fu-tenのへび

そう、ゴルフ好き,ラグビー好き、スポーツ大好き。音楽も好き

スタートラインに

2007-10-28 | デビール神速
 大雨のおかげで普段できないミーティングに時間を割くことができた。
来月から、とうとう一番やりたかった仕事の会社を設立する。
ちょうどいいタイミングなのかもしれない、神速Jrの追っかけも
遅くとも正月には終わるわけだし、
すべてがまるで用意されたように、タイミングもばっちりだ。

 しかし、ミーティングをやったせいで、大事な一戦を見逃してしまった。
佐倉高校VS市川高校の試合を見れなかったのは、残念だ。あの雨の中で、
どんな試合だったのだろう?両校にいる神速Jrの同期達は、どんな
プレーをして、どう戦ったのか?スコアだけではわからない、
「記憶」に残せなかったのは本当に心残りだ。
そして、負けてしまった佐倉の同期は、今頃何を考えているのか?

 佐倉RSの頃から、ラグビー一筋のIくんとYくん。FLのIくんは、
ジュニア時代から常に周りのことを考えながら行動でき、責任感の強い
プレーヤーだった。
他人のいいところを、きちんと評価できるプレーヤーであり尊敬すべき
人柄でもある。SOのYくんも、責任感が人一倍強く、ファイターであり
周りによい影響を与えるプレーヤー。
 
 ジュニアの花園大会の時のエピソードは、今でも鮮明に覚えている。
チームの決めた「朝食に遅れたものは、試合に出さない」というルールにも
関わらず、大事な神奈川選抜との試合の朝、3人の主力選手が起きてこなかった。
 花園のメイングランドでの試合前のミーティングで、僕らコーチは
「遅刻した選手を試合に出すか、出さないかは選手で決めろ」と言って、
彼らに考えさせたとき(正直、主力の3人が出れば勝てた試合だったと思う)
中学生には難しい決断をまとめたのが、Yくんだった。

 「出さなくていいんだな?」と確認したヘッドコーチの目を真っ直ぐに見て
うなずいたYくんの顔は、忘れない。彼らは大変貴重な経験をした、
目先の勝利よりも「チームのルール」を優先したのだから。

 そんな彼ら2人の高校ラグビーが終わったと思うと、そして彼らの抜け殻の
ような姿を想像すると、なんとも言えない感情になる。
戦士には休息も必要なのだ、思いっきり泣いたらまた歩き出せばいいんだ。
人生のスタートラインにまだ立ったばかりだよ。


I forgive you.

2007-10-27 | デビール神速
 今朝の亀田家長男の会見、もういいでしょう、充分だ。人の痛みがわかったことでしょう。針の筵を承知の上で、みんなの前に出てきたんです。まだまだ、18歳と20歳、普通の男にはできない経験をしたわけだし、うらやましいほど人生は
たっぷりと残されている。このぐらいの失敗がなんだ、本物のプロになってほしいと心から思いました。

 I forgive you とは、「スパイダーマン3」で叔父を殺した脱獄囚のサンドマン
に対して、最後にピーターが言った言葉。犯した罪の裏にある背景、
生きることの暗い部分、妬みや恨み、疑心暗鬼。叔母さんのやさしい言葉に、
ピーターも僕も救われるのだ。そして、サンドマンの魂も「救済」を受け許される場面が、なぜか亀田の会見とだぶったのだ。「もう、彼らを許そうではないか」

Head Wind, Tail Wind

2007-10-26 | デビール神速
 ゴルフで言うところの、「アゲインスト」、「アゲてる」とは向かい風のこと。
「フォロー」、「フォロってる」は追い風のこと。飛行気乗りのアゲは、「ヘッド
ウィンド」~頭からの風、フォローは「テールウィンド」~尾っぽからの風。

 前置きはともかく、そよかぜ程度の「アゲ」でもすごく気になる人もいれば、
少々の逆風でも当たり前と思って、涼しげに前に進む人もいる。

 周りの人がいろんな研修に出る中で、「80%の人は、後ろ向きな考え」
ということらしい。「前向き」だの、「前向きに生きないといけない」なんて
さらさら言うつもりもないし、いちいち人の生き方に「どっち向きだっていいじゃん」が、本音である。


