東日本大震災が発生したあの日、あれから一カ月が経ちました。
日本の友人から「その時」のことを知らせてくれました。
東京 Rさん
「ちょうど大阪出張のために羽田空港にいて、地震にあいました。飛行機は飛ばないし、羽田空港からも出られないし、本当に大変でした。。。」
東京 Aさん
「地震前日に愛知県で葬儀に向かおうとしていたところ
地震がおこりました。愛知はたいした揺れもなく、新幹線が止まって、東京に戻れないと知って、事の大きさが分かりました」
千葉 Yさん
「当日千葉でも震度6で、10階の家はもうハチャメチャでした。あの家の中で生き残ってくれたナナ(犬・チワワ)は奇跡だと思っています」
千葉 Sさん
「先の地震は相当に揺れ、怖い思いをしました。その後、余震と原発で不安な日々です。友達から心配の電話がありました。気にかけてもらっててうれしいな、と元気が出ました」
愛知 Eさん
「その日はやはり揺れました。久しぶりだったので,本当に驚ました。そして,それに続くニュースを耳にして,ますます驚きました。津波は怖いです」
宮崎 Tさん
「今ブログを読み、音楽を聴きまた涙が出そうです。
あの地震から1ヶ月が過ぎようとしているのに、新聞を読み、テレビの映像を見ては涙を流しています。宮崎も、日向灘地震と言う大きい地震が来ると言われています。今回のような地震が来たら、我が家も流されます。どこに逃げたら良いのかしらと話しています」
熊本 Hさん
「ブログも毎回見ています。 東日本大震災は本当に想像を超えた出来事でした。 私は津波の時はマレーシアに居ました。現地のガイドの携帯に 岩手に大きな地震が起きた。と連絡が入り直ぐ日本に電話。「それ 昨日の事でしょう。ちょっと大きなのがあったよ」と返事。なんだ大した事無いみたい。そう思ったら日本から電話。テレビつけたら 大変な事になっている。日本に居ない私が先に知ったのです。旅行中もテレビを夜はつけっぱなしで寝不足でした」
3月11日午後2時46分。東日本大震災が発生したあの日、あの瞬間から1カ月が経過した。列島各地では11日、発生時間に合わせて鎮魂の黙祷(もくとう)が捧げられた。死者・行方不明者は2万7千人を超え、15万人近くが苦しい避難所暮らしを強いられている。(産経新聞)
これを何とかしなければ被災地の復興もまた不十分なものとなるのです。
アメリカの皆様の温かいお心、日本人はみんな感謝していると思います。どうぞよろしくお伝えくださいませ。