最後のオリジナルアルバム・「GLAMOROUS JUMP」がリリースされた。
このアルバムのラスト曲は「BACK TO ZERO」。
過去の音楽雑誌の記事などをすべて当たれば、この頃にはすでにCOMPLEX始動の準備は始まっていたのかどうかを知ることができると思うのだが生憎そこまでの根性はない(笑)。
ただどんな形であれ、アイドル・吉川晃司を一度リセットしようという気持ちのこめられた曲だったのは間違いない。
吉川晃司が、一年間活動を休止すると聞いたのはこの頃ではなかったか。
1987年。
ツアー「QUESTION」に私は参戦することはかなわなかった。
ちょうどこのツアーのあったこの年の初めごろ、私は3週間のヨーロッパ旅行に出かけることになっていたのだ。
ちなみにその頃私は京都駅の観光デパートでアルバイトしていた。バイト先の友人に吉川ファンがいたのだが、このツアーで吉川が京都公演の時新幹線コンコースの売店でその姿を目撃したという……。羨ましい…。
実際には本当の「お休み前の最後のライブ」は武道館で実施された「BACK TO ZERO」だが当時の私は遠征など念頭になかったので、「私にとっての最後のチャンス」がこのツアーだったことになる。
ともかく、休止後どうなるか見えないまま「最後のライブ」に行くことが出来なかった私は───
ほんの少し、吉川晃司と距離ができた。
ここ最近よくテレビに露出するようになった吉川晃司を「昔は好きだったんだよね!」と懐かしむ人も多い。
もしかしたらそんな人の一人になっていたかもしれない、分かれ道がそこにあった。
※記憶に頼って書いている部分が多いため時期のズレなどがある場合があります。おおらかに見逃して下さい。
---吉川晃司と私 buck number---
【1】(1984~85)~出会う前~
【2】(1986)~鮮烈すぎる出会い~
【3】(1986~1988)~解体への…~
【4】(1989~1990)~COMPLEX~
【5】(1991)~LUNATIC LUNACY~
【6】(1992)~Shyness Overdrive~
【7】(1993)~10th Anniversary~
【8】(1994)~My Dear Cloudy Heart~
【9】(1995)~FOREVER ROAD~
【10】(1996)~BEAT∞SPEED~
【11】(1996~97)~0015→HEROIC Rendezvous~
【12】(1999)~HOT ROD~
【13】(2000)~HOT ROD MAN RETURNS~
【14】(2001)~SOLID SOUL~
【15】(2002)~PANDORA~
【16】(2003)~Jellyfish&Chips~
【17】(2004)~20th Anniversary~
【18】(2005)~エンジェルチャイムが鳴る夜に~
【19】(2006)~Savannah Night~
【20】(2007)~TARZAN~
【21】(2008)~SEMPO,and・・・~
【22】(2009)~25周年、両刃の剣を携え~
【23】(2010)~夏と冬のGROOVE~
【24】(2011)~日本一心~
【25】(2012)~愚~
【26】(2013)~SAMURAI ROCK~
【27】(2014)~反発の30年~
【28】(2015)~骨折してもシンバルキック~
【29】(2016)~WILD LIPS~
【30】(2017)~ライブこそ人生~
【31】(2018)~武道館で、笑顔の再会を~
【32】(2019)~吉川晃司、起動。~
【33】(2020)~空に放つ矢のように~
【34】(2021)~BELLING CAT~
【35】(2022)~OVER THE 9~
アイドル扱いされると相手がたとえ古くからの
知り合いだったとしても殴り合いのケンカに
なってしまうらしいです。
以前にもそんな記事をスポーツ紙で見た事が
ありましたね。
いわゆる分かれ道で違う道を行った人ですね。
でも、あんまり情報の入ってこない岡山の片田舎で
当時はかなり頑張ってました。
今自分自身を振り返ると、当時中学~高校でしたが
不登校になったり母親が死んだりと
ライブに行きたくても(チケットを取ってても)
行けなくなったことが何度かありました(苦笑)
だからこんな風にちゃんと記録に残せないです。情けない。
後々、ご縁があってさいんさんと知り合い
吉川さんとも再会するわけですが
その頃のことはまたその頃の記録のときにでも(笑)
10周年の頃にはもうアイドル時代があったから今の自分があるというスタンスの発言してましたし。もう大人だから「あれは恥ずかしい過去」だとは思ってないでしょう。
ワンツースリー事件の時も真相は語ってませんがかなり酷いことをやられて腹に据えかねたということらしいし。
若い頃はともかく殴り合いのケンカというのはあまりイメージじゃないですね。記事は多分ワンツースリー事件あたりからの発想でおもしろおかしく作ったものじゃないかという気がします。
私は出来事をそのつどきちんと記録しておくような几帳面さがないので本当に記憶頼りで正確な記録とはいえないのですが、記憶頼りもひとつの真実かなぁと開き直ってぼつぼつ書いていこうかと。
マダムとの出会いも多分ばっちり書きますよ(笑)気長にお待ちください^^