正林寺法華講員手引書

『折伏・家庭訪問・教化育成・法統相続・教学研鑚・邪義破折・支部組織の充実強化に活用』 法華講正林寺支部 正林編集部

下種三宝の「法宝」とは

2005-11-21 | 手引書⑥

 信心では三宝を敬うことが大切です。三宝を敬うことを忘れ御本尊様に御題目を唱えても成仏は出来ません。三宝とは仏宝(ぶっぽう)・法宝(ほうぼう)・僧宝(そうぼう)の三つです。それぞれ仏法が流布する時代において、三宝の意味が異なります。今現代末法時代は、「下種三宝尊(げしゅさんぼうそん)」を敬うことです。仏宝が日蓮大聖人、法宝が三大秘法・本門戒壇の大御本尊、僧宝が第二祖日興上人已来御歴代上人です。
 『四恩抄』に、
 「僧の恩をいはゞ、仏宝・法宝は必ず僧によて住す。譬へば薪(たきぎ)なければ火無く、大地無ければ草木生ずべからず。仏法有りといへども僧有りて習ひ伝へずんば、正法・像法二千年過ぎて末法へも伝はるべからず」(御書268)
と仰せのように、僧宝である御歴代上人が正しく伝えてこられなければ法宝も仏宝も伝わらないのであります。
 下種三宝の「法宝」とは三大秘法・南無妙法蓮華経の御本尊様でありますが、法の宝となる仏様が説かれた法は五千七千の経巻となり、教えとしては八万四千という数になります。この頂点に立つのが「法宝」で事の一念三千・独一本門戒壇の大御本尊様です。御題目の南無妙法蓮華経を中心にすることで、法華経以外の劣る教えも、本来の意味を持ち成仏を助ける教えに変わります。
 「法宝」は御本尊様のことでありますが、「法宝」を離れて信心とは言えず、御利益もありません。「法宝」となる御本尊様に手を合わせて御題目を唱えれば御利益が自然と生まれます。「法宝」を見ないで御利益ばかり求めても無駄であります。「法宝」の御本尊様に、心を静め御題目を唱えるところ、生活において新たな発見を見付け快適に過ごすことが出来るのであります。
 「法宝」である御本尊様は何も仰せになられませんが、私達から御題目を御本尊様に唱えることで私達の命に智慧を下さります。それが尊いのであります。尊いので「法宝」を御本尊様といいます。「法宝」は、この世の中で一番尊い存在を御本尊とします。「法宝」を決められるのは、私達迷いの多い人間ではありません。迷いを完全に克服された仏様が、その時代に相応しい「法宝」となる御本尊様を決められます。つまり「仏宝」となる仏様が「法宝」を決め、その「法宝」を正しく伝え弘めていく唯一の方を「僧宝」と立てるのであります。
 「法宝」だけでは存在せず、「仏宝」だけでも存在せず、「僧宝」だけでも存在せずに、三宝を一体として考え信じることが大事です。ここに一連の御利益を頂く道理が隠されています。
 その中で特に大事な宝が「法宝」ということです。末法万年といわれる五濁悪世には三大秘法の御本尊様を「法宝」と崇め、未来永劫まで「僧宝」によって正しく伝えられていくのであります。つまり正しい「法宝」を拝見できるのは「僧宝」があるからです。「法宝」となる御本尊様を拝むのであれば、「僧宝」も敬う必要があります。それが先の『四恩抄』における日蓮大聖人の御指南であります。間違った僧宝観が世の中を覆っております。信心では、正しい「僧宝」を見失わないように勤めましょう。そこに成仏に必要な血脈があります。
 三大秘法の御本尊様である、文底下種の事の一念三千の南無妙法蓮華経が下種三宝における「法宝」です。この「法宝」に御題目を唱えるところに本当の成仏があります。