金谷武洋の『日本語に主語はいらない』

英文法の安易な移植により生まれた日本語文法の「主語」信仰を論破する

世の中には本当に不思議なことがある

2005-10-19 22:08:04 | 管理人のつぶやき
父が亡くなり、しばらく日本に帰国しておりました。

父危篤の知らせを受けたのは、一ヶ月前のこの日、こちらのブログに第23回を掲載して数時間後のことでした。父は倒れる30分前までピンピンしていたといいます。この第23回の記事を書いている時は、丁度朝食を摂りながら新聞を読んでいたことでしょう。

父は、目標に向かって努力を続ける人でした。小さな島の出身で、当時、その島から大学に進学するのはとても難しかったのですが、アルバイトなどをしながら大学に進学しました。当時の大学生にはめずらしくなかったとは言いますが、学費も生活費も100%自分で捻出しています。また、その島から海外に出るなどは考えられなかったのですが、若い頃には商社に就職して、海外勤務も経験しています。最近は、私がカナダに来たのを機に、高校生用の英語の教科書をどこかから手に入れて、毎日再勉強しておりました。
ヘンな自慢が大好きで、その日に食べたラッキョウの姿形まで、自分のことのように褒め称え、周りの人を笑わせていました。

そして、ピンピンコロリ(亡くなる直前まで元気で、亡くなる時はコロリと逝きたい)を最期の時の目標としていました。ここ数ヶ月の目標はお彼岸に家族で島を訪れる…だったのですが、お葬式が丁度お彼岸と重なり、家族全員で島に戻ることになりました。最後まで目標どおり。あまりにも突然の死で、悲しみを消化できずにいますが、父らしい逝き方だったと、一方で妙に感心してしまう自分がいます。

さて、カナダに戻って、気持ちの整理をつけるためにも、ブログの更新をしようと思い、画面を開いた今日は丁度19日。ああ、一ヶ月前のこの更新をした時間は、まだ父はピンピンしていていたんだな、と、思うと不思議な気持ちです。

さらに、一ヶ月ぶりに掲載する第24回の記事は、林尚子さんの追悼記事です。掲載にあたって、再度読み直したのですが、林さんが亡くなってから返信されたお礼の手紙や、追悼式での悲しい初対面、周りの人からしのばれる林さんのお人柄など、初めてこの記事を読んだときとは、全く違う気持ちで読み直すことになりました。

そして、補習校(私はカナダの某所で補習校教員をしております)では、ちょうど宮沢賢治の生涯について記載された文章で国語学習を行うことになっており、授業の準備をしていたら、宮沢賢治の命日が父の命日と同じ。

世の中には本当に不思議なことがあるものだ思います。それぞれ、ちょっとした偶然なのかもしれませんが、人生が時間を超えて不思議なめぐり合わせでつながっているように思えてなりません。

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3 コメント

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父の想い出 (たき)
2005-10-22 02:40:20
チエ蔵さま、お父さまのご冥福をお祈りします。



私は、父が68歳で亡くなったという姉からの電話を1985年にアルジェリアで受け取りました。当時、1年前からダム工事現場で仏語通訳の仕事をしていたのです。



急遽アルジェリアから帰国しましたが、仏壇に座り遺影の父に挨拶しても、何故か涙が出てきません。急死ではなく、10年ほどパーキンソン氏病で入退院を繰り返した後でしたので、父を失うことの心の準備が出来すぎていたからかも知れません。泣けない自分が不思議でした。



帰国した夜に、母が父の病床日記を見せてくれました。実はその数年前に一時「危篤」の知らせを受け、ケベック市から飛んで帰ったことがあります。日本は4年ぶりで、これが最初の帰国でした。その時、父は持ち直したので「何~だ!」と笑ってまたカナダに戻ってきたのですが、父の日記にその際のことが書いてありました。



パーキンソン氏病のせいで父は手足の震えだけでなく、言語機能がやられていました。母は分かるのですが、久しぶりに会った父の言う事が私には聞き取れないのです。父がそのことを日記に書き残していました。「洋(ひろ)に言ったんだが、分かってもらえなかった」と、パーキンソン氏病の特徴の一つである(小字症)、それはそれは小さい字で書いています。その後ろが判読出来た時、私は言葉を失いました。



「誕生日、おめでとう」父は私にそう言っていたのです。それを数年後、しかも父の死後にこの日記で初めて知った瞬間、出なかった涙が滝のように溢れてきて、それは朝まで止まりませんでした。申し訳ないことをしたと思います。
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お父様のご冥福をお祈りいたします (ミリエ)
2005-10-22 22:13:50
不思議な巡り合わせですね。

その巡り合わせに気づかれたのは、

チエ蔵さんの感受性の高さ故

でもありますね。



チエ蔵さんのお話にも、

たきさんのお話にも、

涙しました。
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どうもありがとうございます (チエ蔵)
2005-10-24 00:23:04
たきさま、ミリエさま、コメントどうもありがとうございます。



父は日記を書くほどまめではなかったのですが、1年に1回くらい、気分が乗った時に、子供の成長の覚書みたいなものを少しずつ残しており、私の欄には「まんまいねー:怒ったときに使っていた言葉。5歳くらいまで使用。」「足ぴょんこぴょんこ:ゴキゲンだとそうなる。大人になってもやっている。」などと細かく記載しておりました。



驚いたのが、父が高校生の時のノート。父は長男であとに続くのは全員女の子だったのですが、高校の時に、ノートに自分の弟(!)用の名前を用意していました。結局、弟は生まれず(妹が生まれました)、その名前は父にとっての長男(私にとっての弟)につけられました。



覚書とノートは私たち家族の宝物です。
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