正林寺法華講員手引書

『折伏・家庭訪問・教化育成・法統相続・教学研鑚・邪義破折・支部組織の充実強化に活用』 法華講正林寺支部 正林編集部

日蓮正宗 正林寺 掲示板

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正林寺法華講員手引書一覧

2005-11-21 | 正林寺法華講員手引書一覧

 

法華講員手引書目録

 

手引書 一巻

 1.人生の迷い悩みは何気ないところから襲ってくる
 2.寺院参詣の大切さ
 3.信心を持続させる大切さ
 4.毎月の御講に参加しましょう
 5.総本山大石寺登山の重要性
 6.御題目を唱える理由
 7.御本尊様から頂く功徳
 8.正しい仏法を教える折伏の必要性
 9.謗法与同罪を恐れる信心を 
10.心の汚れ三毒の貪・瞋・癡 
11.信心の信とは 
12.修行の行とは 
13.教学の学とは 
14.人生の苦悩となる四苦八苦

手引書 二巻

15.私達の心に吹く八つの風(八風) 
16.身・口・意の三業 
17.冥の照覧を恐れる信心を 
18.死魔を乗り越える信心を 
19.信心を阻む三障四魔 
20.信心は柔和な心と忍辱が大切です 
21.異体同心の信心 
22.日蓮正宗の信心は師弟相対が大切 
23.転重軽受の法門とは 
24.善知識と悪知識を見分ける眼を 
25.願兼於業は地涌の菩薩の証 
26.動執生疑を起こさせる折伏を 
27.九思一言を心がけましょう 
28.病を克服する信心を 
29.御本尊様に向かって正座をし合掌をするのは                 

手引書 三巻

30.家庭訪問の心得 
31.日蓮大聖人の「御書」とは 
32.邪宗・邪師の利根と通力に踊らされない信心を 
33.諸天善神といわれる神の働き 
34.神社に「悪鬼神」が住み着いています 
35.寺院の意味とは 
36.思春期という心の葛藤を乗り越えるには 
37.一念三千を理解することで性格が変わります 
38.日蓮正宗を信心するには御授戒が必要です 
39.三大秘法の御本尊様とは 
40.名聞名利と我慢を誡める信心を 
41.寺院参詣は御念珠を忘れずに 
42.法に依って人に依らざれ(依法不依人) 
43.私達の心の惑い三惑とは 
44.不染世間法 如蓮華在水

手引書 四巻

45.他宗他門を批判する理由は慈悲行から 
46.信心は「発心」が大切です 
47.一切衆生 悉有仏性 
48.三類の強敵に屈しない信心を 
49.御題目の南無妙法蓮華経について 
50.横難横死は正法誹謗の罪障 
51.生活を煩わす「煩悩」 
52.六道輪廻の生活とは 
53.寿量品の「毒気深入 失本心故」とは 
54.「水の信心」と「火の信心」 
55.「我此土安穏」な境界とは 
56.心の悪を止める「防非止悪」とは 
57.謗法の果報「悪鬼入其身」とは 
58.現代は五濁悪世の末法時代 
59.私達が積んだ功徳を「回向」するには           

手引書 五巻

60.信仰を持たない人や無神論者の方へ 
61.正しい仏様とは日蓮大聖人です 
62.折伏成就は、挨拶から始まります 
63.正法誹謗者は還著於本人を恐るべし 
64.日蓮正宗と創価学会は違います 
65.創価学会から日蓮正宗に改宗するには 
66.信心は所作仏事が大切 
67.信心は謗法払いが必要です 
68.仏法は多数決で判断できません 
69.仏教が雑乱する中で正しい仏法とは 
70.正法時代とは 
71.像法時代とは 
72.末法時代とは 
73.値い難き仏法にあえる因縁を大切に 
74.人生の不安を取り除く方法は           

手引書 六巻

75.嫌な出来事は「空」を観じることから 
76.末法の正しい仏像とは日蓮大聖人 
77.末法は「有名無実」が氾濫します 
78.末法の御利益は「冥益」 
79.成仏し難い人に四種類あります 
80.罰について 
81.怨嫉を静めるには四恩を知ることから 
82.己心で騒ぐ師子身中の虫とは 
83.成仏とは何か 
84.正しい仏法を決める五重の相対 
85.下種三宝の「法宝」とは 
86.下種三宝の「仏宝」とは 
87.下種三宝の「僧宝」とは 
88.主師親の三徳「主徳」とは 
89.主師親の三徳「師徳」とは 
90.主師親の三徳「親徳」とは 

