金谷武洋の『日本語に主語はいらない』

英文法の安易な移植により生まれた日本語文法の「主語」信仰を論破する

第25回 「国境の長いトンネル:コトとモノ」

2005-10-20 19:16:17 | 日本語ものがたり
  同じ状況の筈なのに、日本語の文とそれを英仏語に訳した文では、受けるイメージがかなり違ってしまうことがある。例えば、日本の小説を日本語で読む場合とその英仏語訳を読む場合、実は頭の中で異なった状況を想起している、ということが少なくない。

 10年ほど前にNHK教育テレビで「シリーズ日本語」という特集番組があった。講師の池上嘉彦氏が「雪国」(川端康成)冒頭の「国境の長いトンネルを抜けると、雪国であった」という文を取り上げて解説している。翻訳家として川端作品の多くを手掛けているE.サイデンステッカー氏は、この文をThe train came out of the long tunnel into the snow country.と訳している。さて、果たしてこれら二つの文は同じことを言っているだろうか。

 「国境の長いトンネルを抜けると、雪国であった」という文を読んで我々の頭に浮かぶ情景は何だろう。作者が汽車に乗っていることは明らかだろう。そして読者もまた、その作者の行動を同じ目の高さで追体験してはいないだろうか。今、列車はトンネルの暗闇の中を走っており、私はその車内に坐っている。やがて、窓の外が明るくなる。やっと長いトンネルを抜けるのだ。おや、山のこちら側は真っ白の銀世界だ。という風に、時間の推移とともに場面が刻々変化していく。

 これに対してThe train came out of the long tunnel into the snow country.の方はどうだろう。番組では、数人の英語話者をスタジオに招いて、この文から思い浮かぶ情景を絵に描かせていた。実に興味深いことに、汽車の中からの情景を描いたものは皆無で、全員が上方から見下ろしたアングルでトンネルを描いている。明らかに話者の視点は汽車の外にある。トンネルからは列車の頭が顔を出しており、列車内に主人公らしい人物を配した者もいた。トンネルの外には山があり、何人かは雪を降らせている。(絵心がないと冬山は描きにくい)

 原文と訳文のイメージは著しく違うと言わざるを得ない。それは先ず視点の違いである。原作では汽車の中のあった視点が、英訳では汽車の外、それも上方へと移動する。それは何故か、というのがこの番組でのポイントであった。原文はこのまますらすらと読める文であり、さらにあの「夜の底が白くなった」と続くのだから、大向こうから「よっ、ノーベル文学賞!」と声がかかりそうな名調子である。それがそのまま英訳出来ないとはどうしたことであろうか。

 よく見ると、この日本文には「主語」がないのである。このままでは英訳出来ないのはその為だ。英訳に原文にはなかった単語が表れていることを池上氏は指摘する。言うまでもなく「汽車(The train)」だ。つまり日本語の方は、時間の推移を含んだ「コト」(出来事)を表しているだけなのに、英語では汽車という「モノ」をわざわざ持って来て、その空間上の移動という表現にすりかえている訳である。時間と空間を立体的に表現していた原文と比べて、訳文では時間の要素が無くなって文字通り失速している。原文の方がずっといい。

 この番組を見ていて、アルゼンチン出身の日本語研究家ドメニコ・ラガナ氏のことを思い出した。来日前、日本語をまだ修行中のラガナ氏がどうしても意味が分からなかった文があったという。幸田文の小説「流れる」冒頭の文「この家にちがいないが、どこから入ったらいいのか、入り口がなかった」である。

 この文も「雪国」の冒頭に似ている。それは時間の推移とともに、主人公が入り口を探しつつ家の周りを行きつ戻りつしているコト(出来事)を、この文が見事に言いおおせているからだ。これまた日本人なら実にすんなり分かる文である。一方、ラガナ氏はこの文を理解する取っ掛かりとなるモノ(主語)を求めて右往左往し、結局見つからぬまま頭を抱えてしまったらしい。

 日本語にはある出来事をコトとしてその全体を表現する傾向がある。例えば、浦島太郎の話で「亀が子供達にいじめられているのを助けました」などという簡単な文を、カナダの学生は難しいと言う。この文では、助けたのは亀(モノ)ではなく「亀がいじめられているコト(トコロ/状況/場面)」であるからだ。そういう文は英仏語では作りにくいのである。試みにコトの中からモノ(亀)を引き出して来て「浦島太郎は、子供達にいじめられている亀を助けました」という文に変えてやると、一同「これで分かった」という顔をするのは面白い。「子供達にいじめられている亀」という名詞修飾節(せつ)が節(ふし)みたいに膨らんでいて、我々にはいささか耳障りだが。 (2003年4月)

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
説得的な指摘です。 (Minue622)
2011-02-16 19:36:37

しかし、英語圏の学習者はこのような議論になんとか抵抗感を感じるようです。

この内容を「Lang8」と「Taekim guide to Japanese - Forum」で少し紹介しましたか、「賛成!」と同義を表するのは一人もいませんでした(笑)。


http://www.guidetojapanese.org/forum/viewtopic.php?id=5592

http://lang-8.com/142682/journals/801938/In-between-Japanese-and-English-%253A-a-case-study-from-%2527Snow-country%2527-by-kawabata-yasunari%252C-and-its-Eng

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サングラス (たき)
2011-02-18 16:19:59
拙著を紹介して下さって恐縮です。ありがとうございます。

英語話者はきっと分からないでしょうね。それは英語脳になってしまって、他の世界観が理解しにくいからです。「母語というサングラス」の威力は、過小評価できませんよ。
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