 ただ思うに「人生の風速」を測ってみれば、80%が逆風かもしれない。
(そよ風のような逆風も含めて)でも考えてみると、前に少しでも歩いているなら
顔に風が当たるのは、あたりまえ。その風さえ「逆風」と捕らえるかは、本人
しだい。

 先日、若手の営業マン達と話し合って感じたのは、彼らは「不安、恐怖を自分で
作り出し、それを勝手に増幅させている」ということ。僕のように「地獄を見た」
ものは(これも大袈裟である)、それ以下はないので何をやっても幸せだ。
 もちろん落ち込むこともあるけれど、落ち込むときは思いっきり落ち込んで、
底まで落ちた勢いで、ポーンと跳ね返るようにしている。

 「なんくるないさ~」(しまんちゅ語)「あんとんねーよ」(千葉弁)「マイペンライ」(タイ語)「ノンテンプロプレーマ」(ポルトガル語)、
いつも嫌なことがあっても、すぐにいろんな言葉を使って切り抜けて行く。
昨日、ゴルフを通して人生を考えさせられました。僕にとっては、ゴルフは人生の
研修なのです。(うまいこと言った!)プレーヤーにもいろんな人がいて、感情の起伏が激しい人、必要以上に恐怖(不安)を増幅させる人、相手に惑わされず坦々とプレーする人、果たして「ゲームの達人」は誰なのか?そんなことを
思う暖かい(暑い)木曜日でした。(大負けしたからでしょうか?いや、きっと
ネセサリーロスなのだ。でも痛い!!)

それでも僕は、歩き続けるのです。ゲームの達人を目指して、「終わりのない
ゲーム」と知りながら。


親孝行なシューズ。

2007-10-24 | ラグビー
 神速Jrに中学校時代から言い聞かせていたこと。
「ヘッドキャップ、シューズはとにかく派手にしろ。」その心は、
通常練習や練習試合では、コーチにアピールしなければならない。
特にセレクションなどで、名前が知られていない時は「あの○○色のヘッキャは
誰だ?」とか思わせればよいのだ。もちろん体がでかいとか、
足がめちゃはやいやつはそれだけで目立つけれど。
(ちなみに、めちゃは今回の広辞苑に載ったそうなので、使用してみました。)

 もちろん公式戦では、ヘッキャ、ジャージ、ストッキングも指定なので、
あとはシューズぐらいしかない。だからかどうか?思いっきりピンクのスパイク
である。側で見ると、ショッキングピンクだ。でも、おかげで密集戦でも
ただでさえ小さいJrを見失うことはないし、これから観戦にくるであろう
年1,2回のサポーターであるじいちゃん、ばあちゃんが見に来ても、
「ピンクのスパイクがJrだよ。」って言えば、試合中に脇で「Jrはどこ?
どこ?どこ?」なんていう攻撃にさらされずに済むのである。

 その上、サボっていてもよくわかるし、目立つということはそれなりに
大変なのである。

 ところで、前回の武蔵戦で僕が彼のプレーで一番評価しているのは、
ルーズボールにすばやく反応して「セービング」してマイボーにしたプレーと
相手ゴールライン近くのスクラムから、こぼれたボールに反応してトライしたプレー。
地味だが「そういうプレー」をコーチは一番見ているものだ。

Hさんが褒めた。

2007-10-23 | ラグビー
 神速Jrからの練習の報告です。今日は、ADを多めにみっちりと
やったそうです。そして、あのOBのHさんが
「なかなかいい雰囲気になってきた。」と褒めたそうです。
辛口で厳しいHさん(親の手前か、僕らがいる時はソフトな気がしますが)、
以前はJrはじめフォワードの面々にとって、Hさんが来ただけで顔がこわばって
しまうほどの存在でした。

 本郷フォワードを強くしたい一心で、平日にもかかわらず、治療院の仕事の合間に来てくれていることは、感謝でいっぱいです。Hさんのコーチとしての目は確かです。だから、フォワード陣もHさんを尊敬しているわけです。(怖がりながらも)

 土曜日は、明中が出稽古に来るようです。

全員集合!

2007-10-23 | ラグビー
 このところシビアな話題が続いた?ので、少しブレイク。今日は、本来OFFの
はずの神速Jrだが、朝レンに。先週は、2年生は修学旅行、昨日は3年生が模試のため全員集合したのは久々の模様。11月4日の成蹊戦まで間があるので、
今週あたりは練習試合か?

