fu-tenのへび

そう、ゴルフ好き,ラグビー好き、スポーツ大好き。音楽も好き

戦士は休息中にて

2007-02-28 | Weblog
 試験前とやらで、部活停止期間。したがって神速Jrのネタはナシ。
誰とどこでニアミスするかわからない人生なので、スポーツ履歴を載せてみます。

 1965年7月6日 東京都国分寺市で生んでいただきました。ただし病院は、           阿佐ヶ谷のやぶ北と呼ばれていた○北病院。
    
4歳ごろから6歳まで 小金井市貫井神社付近でやんちゃの限りを尽くす。
          雪の日に神社前の急坂をそりですべり、そのまま坂下の
          病院のドアのガラスを突き破り、怪我をするやいなや
          治療を受ける。(神速である)

    国分寺○小 またの名をスポーツ小学校に入学し、小学校5年より
          国分寺リトルリーグ第一期生となる。
          6年の時の関東大会?か都大会の3位決定戦はTV東京で
          中継される。神宮第二球場にて。
    
    国分寺○中 不良の巣窟だった野球部が廃部になり、野球部が
          なかったので、夏は気持ちいいだろうという理由で
          水泳部に入部。しかし、多摩地区では強豪だったため
          夏には地獄の合宿を経験する。入学時50メートル
          46秒程度だったフリーが、秋には30台に突入。
          2年時、経験者の多いフリーからブレスト(平泳ぎ)に
          転向。3年次の新人戦都大会10位が最高位。
          ブレストでは、50メートル31秒台、100メートルは
          1分16秒がベストタイム。
          3年で、中学校男子で唯一の東京都体育優良児として
          表彰される。
   
   都立武○高校 水泳で関東大会が狙えるといわれたものの、
          情熱を失う。一年の時より、ラグビー部の強引な
          勧誘を受ける。科学の杉本先生からは、試験中にも
          かかわらず、勧誘される。「ラグビー部入れば
          単位なんかやるよ」の甘い言葉にぐらりとする。
          相変わらず、体育だけは10段階評価の10。
          このころ、秋刀魚のにおいのする体育教官室に
          呼び出され、「お前は体育の先生になれ、○体大に
          行け」と洗脳されそうになる。また、なぜか
          ラグビー部のキャプテンと神速は慶応のセレクションを
          ラグビーで受けろとも言われる。
          2年で水泳部をやめ、帰宅部なのにスポーツテストは
          一番という偉業を成し遂げる。
          廊下でやっていたストリートバトミントンの
          腕を見込まれ、3年でバドミントン部に入部。
          キャプテンと組ダブルスの試合に出たが、ボロ負け。
  
     浪人時代 テニスに目覚める。週に3回ほど体力維持を建前に
          コートに入り浸る。バイクツーリング、ビリヤード
          にのめり込む。ミックスダブルスの試合に出る。

   ○○大学時代 本当はレガッタかテニス部に入ろうと練習を
          見に行ったが、体育会のすさまじさにビビル。
          などなど。

 まあ、言われてみれば大したスポーツ暦ではなかったなあ。
 社会人になってからのほうが、水泳もマスターズに出たり真剣でした。
 そして、ゴルフにのめりこむことになるんですが。あと、ラグビーとも
 ニアミスしているんですね。Jrも何かの因縁でしょうか?           

ヤクが切れた。

2007-02-28 | Weblog
 花粉が飛んでいます。毎年、徐々によくなってはいたものの、
今年はどうも久々に症状がひどい。対策はといえばじゃばら酒です。お酒といっても、リキュールですし飲みやすくしかも
効果絶大です。お酒の飲めない同僚も、これなら飲めるといって、
じぶんで注文したほどです。しかし、