手引書 七巻

 91.慈悲魔に御用心 
 92.寺請制度に固執する人は謗法与同罪 
 93.「御線香」を供える理由 
 94.私達が住む所を裟婆世界という 
 95.人生を楽しくする秘訣は少欲知足 
 96.防非止悪を意味する戒律の「戒」とは 
 97.落ち着きを持つ秘訣である禅定の「定」 
 98.人生を優雅に飾る智慧の「慧」 
 99.信心は焦らず地道にコツコツと 
100.余暇を有効に演出する止暇断眠の精神 
101.外面似菩薩 内心如夜叉に御用心 
102.御本尊様を受持させる難しさ六難九易 
103.折伏が閉ざした人心の眼を開く 
104.折伏で話術が磨かれる 
105.折伏における話術の要諦                  

手引書 八巻

106.初心を忘れない信心を 
107.正しい認識で、身の供養と財の供養を 
108.和合集団を乱す言動は慎みましょう 
109.欲望に主導権を取られない信心を 
110.日蓮正宗の御葬式の意義 
111.日蓮正宗の法事の意義 
112.謗法とは 
113.人間関係で、お悩みの方へ 
114.他人より遅れる不安、劣等感の扱い方 
115.人生に目的が見付からない方へ 
116.信心を妨げる睡魔について 
117.唱題中に思考することは何か 
118.十四誹謗を止める信心に成仏あり 
119.信心は「立正安国」の精神で             

手引書 九巻

120.日蓮正宗だけにある女性と悪人の成仏 
121.折伏は四悉檀を心得るべし 
122.心の汚れを落とす方法 
123.雪山の寒苦鳥にならない信心を 
124.御塔婆供養の意味 
125.信行では当体蓮華と譬喩蓮華を 
126.信心は「歓喜」を忘れずに 
127.天変地夭の因は歓喜を忘れた謗法から 
128.私達の五陰が三毒を生成する 
129.必ず経験する生者必滅と会者定離 
130.教を知る 
131.機を知る 
132.時を知る 
133.国を知る 
134.教法流布の先後を知る                    

手引書 十巻

135.寺院参詣によって麻畝の性となる 
136.人の性分は「善悪不二」          
137.環境が変化するときに魔が襲う 
138.正しい仏法は「四依」による 
139.文証・理証・現証の「三証」 
140.朝夕の勤行について 
141.現当二世という現世安穏と後生善処 
142.妙法の四力「信力と行力」 
143.妙法の四力「仏力と法力」 
144.他力本願にならない信心に志そう 
145.信心の「心」について 
146.現代の修行は難行苦行必要なし 
147.自分の修行である「自行」 
148.他人を教化する「化他行」 
149.消化不良を起こさない折伏を       

手引書 十一巻

150.肉眼に依ると迷いが生まれる(五眼) 
151.信じることで智慧を得る「以信代慧」 
152.心を塞ぐ五つの蓋「五蓋」 
153.人によって見方が変わる「一水四見」 
154.我見で推し量る「我田引水」 
155.我見を捨てた信伏随従の大切さ 
156.我を振り返る信心「観心」とは 
157.過因が現果に、現因が未来果へ 
158.因果に応じて受ける報い「因果応報」 
159.毒を変じて薬と為す「変毒為薬」 
160.怪文書や誹謗中傷記事について 
161.退転と不退 
162.色花ではなく御樒を御供えする理由 
163.因縁と共にする人生 
164.依正不二とは 

手引書 十二巻

165.悪は多けれども一善にかつ事なし 
166.足代を捨て、足代を滅する信心を 
167.「命」を大切に 
168.信心で祈りは必ず叶う 
169.「一念に億劫の辛労を尽くせば」 
170.一念三千の法門は日蓮正宗だけに有る 
171.陰徳陽報に徹する信心を 
172.寺院参詣の心得 
173.憶持不忘の人は希である 
174.臆病にては叶ふべからず 
175.仏法で説く鬼とは 
176.信心で過去の罪障を消滅させる 
177.加護について 
178.神が存在しなくなる神天上の法門 
179.上七代と下七代の功徳とは 
180.順縁と逆縁について 
181.行学の二道をはげみ候べし 
182.更に寿命を賜る信心とは 
183.血脈相承について 
184.広宣流布を目指す信心を 
185.未得謂得 未証謂証           
186.ローソクに火を灯す理由         
187.業について               
188.宿業転換は御本尊様への境智冥合     
189.常楽我浄の四徳             
190.成仏を妨げる先入観と固定観念      
191.四つの誓願を志す信心「四弘誓願」    
192.真の幸福とは              
193.折伏は福田に下種をして育成が必要    
194.自受用身とは日蓮大聖人



正林寺支部 折伏手引書

法統相続Q&A


法統相続の教化育成書


十界論私考集


妙法蓮華経並開結略要旨私考

 
 
 

あなたは創価学会の間違いをどう思いますか?