 「年間○○日の本名でゴルフ」が○曜日に入ったため、今週はちとタイト。
実は前回金曜日のゴルフで「破壊的な勝利」を収めたので、当然リベンジに燃える
親父どもは今頃練習に励んでいるのだろうか?

 その金曜日、ゴルフを千葉でしたのになぜかそのまま拉致され、わざわざ五反田の河豚やで酒を食らった挙句、お泊りコースとなったわけだが、その時泊まった
ホテルがなんだか外国の安ホテルのようで、なんだか懐かしかった。
1Fにイタリアンとパン屋があり、名前も「アリエッタ」なのでイタリアのプチホテルを意識しているんだろう。しかし、五反田には似つかわしくない雰囲気でもあった。東京お泊りコースには、また使わせてもらうかもしれないが、イタリアンママがいないのが、残念ではあった。アリエッタホテル

人民は弱し、官吏は強し。

2007-10-22 | デビール神速
 SFショートショートで有名な、星新一氏の書いた作品の中で、僕の好きな
本は、「人民は弱し 官吏は強し」と「明治 父 アメリカ」の2作品。
オヤジさんである、星一氏は星薬科大学の創設者であり、製薬王と呼ばれた人でもある。その一(はじめ)氏のアメリカ苦学時代を描いたのが「明治 父 アメリカ」日本に帰国してから製薬会社で一財を成したが、官吏(官僚)に睨まれたがゆえに、様々な妨害や投獄されるなど、苦難の道を歩く様子が描かれているのが「人民は弱し 官吏は強し」である。

 僕のジイ様も同じころ、卒業式の一週間前に早稲田大学を中退し、アメリカに
渡ったので、じいちゃんの武勇伝を聞いているようで心地よく読めるのだ。変わり者一家のDNAの元祖であるじいちゃんは、外交官を断り、「いっしょに宝塚を
やろう。」と言ってくれた、小林一三氏(阪急電鉄創設者)の誘いを蹴ってフリーターの道を選んだのだ。(あ~今頃僕は宝塚の創設者の孫として、のほほんと暮らせていたものを。)その後インドネシアに渡り、貿易会社を営み(ばあちゃんの方が経営センスがあったと聞く)若きスカルノを匿い、独立をけしかける等の武勇伝は数知れず。

 そんな僕が小さい頃から聞かされていたのは、「袖の下」いわゆるワイロを要求する官僚どもの話。よって、会う前からカンリョウどもとは口も聞きたくないという、勝手なアレルギーを作り出してしまった。

 だから、先週の木曜日に○○○○庁やら○○○○委員会でカンリョウどもと
話をした時は、言葉は丁寧だったが僕の敵意は丸出しだった。彼らは「あー言えば上祐」など比較にならないほど理屈が立つ上に、「できれば何もしたくない。」という一言を、こねくり回した表現かつ慇懃に語るのだ。聞いているふりをするのも
超一流だと感じた。ゴルフ5年で120回なんて、まだまだ小物だ。話の中身は
言えないが、僕は一日で2kgもやせてしまった。あんな奴らを敵に回して戦っていた、星一氏の気持ちが幾ばくかは分かった気がした。日本国から独立したいという夢も、再びメラメラと燃え上がった、これが異端の家系のDNAというものなのか?

素晴しいゲーム。

2007-10-20 | ラグビー
 佐倉高校を通して、千葉県の高校ラグビーの試合を見ると、今日の磯辺高校、
前回の千葉北高校ともに、千葉の高校ラグビーの「これから」について期待が
高まるように思う。残念ながら現状は、2番手争いトーナメントである千葉県。
しかし、今日見た磯辺高校のようなチームが増えれば、間違いなくレベルの高い
試合が増えることだろう。そして、束になって流経にかかっていけばもっともっと
盛り上がるはずだ。

 それにしても指導者の熱で、チームは本当に変わる。磯辺高校はノーサイドのあと、引退の儀式であろうか?ランパスをしながらグランドに別れを告げる様子をみると、磯辺高校が真のチームだったことが理解できる。彼らはきっと密度の濃い
時間を仲間と共有したのだろう、本当に羨ましい。