じゃばら酒が、キレマシタ。目が痒いです。

あした、和歌山に早速注文しよう。もうだめだ。

今年は広島カープに注目。

2007-02-24 | Weblog
 なぜ野球?それもカープ?
そのわけは、まずサイドストーリーの後で。
遠い遠い昔、小学校のとき、
東京の外れ国分寺という町で
(スターウォーズ風にいくと、A LONG TIME AGO, FAR AWAY FROM TOKYO,,,)
僕は野球少年でした。
 ただ、少し違ったのはボールが硬式を使う、リトルリーグだったのです。
当時は、野球全盛期。今、サッカーチームが星の数だけあるように、ほんとうに
たくさんのチームがありましたよね。僕の所属のチームも、確か4年生から
6年生まで90人ぐらいいたと思います。たぶんそのすべての子供たちが、
プロ野球選手になりたかったはずです。
 そこそこ強いチーム(関東大会で3位とか)だったので、後に甲子園を沸かせた
選手やプロになって活躍する選手(ピッチャー)とも試合をしました。
その中で、特に印象に残っているのは2人。一人は、ドラゴンズでリリーフ
として活躍した宮下投手。こちらは、なんと言っても球の速さ。もうひとりが
ナックルピッチャーです。彼は後に
修徳高校のエースで4番として甲子園に出ていました。(プロ入りしたかは不明)
 実は、このナックルという魔球が今日のお題。ここで、広島に加入した
ナックルピッチャーの話につながります。

 この魔球は、遅いんです、でも打てないんです。もう揺れるは、ストンと
落ちるわ、大変です。見た目がスローボールなので、なんであれが打てないの?
このボールは、おもいっきり振れば振るほどどつぼにはまります。
 速いボールは、バッティングセンターに行けば体験できますが、ナックルは
なかなかお目にかかれません。この広島にきたピッチャーは、投げるボールの
半分以上がナックルという筋金入りなので、TVで伝わるかどうかは
わからないですが、ちょっと楽しみです。ちなみにスイングの速いクリーン
アップのバッターほど、効果的だと思います。今年は、ゆる~~~~いボールに
空振りして尻餅をつく選手の姿が、見れるかもしれません。(でも、実は
名前を忘れちゃいました。)


 ナックルボールの解説を引用。
変化球の一つで、ボールに爪を立ててはじき出すようにして投げる。
回転が全くと言っていいほどかからないので、縫い目と空気抵抗の関係で不規則に揺れながら落ちてゆく。
投げた本人にもどこへ行くかが解らず、キャッチャーも捕るのに苦労する。
また、肩や肘にほとんど負担がかからないので長寿投手になることが多い。

日本でナックルと呼ばれているものは、ナックルカーブ?という回転を与えてボールを落とすもので無回転のナックルボールとは別のもの。


写真、ボールの握りはこんな感じ,
広島のPとは別人です。

ねた、ネタ、寝た。

2007-02-18 | Weblog
 どうも、先週は調子が悪く、のどが痛い、目が痒い、鼻水は出るので、
あれっ、これは花粉のせい?と思っていたら、のどは風邪だった。
そういえば軽井沢に、ゴホンゴホンと咳き込んでばかりの人が来ていて、
3日もいっしょにいれば、ウツルわな。

 一応今日は神速Jrの練習試合を見に行く予定で、目覚ましを8時30分に
セットしてあったんだけど、起きると雨が降っていたのでまた寝てしまった。
次に目が覚めると、11時30分だった。やったー、11時間も寝れた。
おかげでのど風邪もよくなり、ゆっくーーーーりしていたら、すぐに2時に
なってしまい、そのままラグビー日本選手権をTV観戦。

 東芝の強さが際立った第一試合を見てて、
「やっばタイゾーレフりーはわかりやすいなー。」とか、
「あの英語は、オーストラリアで覚えたんだろうなー、なまってるもんな。」
など、ちゃちゃを入れながらうだうだしてました。
(タイゾーレフリーの、STAY が 時折スタイになるのがオージーっぽい)

 その間、神速Jrからメールで練習試合の報告を受け、雨中の戦いごくろうさん、
完封したの?トライ獲った?などやりとりするうち、ZZZ。
また寝てしまった。
 気がつくと、サントリーが負けていてびっくりした。ここまで外に出ない
日曜もほんとに久しぶりだ。

10年振りでも、吹けた!

