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PRINCOの今日のパチパチ
Sidosso Princoちゃんの思わず拍手パチパチ記録
 



これ何度見ても同じ方向にしか回転しないんですけど、、、。Why?
主にどこら辺を眺めるべきなのか、それとも一点集中が良くないのか、、、。なんでそんなにグルグル回ってるのチミは?などと画面に向かって問いかけつつ、無駄な時間を過ごす、、、。

時計に刻まれる人生でなく、心が時を刻む日々を過ごさなきゃいかんのー。

今まで、赤ちゃんが純真無垢な事から分かるように、経験は人の心や目を濁らせる、と勝手に思っていました。だけど、事実は決して打ち消せない。それならむしろこの世に生を受けた以上、たくさん豊富に経験しちゃえ!そうすれば先入観を無くすことができるのだ、と最近思ってます。心のスポンジに泥水が溜まったらスポンジをもっと大きくする、ということです。とにかく俺らーは後戻りなんて出来ないんですから。

「無駄な時間」にするもしないも自分次第。何事も経験でっせ!
だけど、、、逆回転しないんだよなあ~

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さて、お彼岸が始まりました。彼岸とは迷いのない「彼方の岸」で悟りの境地をあらわします。我々が住む迷い多きこの世界は「こちらの岸」で此岸(しがん)といいます。江戸っ子は“ひ”と“し”の区別が付かないといわれますけど。彼方の岸、彼岸はキリスト教でいうとヘヴンで、仏教でも浄土宗や浄土真宗なんかは極楽浄土というかもしれません。

Sidosso Princoの真言宗では「こっちからみればあっちが向こう岸でもあっちからみればこっちが向こう岸、つまり自分たちがいるこの場所だって自分次第で迷いのない岸に出来るんだ!」という考え方です。パチパチ!

松戸のお寺のお手伝いで檀家さんのお宅へお彼岸のご回向にいっておりました。そちらの檀家さんでタクシーの運転手さんがおられるので、運転はお任せ、お大尽待遇のお棚経です。ぬわーっはっは!

しかし、、、車を降りてから目的のお宅につくまで迷いまくりっ!去年も行った家なんだけどなあ、、記憶力の低下が著しく、うちについても表札がないと不安。家の人に挨拶しても不安。仏壇をみてようやく安心(そこのお寺のお札があるので)という体たらく。

ついには「ここだったかなあ」という家にむかってせまい路地の突き当たりに向かってトボトボ歩いているとなんとチャイムを押そうと思った玄関から他のお寺の坊さんが!

「ありっ?また間違えちった~っ!」
「お疲れさまです。迷ってるんですか?」
「○○番地の△△さんです、、、」
「あー、それならこの先のあのうちじゃないかなあ」
「ですよねっ。ぬわーっはっは!」

くーっ彼岸の境地へのマストアイテムはGPS携帯だじぇ。

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都内の護国寺にある宗務所で3日間に亘る伝授が終わりました。パチパチ!
伝授とは大雑把に言えば仏さまの拝み方を先生から教わるわけです。全5回のうちの2回目でした。まだ先は長いです。

墨染めの衣を着て、如法衣と呼ばれる袈裟を付けると「あー坊さんだなあ~ビバノンノン!」と思います。普段ご法事で着る色衣と呼ばれる衣やお袈裟は派手すぎるんだよね。街中で着たらどんな服より目立ちますよ、あれ。
もっとも僕りんは色衣を着てビカビカの袈裟をつけて一人で山手線に乗ったことがありますが(きっと最初で最後でしょう^^;)

鉄コンキンクリートの宗務所内で袈裟をつけて椅子に座っているお坊さんが100余名。こんなシュールな絵ってあります?畳敷きの部屋では入りきれない為の苦肉の策なんだけどねー。今はお寺の本堂も椅子式が増えてきてますが、畳に椅子っていうのもなかなかシュールです。相撲取りのチョンマゲに通じるとこがありますね。

一緒に伝授を受けていた10年来の友人がいます。彼は、この先大学に残って、講師→教授、という道を歩むか、お坊さんの先生になるかで悩んでおりました。天が二物を与えたタイプです。結局、大学には残らず大学院の博士課程をこの春卒業しました。

「ネクタイって好きじゃないんだ。やっぱり少しでも長く衣を着ていたいんだよね」

一方、少しでも早く普段着に着替えたい僕りん、この違いは何!?
取り敢えずネクタイは、俺も苦手だけど(^^;)

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朝、電車の中で1リットルの涙読んでたら、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになってしまいました。これじゃイカン!と乗換駅で降りて、コーヒー飲んでたら思い出しただけでまた涙。

夕方はたまたま、小さい頃からの持病を持った友人とジョナ○ンに入りました。彼は普段はまったく問題ないんだけど、以前は駅で突然倒れたりしたこともあるそうで、今も薬を服用してます。

ホント毎日元気に生きてるだけでもう充分だよね。不平不満なんて言ってられんよね。

我々の席の近くに中学生の団体がいて、みんなパフェなんかを食べてました。1人だけ赤に近いような茶髪の女の子がいて「なんか『聖者の行進』の広末みたいだなあ」と思ってみてました。よくよく見るとなんとその集団はみんな目が見えないらしいと分かりました。そうです。近くには盲学校があり、恐らくそこの生徒達なんでしょう。きっと卒業式の後にみんなでパフェを食べにきたんだな。パチパチ!