 試合は、磯辺高校のよく鍛えられた低くて早いラックオーバーに佐倉は苦しんだが、前半終了間際の同期のIくんのトライがなければ、試合はどうなるかわからなかった。でも、外から見ている限りでは、磯辺高校はチャレンジャーとして佐倉高校に対面していた。前半の「ショット」選択は、弱者としての選択と言える。磯辺フィフティーンは、思ったより佐倉を怖がっていたのかもしれない。

 さて、次は因縁の対決「市川高校」なのだが、もつれたゲームになることは
必死だ。市川サイドにも同期がいるので、つぶし合いになるのは非常に残念だ。
来週観に行くとすれば、「真ん中」で観なければならないだろう。帰り際に
「来週は市川サイドで観て下さい。」と同期の⑧から声を掛けられた。
もちろん、市川も応援してるんだよ。だから真ん中に行くよ。


同じ父親として。

2007-10-18 | デビール神速
 ニュースで亀田親子の会見を見た。ちょうど我が家とダブった、亀田のおやじが
42歳、張り子の弁慶18歳、神速43歳、Jr18歳。

 早くも結論から言えば、「子供が見ているのは親の背中」この一点に尽きる。
タイプこそ違えど、できの悪い親父である神速も自分自身の背中は見ることは
できない。反面教師としては、よい親父と言えるのかもしれない。「自分のような
遠回りな人生をわざわざ選択する必要はない、お母さんの歩んだ道こそ本道」
というのが、本音に近い。

 常に何事も目標を立て、一歩一歩努力を積み重ねる母親であり、サービスの
プロフェッショナルでありながら、次の自分を模索し実現にちかづいている彼女と
いいかげん(良い加減とも取れる)にして、風任せ、川の流れに身を任せる
チャランポランな父親。(ただし、やる時はやることもある)

 この「2つの対照的な背中」を見て育ったJrは、どう感じ、どう捉えているのか?自分の背中は小さく丸い背中なのか?大きくて目標とする背中なのか?
それとも「理解を超えた背中」なのか?

 あの会見に自分が座っていたら、どんな態度で臨むかを真剣に考えた。
3兄弟には、親父の背中はどんな風に見えたのだろうか?


僕は文面以上に怒っているのですが(ゴキブリ親父として)、もし神速Jrが
対戦相手をゴキブリ呼ばわりするようなことがあれば、許さないと思います。
「身障」だの「クソ」だの「死ね」も同罪です。それが誰の子だろうが関係ない。

泣きたい夜だってある。

2007-10-17 | ラグビー
 今日は、一日東京人。両国で昼に仕事を済ませ、2時過ぎに麹町にて日本一
有名な知事である、あのひとのセミナーを「同じ営業として」聴きに。5時過ぎに
工藤さんの病室へお見舞いに行った。

 工藤さんに何をしてあげられるのか?と考えた結果、本郷の試合のDVDとラグビーボールを模った本郷ペンダントTOPを持参した。

 40分ほど話をさせていただいた。(もちろん、通常の状態ではなかったことを
お察しください)その中で、印象に残った言葉がいくつもあったので、関係者の
皆さんにはここで伝えなければならないでしょう。

 あらためて聞いても、工藤さんは本郷のことを「うち」と言うこと。これは
身内の「うち」、仲間内の「うち」、この一言にも本郷ラガーに対しての、
思い入れと愛情を感じました。

 そして、他の話は曖昧な部分もあるなかで、はっきりとした口調で
「11月4日は成蹊ですね。」帰り際には、
「また、グランドでお会いしましょう」ともおっしゃいました。

 僕は選手でもないのに、「必ず花園に行きますから。応援に来てください。」
と言うと、大きく頷いておられました。面会のほとんどの時間を、僕の右手を
しっかりと握り締めながら、一緒にDVDを見ました。すると、
「この試合は、いい試合だったね。」とか「コウヘイは、体が大きくなったね。」
とも、おっしゃっていました。

 「今までこれといった大病もしたことないのに。」とおっしゃられた言葉に
凛として生きてこられた工藤さんの悔しさが、滲み出ておりました。しかし、
これからリハビリをすれば、元気なお姿になっていくとは思います。

 帰り道、なぜか車の中で涙が止まらなくなり、選手でない自分が歯がゆく
思いました。工藤さんとの男と男の約束は、自分の力で果たすことはできない。
それが悔しくて、なのか?よくわからない。けれど、泣きたい夜には間違いない。