2007-02-16 | Weblog
 なんだかBasia(バーシア)の曲を久々に聴いていたら、
トランペットが吹きたくなった。10年以上ぶりなので、不安だったが
それなりに鳴ってくれた。さすがに曲を吹くことはできなかったけど、
遊びで吹くぶんには問題なかった。
 僕のは、ミニトランペットといって普通のトランペットの半分ぐらいの
大きさで(横が25cmぐらい)20年以上前に購入したものです。

 今から30年前(書いていてオソロシイ)小学校5年の時、当時
大好きだった女の子が音楽クラブに入ったので、僕も入ったのですが
当然おたまじゃくしも読めず、さして器用でもなかったので、
何をやろうか迷っていたときトランペットと出会いました。
 ところが、その時は野球のリトルリーグが本業だったので、
スポーツ刈りの(ベリーショートなる言葉はありません、坊主とも言うが)
トランペッターだったわけです。
 クラッシックから入った楽器でしたが、興味は日野照正
さんやラテン系の楽曲、サンバ デ ジャネイロのような曲や、ジャズ系の
トランペットソロなんかをコピーしてました。

 やっぱり楽器はいいもんですね。ストレスも発散、おなかも凹む!
トランペットは腹式呼吸なんです!無理のない範囲でいじってやろうと
思います。

DVD分析

2007-02-13 | Weblog
 ご厚意によって、DVDで神速Jrの試合を見た。ちょっと贔屓目に見すぎていたか?反省しきりである。神速Jrもわかっていたらしいが、ラックへ参加する
スピードのなさ。フォローコースの悪さといい、目を覆うばかり。

 得意のコバンザメフォローも生かされていない。これには理由があった、
けっこうスピードがあるため、突破役の選手に追いついてしまい、タックルされた
突破役がオフロードでつなぐか、モール、ラックにする時に近すぎて、場合によっては、追い越してプレーできないのだ。

 なので少し遅れ目にフォローして、スピードを上げてバスをもらうか、
モール、ラックに参加してね(しろ!ではない)とリクエストした。
しかし、こちらが言う前からJrもわかっていたようで、ラグビー頭は
どんどんよくなっているようだ。

今週は、千葉東高校と練習試合らしいが、観戦できるかは微妙。
Jrは、「千葉東?○○にならんだろう。」と余裕だったが、
無駄な試合などないはずだ、内容が求められるのだ。

今日から軽井沢

2007-02-09 | Weblog
 週末の予定がなくなったので、軽井沢に行くことにした。
週末の予定とは、言うまでもなく関東新人大会だ。当然、観戦予定だったが、
対戦表に本郷の名前がなく(当たり前か!)さびしい限り。例年、熊谷は
寒風が吹き粉雪が舞うこともあったが、今年は暖冬でいいなあ。

 軽井沢で頭を冷やして、体を温めてきます。(温泉&岩盤浴で)
久我山&東京高校の戦い方に注目です。

日々大風呂敷を広げて、いいんですか?

2007-02-07 | Weblog
「世の中で、百歩先の見える者は変人扱いをされる。五十歩先の見える者の多くは犠牲者になる。
ただ一歩先の見える者のみが成功者となるのだ。」

 じいちゃんの大親友だった小林一三氏の言葉。じいちゃんは、「一緒に宝塚をやろう」
と誘われたそうだ。外交官も断ったそうである。何を思ったのか?卒業式を
7日後に控えて、アメリカに旅立った。早稲田時代は、「レガッタ」で活躍して
いた。政治家広川弘禅を舎弟のように「こうぜんぼうず」と呼び捨て
にしてかわいがった。周りの人は、世に名を残し出世をし、いわゆる「成功」
した。貿易の仕事もばあちゃんに「商才」があって、彼にはなかった。だから、
もしかしてじいちゃんには「場」がなかったのかもしれない。大学に入るとき
家が商家であったため、法学部に入ることを許されず、しかたなく商学部に
入った。今のように、「選択」が許されなかった遠い時代のことだ。

 


 偶然、必然、運、出会いの運、人の縁、その場その場で気づかなくとも
自分で選択している。さて、自分のあと「40年足らず」の人生はどうだろうか?
まわりにいい影響を与えているだろうか?今年は大風呂敷を広げた、大勢の
証人の前で。言ったことは、実現させなくちゃいけない。川の流れには
逆らえない、自分を知ること、自分の位置を知ること。今年は、明らかに
川の流れが速くなった。本流に注ぎ込んだか?

