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最近の事。

2019年04月18日 | Weblog

久しぶりにブログを書く。最近、軽い頭の混乱があり、ブログどころではなかったのだ。

病気になって良かったことがある。もちろん奇跡的に命が助かったから言えることだけど。

クモ膜下は死亡率30%で問答無用の即死。生き延びても30%が重度の障害で自立生活困難。最後の30%が各人各様。その最後の30%の人々がどうしているか、分からない。脳梗塞や脳卒中は、闘病記などが本でもサイトでもいろいろ出ているが、クモ膜下の残りの30%の人の記録はほとんどないか、途絶えたとしたら、亡くなっているか、障害がひどくなり、記録困難となられたのだ。僕の場合も、数日はいつ死んでもおかしくない状態だったのだろうが、そうして本人が気が付かないうちに死んでしまうと、頑張りようも悔しさもない。昔もことを思い出す暇もない。自分の部屋に隠した秘密のDVD(どうしても最後の一枚が見当たらない)も週刊誌の切り抜き(妹が処分した)も、放置せざるを得ない。いつか読むだろうと買って、結局死ぬまで読まずに、本棚にしまっておいた本もそのまま放置せざるを得ない。そういう意味で、病気になって良かったのは、車の運転が禁止され、通勤片道2時間。改めて買ってお置いた本を読むことが出来るようになったことなのだ。

JRの社内で、手当たり次第と言うほどでもないが、すこしづつ本を読み始めた。室生犀星の「密のあわれ」のなんと、密のように甘い蠱惑的なストーリーよ。川端康成の眠れる美女の、緻密ですざまじいとしかいいようのない女体の描写よ。いとうせいこうの国境なき医師団を見に行くや、想像ラジオのユニークな発送も面白かった。しかしながら、時代の変化か、川端氏の伊豆の踊子、向田邦子さんの短編集などは、今の日本人の暮らしぶりとの差にリアルな感じがどんどん薄らいでいき、思う以上に退屈なのにも驚いた。
そこで、いよいよ夢野久作の「ドグラマグラ」の登場だ。真剣に読めば気が狂うとも言われる奇書だが、夢野久作は構想・執筆に10年以上の歳月をかけて、1935年昭和10年に刊行した。小栗虫太郎『黒死館殺人事件』、中井英夫『虚無への供物』と並んで、日本探偵小説三大奇書に数えられているそうだ。(虚無への供物は以前読んで、それなりに面白かったけど)夢野久作の文体が僕には合うのだなぁ。そのとおり、真剣に読めば本当に気が狂いそうなストーリーだ。だから8分目の気分で小説を読む。ほとんど満員になることのない三角線だが、僕もいよいよ怪しい登場人物になってきたようだ。手に持つドグラマグラは多分30年くらい前に買った文庫本で、茶色く変色し、カバーはなく、ぼろぼろではたからみれば更に怪しい。僕が今死んだとて、負債を負って死ぬわけだが、遺族には申し訳ないが、今さら返しようもない。要するにやり逃げで、僕は死ぬるまでの残された時間を読書と、たまに行く山の花の写真を撮ることで、充分満足するのだろう。今度、絶対山で撮りたいのが、「ギンリョウソウ」。別名ユウレイハナ。腐生植物で世にも珍しい銀色透明の欄の一種で、知人はと宇宙人とも呼んでいる。春先から夏にかけて、森の杉林の木陰に、銀色透明の茎からうつむいた、まるで人の目のような花を一輪咲かせるのだ。とにかく用心しないと、僕は最近頭がおかしくなりそうなのだが、僕の当面の生きる目標としてはドグラマグラの完読と、ギンリョウソウの撮影の二つ。そのためには死んでもいい、仕方ないとも思ったりする。

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