静かなるサポーター。

2007-10-17 | ラグビー
 工藤さんと初めてお話したのはいつだったろうか?本郷のグランドで何度も
顔を合わせるうちに、自然にお話するようになったと思う。
天候が悪い時や、対戦相手があまり強くない時は、父母の応援も少なくなるもの
なのだが、工藤さんはいつでも必ず観に来てくれるし、試合の30分以上前から
必ず練習を見守っていた。

 県外だろうが、菅平だろうが、もしかして出席率は一番に近いのではなかろうか?本郷OBとは聞いていたが、ラグビー部OBというわけではなく、僕から
見ても「いいじいちゃん」なご年齢でもあるのに、「本郷ラグビーファミリー」が
生きがいであるとお聞きしたこともあった。

 工藤さんは、実は選手の名前はもちろん、選手の特徴まで良くご存知だ。
「彼は、○○に強いんですよね。」時に、勝負の話になると、やさしい風貌から
想像できないほど鋭い眼光になる時がある。

 関東大会の辰巳の森会場でのこと、応援者の場所がグランドの端のごく一部に
制限されたとき、工藤さんは大会本部席へ抗議をしてくれた。そのお陰か、グランドの外ではあるが、自由に観戦することが許された。

「せっかく県外から、わざわざ観に来ているのに、あんな場所からしか応援できないのではかわいそうだ。協会にも言わないといけない。」

やさしい口調ではあったが、「芯の通った男の強さ」を感じた。少しずついろんな
お話をしていただけに、日曜日に入院されていることを聞いてショックだった。

「車椅子でも花園につれて行く」とお嬢さんがおっしゃっていた。いろんな人の
想いが、彼らの知らないところに存在する。


PS、本日お見舞いに行こうと思います。本郷の試合のDVDを持って。

負けに等しい、ワントライ。

2007-10-15 | ラグビー
 都立武蔵高校は、いくらトライを獲られても、下を向いたり仲間にキレル
ような者はなかったように思う。ベンチから涙声になりながら仲間を鼓舞する
「3」の背中には、ケガで出れないのだろうか?最後の試合で仲間とピッチに
立てなくとも、「声」だけでも十分本郷と戦っていた。

 100-5の結果、数字には表せないものがそこにはあった。点差が離れても
大味な試合にならなかったのは、彼らの「魂のこもったタックル」あればこそ。
強者に立ち向かう、用意されたプレーもあり彼らの勇気を讃えたい。

 最後にモールで獲られた一本を、忘れてはいけない。最後の最後にあれだけの
力を出せる彼らに学ぶ所が多い。正直、新人戦、東京高校にロスタイムに逆転トライを獲られたとき、本郷の何人もの選手がヘッドキャップを地面に叩きつけたのは
見ていて気分が悪かった。まだ、ノーサイドではないのに、そんなことをするなら
例えど真ん中だろうが、相手のコンバージョンのモーションに合わせて、1パーセントでも可能性が残っている限り、プレッシャーをかけるべきなのだ。

 男の価値とは、きっとそんな小さなことで決まるような気がする。さあ、
「彼らが教えてくれた、ワントライ」の価値を高めようではないか。
彼らに「俺らは、優勝した本郷高校からワントライを獲ったんだ」と言わせる
ことが、彼らに報いることなのだ。

 

 

どっちのサイド? いよいよ出陣。

2007-10-14 | ラグビー
 「明日はどっちのサイド?」昨日の夜、神速Jrからの質問。
なかなか鋭い指摘、今日は母校対本郷なのでそんな質問をしてきたようだ。

 「やはり母校だから、最初は都立武蔵サイド。もしかして、俺の知っている人が
コーチかもしれないし。誰も知っている人がいなければ戻ってくる。でも、弱い
(とされる)方を応援する性格だから、やっぱ武蔵。」

 などという、複雑であいまいな官僚答弁をして、しどろもどろ。
とにかく今日は、お互い力を出し切るいいゲームを。対戦高をリスペクトするのは
当然だが、見る人に感動を与える試合を望む。

