僕の家には猫が1匹いて、名前を寛太という。生まれは去年の11月。猫は1年で人間の20歳くらいというから、今、寛太は高校生くらいか。左目が生まれつき悪く、半分閉じている。両足も内側に少し曲がっていて、ちょっとカッコ悪い。
去年の今頃、うちには猫が15~16匹前後居た。家の中には老衰で死んだハルちゃん。そして二階のベランダにはチビ一族が15匹前後住んでいた。チビ一族はチビを頂点に親子3代、大中小と我が家に居座っていた。チビは5、6年前、野良猫から我が家の二階に産み落とされ、育児放棄され、ベランダに居着いたキジ猫だ。何が原因か不明だけど、チビは地上に降りる事が出来ず、二階の屋根をぐるぐる回りながら大きくなった。チビの後も、うちは近所の猫族のお気に入りなのか、子猫を捨てにくる無責任な親猫が続出、(カラスにやられるよりもマシと思われたのか)増減を繰り返しながら、猫の数は増え始め、チビがいつしか大ボスに成り上がり、ハーレムができた。うちのベランダには朝夕のエサ時になると猫の長い行列が出来、キジ猫、黒猫、白に灰色…いろんな柄の猫がずらりと10数匹並んで壮観だった。彼らは暗黙の了解で力の順番に餌を取り合い、寒い冬はミカンのコンテナに分厚い毛布のようにして眠った。
我が家は、去年、世界産業遺産に選ばれた地域の中にある。時に見学に来た外人の若い連中がうちのベランダを見て歓声を上げ写真を撮りまくっていた。そして、僕がデッキブラシの柄の先でベランダから屋根に順番に猫を突き落としていく風景を見て外人どもは顔をしかめ嘆きの声をあげた。猫屋敷化した我が家は、知る人ぞ知る名所のようにもなり、路線バスの運転手までその事を知る羽目になった。たまたまバスで帰る娘に、運転手はうちの猫屋敷の事をエラソーに話しかけたのだ。(その猫屋敷にその娘は帰るのだよ、運転手君。)娘は恥ずかしくてたまらなかったそうだ。
そんな、猫屋敷の猫がどうしていなくなったのかというと、昨秋に近所の悪猫「どんごろす」の襲撃を受けたからである。人相も根性も極悪の「どんごろす」は、日頃から二階に設けられたチビのハーレムぶりがどうにも我慢できないらしく、夜な夜な、二階に上がりこみ、チビ一家を襲撃し始めたのだ。「どんごろす」はその名のごとく、大柄で、喧嘩が強い。チビも負けずに大柄で、名前はチビだが顔は鬼瓦のような顔をしていた。(しかし喧嘩が弱い)その2匹が屋根の上で夜な夜な大乱闘事件を起こすのだ。世界遺産の港に響く、猫の絶叫、長い、長いうなり声。そしてついにある夜、ギャン!という声と同時に2匹は猫玉のように丸くなり、二階の屋根から地面に転がり落ちたのだった。そしてチビは体に大けがを負い、顔も本物の鬼瓦のようにはれ上がり、二階にも上がれなくなったのだ。
チビ一族は動揺した。他の猫は地上と二階を自由に行き来できるわけだが、チビにいくら二階への登り方を教えてもなかなか登れそうにない。その後も「どんごろす」の襲撃は続く。チビを慕い地上に降りる者、二階でチビの帰りを待つ者、どちらも統制がとれず、次第に一家はバラバラ、離散状態になったのだ。国道で車に轢かれ事故死する者も現れた。(黒猫の小百合)とうとう、チビは裏玄関の物置の陰でチビの子を身ごもったメス猫と二人暮らし、そして最後に、生まれたのが子猫3匹、その中に寛太はいたのだった。チビと「どんごろす」が大立ち回りをした最後の夜、朝になると、チビもメス猫も兄弟もすべて我が家から姿は消え、寛太だけが取り残されていた。寛太は衰弱し、両目がふさがっていた。育てるのは無理かと捨てられたのだろうか。
やっと猫の飼育から解放されたと、思いもつかの間、結局のところ僕は寛太を家猫にしたのだった。死線をさまよった寛太の体調もなんとか回復、とたんに部屋の中で寛太は大暴れ、野生本能丸出しで物陰に潜み、僕の首筋に向かい飛びかかり、はらい落されても更を狙いに来た。おかげで両手両足に、傷が絶えず血だらけになった。(手首の傷とかはためらい傷のようでもあった。)このいくつもの5センチくらいの細長いひっかき傷というのは子猫を飼った人でしか分からない傷なのだ。
そんなバカ寛太も、初めての夏、思春期を迎え、ものうい表情で虚空を見つめている時がある。何を考えているのか。寛太の左の半開きの瞳の中には小さな孤独が埋め込まれているような気がして、つい頭をなでてやりたくなる。(すぐに咬まれる)
家猫の寿命は約15年前後。一緒に生きて、寛太の寿命が尽きる時に僕も70歳を越える年になる。お互い、同じ時にこの世から消えるのかもしれないが、その時まで、一緒に夏を過ごそうではないか、寛太よ。