僕りんに何かしてあげられることがあれば、、、と思ったけど、何もないのでした。みんな全く不自由なくパクパク食べてました。

いざというときに何かしてあげる為には、普段から自分に出来ることを一生懸命していって自分のグラスを元気でなみなみと満たすことだと思ってます。これで充分だと思ったら持っていない人に分けてあげる。もちろんその「充分だ」という量は人によってまちまちだからやっかいなのですが。

和顔愛語で人に接する、元気で生きてるんだからせめてこれくらいは、、、でもこれがなかなか難しいっちゃ!

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ホワイトデーでしたね。パチパチ!もともとこの日はチョコをもらえなかった男子が気合いを入れる為「ファイト!毛髪!」と叫んだことに端を発し、「ファイト」がいつしか「ホワイト」となったようです(ウソ)
いえね、千葉にはホワイト餃子という超有名餃子店があるんですけど、その姉妹店でファイト餃子って店があるんですよ、、、。う~ん、ちょっと外しちゃったかな~って感じ。

学生時代、同志社大学と立教大学、それと京都産業大学でレスリングの合同合宿を開いたことがありました。(ちなみにこの合宿で西日本新人戦チャンピオンにジャーマンスープレックスをくらい、頸椎を捻挫しました。ちくしょ~ナカ○ョウめ~、ギリギリ~!)

京都府田辺の同志社大キャンパスは、な~んも無いトコでびっくりしましたが、それ以上に関西弁に驚きました。
初対面の人に
「自分何回?」
と聞かれ「へっ?(あなたの回数?)分かりません。」と答えて(これは関東弁では「きみ、何年生?」という意味)大笑いされたりしました。
そういえば、あの時同志社の監督がやたらと「マイレボリューションだよっ!練習がお前を変えるんだっ!」といって、どう考えても出来ないメニューをやらすもんだから渡辺美里きらいになりました(^^;)

外にみんなでランニングにいくとき掛け声を出すんだけど、同志社の学生は「ホワイソー!ホワイソー!バオッ!!」と叫んでいました。気の小さい僕りんは一緒に「わっせわっせ、ホワイソッホワイソッ」といいながら後の方を走ってました。

夜、うちの部のやつに「ねえねえ、気になったんだけどさあ、お前ランニングの時なんて言ってるの?」
と聞かれ
「俺はホワイソっていってるけど?Why so?」と答えると

「アホか、お前はっ!ありゃ、どう聞いても“ファイト”だろうっ!!」
「、、、、、、、、がちょーん」

ちなみに「バオッ」は「前っ!」でした、、、。

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千葉県知事選挙でした。今回は接戦とはいえ、やはりどっちらけでしたなあ。
今日は〆切ギリギリになって投票に行ったんだけど名簿のうちのアパートのトコみたら(どうしても見えちゃうんですよね。あれって。)、み~んな棄権。なんだかなあ、、、。

夕方、うちのアパートのテレビアンテナが工事中だったらしくテレビが映らなくなってしまったそうだ。我が家は子供以外、テレビはほとんど観ないうちなので奥ちゃまは気づかなかたったそうだが、「○○ダさんち、テレビ映らなく無い?」と2軒から電話があったそうだ。みんな夕方からテレビに夢中なのね。なんだかなあ、、、。

選挙で「どうせ誰が当選しても同じ」って言う人いるけど、絶対そんな訳ないと俺は思うちょるよ。だって、他の自治体見てご覧よ!血湧き肉躍るじぇ。うんらやましい!
僕りんはいつも「見た目」で選んでますよ。パチパチ!、、、だめ?
だって言葉ではナントでも言えるけど、血や肉はだませないもーん。

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消しゴムはんこ流行ってるらしいですなあ。パチパチ!
実は僕りんは消しゴムはんこ歴は長いのですよ。えっへん。年賀状に消しゴムはんこを押すようになってから、下手するともう20年くらいになるでしょうか、、、。(今20歳だから、生まれた時から?)もっともここ数年はずっとナルトはんこだけですが(^^;)

一度濁ってしまった目をきれいにするにはどうしたらいいのでしょう?今日、柏マジッククラブの先生がトランプを一枚観客に引かせてそこにサインを書かせて、もとに戻すのだがいつの間にかそのカードは亡くなってしまう。そしてポケットから財布を出すとナント中からサインの書かれたカードが、、、、というマジックを見せてくれたのですが。
そのときの僕りんの感想
「あの財布いくらすんのかなあ?」
、、、、もう濁りまくってます。

ピュアな人・・・・・・「えーっ!何で~!」
ちょい濁な人・・・・・「いったい、どういうタネなんだろう」
濁っている人・・・・・「あの財布があればできるのかなあ。俺も欲しいなあ」
もう終わっている人・・「いくらすんだろう?」