佐倉高校 臨時応援団。

2007-10-13 | ラグビー
 楽しみにしていた佐倉高校の決勝トーナメント一回戦を観戦してきました。
久々のスポレクパークは、やっぱり広い。市原市お金ありますね(土地もある)
駐車場も広く、なかなかよい感じでした。が、ひとつだけ注文。公式戦なのに
スコアボード(手書きでもいいのに)対戦表の張り出しもなく、ちょいとサービスが
足りないかと。あと、仮設のスタンドでもあれば言う事なし。

 試合のほうは、同期や知っている顔も多く「息子の試合でもないのにドキドキ」
してしまいました。というのも、キックオフ直後の千葉北高校の動きを見て、
(ボールに対しての反応やキックチェースの仕方)「これは、いいチームだぞ」と
見て取れたからです。お互いDFもよく、直前に行われた試合に比べると格段に
締まった好ゲームでした。

 やはり、負けたら即引退のゲームはこちらも感情移入してしまいます。
しかし、前半のFWの勝者は間違いなく千葉北高校でしょう。佐倉のモールを
2人で止める技術、相手モールへの一人目の入り方、味方モールの土台の選手の
足を掻き続ける仕事ぶり、どれも見ごたえのあるものでした。

 前半を終わってリードされていれば、もしやの試合だったはず。指導者、選手ともに讃えられるべきチーム(まさにチームとして機能)でした。

 さて佐倉高校も、後半はラックオーバーのスピードも上がり、チームとしての
FW戦のこだわりの意図も読み取れたので、勝って反省のできるゲームとしては
非常によかったのではないでしょうか。

 元々、能力の高い選手が揃っているように思いますので、「今日の千葉北」
から学ぶ、盗む技術を整理して、次のBシード戦に臨んでください。
しかし、メンバー表を見ると3年生も少ないなかで、よくがんばっているなあ
というのが正直な感想です。なんとか3年生を男にしてやってください。
次戦も応援に行きたいと思います。佐倉のアカクロ、ファイッ!

 

Date of birth

2007-10-12 | デビール神速
 本日10月12日は、神速Jr18回目の誕生日です。Teen ageも、あと2年か?早いものです。月の半分は家にいない「飛び職」の神様(かみさん)のおかげで、中学校までは濃密に子育てに関与してきただけに、いろんなことが思い出される。

 彼は、心配の尽きない子供であったような、想像を超える傑作の一面もあったような。物静かで読書好きなやつが、ここまでラグビーにはまるとは、昔の彼を知っている人には想像もつかないように思う。

 「運動神経があるんだろうか?足の遅さは誰に似たんだろう?」と、真剣に
親族のDNAの犯人探しを夫婦でしたことが懐かしい。小学校5年生までは、
クラスで真ん中、リレーの選手なんて夢のまた夢だったのに、
6年生からは、常にクラスでTOPまたは2番になったのは「突然変異」というか
想像を超えた一面だった。

 ラグビーを始めたおかげだと彼は信じている。「好きだけど不得意なスポーツ」
の中で、ラグビーだけが彼に寛容だった。

 中学の時のバドミントン部では、結局公式戦への出場はゼロ(3軍扱い)。
バドミントン部のレギュラーのユニフォームを着たのは、唯一中3の体育祭の
部活対抗リレーの選手の時だけ。「これが○○中のユニフォームなのか。」と
うれしそうに家に持って帰って来たのを思い出す。3年の部活引退の日、
高いラケット(ほかの言い方だったような)を後輩にすべてあげてしまい、
「俺は、人生で2度とバドミントンはしないから。」と言った彼の真顔を見て、
やつには相当な屈辱の日々だったんだなと理解したことも。

 そういう意味では、今は生き生きとしているし、昔を知る人からは「顔つきが変わった、顔が締ったし、別人だね。」と言われるのは親としてもうれしい限り。

 これ以上望んではバチが当たるというもの。妙に子ども扱いする、校則(拘束)の厳しい学校に入ったおかげで、いろいろと楽しませてもらったし、追っかけ生活やこの「子育て日記風」ブログも楽しませてもらった。彼の引退の日で、このブログもやめようと思っている。大学でラグビーするなら別だが。

 やはり子供は生きていてくれるだけで充分。充分幸せだよ、お前の好きなように
納得するまでやったらいい、それを応援し続けるのが「至福のサポーター生活」
なのです。誕生日おめでとう、これからもよろしく。(って見てないんだよな、やつは)