 ご先祖さまの命日に寄せて


ホメマショウ。

2007-02-04 | Weblog
 暖冬真冬の新人戦観戦ツアーも、今日で終わり。みんなきっちりと
結果出してくれました。今日神速Jrには「トライを獲ってくれ」と
言ってありましたが、約束どおり獲ってくれました。
(HFが抜けたところに、得意のコバンザメフォローして、ごっちゃんトライ)

 真意は、「DFラインの裏に出てからスピードを上げて勝負せい。」
ということだったんですが。この新人戦シリーズを総括すれば、
一戦一戦目に見えてよくなっていることです。これは、ライバルチームにも
言える事です。今年は神速Jrもたぶんラストイヤー。(大学ではプレーしない
と思うので)悔いのないようこちらも追っかけます。

 去年は春大会で4位、新人戦は決勝まで行った朝鮮高校に1回戦まけ。
春大会の4位を最後まで引きずる結果となったので、今年は新人戦で
3位という、位置確認ができたのはよかった。しかも、公式戦で苦手としていた
朝鮮高校をゼロ封。これは立派。

 ただ、誰が見ても課題は山積。もともと部員が少なめの本郷、主力がけがした
時にきちっとカバーできるのか?後半、③を交代するとスクラムが壊滅状態。
全体的な線の細さ(神速Jrも含めて)、タックル力の弱さ。
 しかし、ロスタイム負けの東京高校が久我山との戦いで、指針を示してくれた
ではありませんか。

 体格で劣り気味の東京は、「全員」で挑み途中リードする場面も。特に、
トライ後の真ん中のコンバージョンを、飛び込みながら片手で止めたシーンに
象徴されるように、ボールへの執着、気迫、意地とか例えればキリがないのですが
あれこそ、目指すラグビーのような気がしました。

 本郷高校は、個々の力は劣っても、そのどこにも負けない「まとまり」で
勝負すれば、久我山高校を倒してくれることでしょう。「同じ高校生」という
言葉を思い出させてくれた一戦でした。

 本郷高校 19-0 東京朝鮮高級学校

親子二代で。四方山話のはてに。

2007-02-03 | Weblog
ルーサーキング牧師 明日の試合のことに始まり、シドニーシェルダン氏が他界した話や大学受験のことまで、
焼肉をたべながら神速Jrと話し合った。
福沢先生1枚ですんだのは、幸運であった、食べ盛り恐るべし。
いつも行く店からワンランク落としてよかった、これでは
すし屋では2枚以上覚悟しなくては。

 まず、あしたの試合に向けては、なにも言うことはない。
Jrも相当気合が入っているし、彼らにとってはただの3決ではないらしい。
去年からのリベンジ、特別な意味を持つ試合だ。
東京高校戦、ロスタイムにサイドに持ち出して、ノットリリースを取られたのがJrだったので、真相を聞いてみたら、
 「ノータイムだったのは、わかっていたのでハーフに外に出せ。」と
言ったそうだが、
外に出せ出せに反応して、自分にパスが来ちゃったそうである。Jrも責任を
感じていました。(心の)傷が痛いそうです。お許しを。

 それから、大学選びの話題になりましたが、
Jrは行きたい学部が決まっているので
自分の経験も踏まえて、大学はブランドで選んじゃいけないというような
ちょっと親らしい話をしました。(エヘン、エヘン)
ある意味、精神的にはJrの方は大人で、途中
「40代の大人の発言とは、思えない。」など、お小言をちょうだいしました。
トホホ。

それから、英語の勉強法については、20年前僕がやっていた SIMという
教材とイングリッシュアドベンチャーのCDが全部揃ってたので
やってみれば~と渡した。特に、SIMは同時通訳の考え方に基づいた教材で
当時目からうろこだった。Eアドベンチャーのほうは、シドニーシェルダンの小説
が教材で、オーソンウェルズの声にどんどん引き込まれたのを思い出す。
 当時SIMに入っていた、I have a dream,~から始まるキング牧師の
演説をまた聴いてみたい。浪人生だった多感のころ、何度も涙したのを
思い出す。(キング牧師の演説が聴けます。http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Kaede/2431/mlk.html)

 さあ、四方山話とはいえど脱線しすぎた。とりあえず、明日も応援いきます。

本郷東京朝鮮高級学校 新人戦3位決定戦