あ~っ!濁りまくってます。帰りの車の中でブルーハー○を大声で歌いながら
「六根清浄、六根清浄!」と祈っていました。

マジックにしても消しゴムはんこにしても好きでやっているうちはいいのですが、「人をあっと言わせちゃろう」なんて考えた途端に、現象・結果がピュアじゃなくなる気がします。でもまあ気がするだけなんです。いいんです。

ヴィムヴェンダースの『リスボン物語』っていう映画があります。ある映画カメラマンがファインダーを覗いた時点でそれはもう私情私感が入り込み、真実では無くなってしまうのではないかと考え苦悩するのですが、結局は「それでいいのだ~バカボンボンボン」と納得するのです。

だって人間はそういう「経験で成り立つ世界」に生きているのだから。マジックにのめり込んだ人にそののめり込んだ事実をけすことはできないのです。あとはきれいに昇華させればいいのです。きっと。

“だから俺はあの財布を買わねばならぬ!”

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ワカメちゃんの声優が変わるそうで。これを機にスカートももう少し長くして、パンツみえないようにすればいいのに。9歳にもなって、ねえ。
新しい声優さん“ナントカまこと”とか言ってたけど、やっぱりまことって名前でも女性なの?最近は名前だけ聞いても男か女か分からないよね。知り合いにも「愛(あい)」くんがいるし、中学時代の国語の先生は「恵(めぐみ)」でしたが無精髭を生やした男の先生でした。まあ、実際に会ってもどちらかよく分からない人もまれに、、、(^^;)

それにしてもサザエさん、さすがに始まって35年もたつと、悪ガキのカツオが模範児童にみえてくるよね。カツオは親と話をするときは必ず正座をするし、道端で挨拶をするときは帽子を脱いできちんと腰からお辞儀をする。丁寧語、尊敬語、謙譲語を使いこなすあんな小学生、今どきなかなかいませんぜ。パチパチ!

あと、やっぱり主役のサザエさん!お魚くわえたネコを裸足でおっかける24歳の若妻!いないよな~やっぱり。
買い物しようとして出掛けたら、財布を忘れてることに気づく青年僧侶。あっ、これは結構ありますね(^^;)

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兵庫の方でおこった最高齢男性が実は死んでましたってヤツ。またヘンな事件だなあ。シャクティパットグルファンデーションを思い出します。

ミイラ化していく遺体を囲みながら毎日みんなで暮らしていたなんて。大願成就とか何とかいって結局亡くなった人の為じゃなくて、てめえの為じゃんね。お見舞いに来た人にもウソついて追い返してたなんて。ウソついたら地獄に堕ちるよ!
お水で口元をぬらしたりしてたらしいけど、そんなもんいらんわい!(って思ってたはずじゃ!のう、てっちゃんそれで死んだヤツらが戻ってくる言うの。おお。おのれの手は汚れとるんじゃ。はようやれや。)

「てっちゃん。こげなことをしてもろうても嬉しうないじゃろう。わしも同じじゃ」
ばきゅーん!ばきゅーん!
「キティ。おどれは腹くくってやっちょるんか」
「ダニエルさん。弾はまだ残っとるがよ」

毎日毎日いろんな事件が起こり、みんな右から左へと流れていくだけ。そんな調子じゃまた何年かたったら同じような、あるいはこれを上回る事件がおきてしまうでしょう。やっぱりお坊さんが各家を回る「棚経」や「月詣り」は必要ですな。円東寺でもぜひ復活させたいなあ。パチパチ!もっとも昔そういうことをやっていたという記録すら無いのですけど。

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お風呂に入って「さあ、楽しいネットタイムじゃ!」という頃になって急遽実家に用ができ、車で大宮まで行ってきました。
うちは僕りんが小さい頃は親戚の下宿人がいたりで多いときは8人家族でした。しかし、今はナント年老いた両親が2人暮らし。さぞかし淋しいだろう、たまには親孝行でも、、、とも思ったけど、、、。

いやあ、とにかくうるさいうるさい!たった二人しかいないのに、なんであんなにうるさいんだ!?我が親ながらホント、声がでかい、人の話を聞かない、話に脈絡がない、オチがない(←あっ、別にオチはもともといらないか^^;)
ちょっと一緒にいただけで頭が痛くなります。そして、悲しいかな、血は争えず「親にそっくりだ」といつも言われる僕りんは「これが俺かよ、、、」と切なくなります、、、。

私の尊敬する先輩住職は「親が亡くなる直前にお風呂で背中を流してあげることができた」何よりの思い出だといっておりました。
徳川五代将軍綱吉公は母親を見舞うと自らお腹や背中を三十分余りも一所懸命揉んで差し上げたそうです。パチパチ!僕りんも何か親孝行を、と思うのですが70過ぎて自分のことを孫に「おじさん」と無理矢理呼ばせる親に何をしてやったら良いのやら。

取り敢えず、負けずに大声で話をして帰ってきました(^^)

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