群馬布教区有志一同


時局協議会シリーズ


正本堂の御指南に対する創価学会の『再お伺い書』の問難を破す



目次(手引書①)

2005-11-21 | 手引書①

1.人生の迷い悩みは何気ないところから襲ってくる

2.お寺参詣の大切さ

3.信心を持続させる大切さ

4.毎月の御講に参加しましょう

5.総本山大石寺登山の重要性

6.御題目を唱える理由

7.御本尊様から頂く功徳

8.正しい仏法を教える折伏の必要性

9.謗法与同罪を恐れる信心を

10.心の汚れ三毒の貪・瞋・癡

11.信心の信とは

12.修行の行とは

13.教学の学とは

14.人生の苦悩となる四苦八苦


人生の迷い悩みは何気ないところから襲ってくる

2005-11-21 | 手引書①

 人の幸せは永遠の保証はありません。楽しいとき、幸せなときこそ、冷静に現実を見る時間を一日に数分でも持つことが大切です。
 楽しいときや幸せなときは安心し気持ちを緩めがちです。この気持ちの緩め方を間違えると不幸になります。気持ちを緩めるということは、注意力を怠ることになり、何気ないところから迷いや悩みである不幸の原因をつくることになります。
 この何気ない迷いや悩みを事前につくらないようにするには、お寺(日蓮正宗寺院)へ行き冷静に現実を見つめる時間をつくることです。
 仕事場や自宅では、様々な雑念により心を落ち着かせることは出来ません。心の安らぎを得る大切な場所がお寺です。世の中では、お寺の存在を忘れがちですが、お寺こそ今の時代に一番必要な、幸せを永遠のものにするところです。
 人間の智恵や知識には限界があります。その限界を無限にするには、お寺へ行き心と精神を磨き、その上で世間一般の知識を活用することです。
 お寺の存在を忘れられがちな現代、お寺に行くことで心の汚れを洗い流せます。この心の汚れを洗い流すことの出来ない人が、多くの迷いや悩みをかかえ、更に自殺という最悪な結果を招くこともあります。最悪な結果を未然に防ぐ方法は、お寺へ行くことが重要です。そして、お寺の方に人生について問いかけ解決策を見つけ出すことです。その智恵を得るところがお寺です。
 人としての道を外さない教えもお寺には伝わっています。人としての道を外れるために人は迷い悩みます。
 人間は、ちょっとした躓(つまず)きで迷い悩みが生まれます。どのように解決すればいいのか分からなくなります。この状態が迷い悩みの姿です。誰もが経験することです。
 いつも幸せであったり、楽しい気持ちであると、急に迷いや悩みが生まれると何倍にも何十倍にも苦しみを感じます。この苦しみから解放するところがお寺です。世界で最高の仏様の前で御題目(南無妙法蓮華経)を唱える時、苦しみである迷い悩みから解放されます。
 迷い悩みには多くのものがあります。人間関係・対人関係の悩み、仕事上の悩み、家庭における悩み、幸せをつかむはずの結婚が離婚しなければならない悩み、嫁姑による価値観の違いからくる複雑な悩み、子育ての悩み、恋愛からくる悩み、学校の成績の悩み、あげればきりがありません。
 お寺へ行くことで、以上のさまよいから解放される道を切り開くことが出来ます。
 迷いや悩みが生まれる前に、迷い悩みの芽をつみ取る必要があります。つみ取る方法をお寺では教えてくれます。
 その和が世の中に広がれば、社会においても決して崩れることのない幸せをつかむことが出来ます。お寺の参詣を心からお待ちしています。


お寺参詣の大切さ

2005-11-21 | 手引書①

 御先祖様の供養は非常に尊いことです。御先祖様がおられたからこそ今の私達があります。決して忘れてはならないことです。世の中では御先祖様へ対する感謝の気持ちを忘れ去られている姿があります。それとは正反対に御先祖様のことを尊び敬う姿は、御先祖様もお慶びであると察します。
 御先祖様の成仏を決定するのは、どなたであるか考えたことがお有りでしょうか。お参りの際には、お寺に安置されている御本尊様が成仏して下さることを知ることです。私達の浅はかな力でなく、亡くなった昔の御先祖様が成仏して下さるのでもありません。成仏はお寺にある三大秘法の御本尊様がして下さいます。
 私達はただひたすらに、御本尊様に御題目の南無妙法蓮華経を唱えることで、亡くなられた身近な御先祖様も遠い昔の御先祖様も御本尊様の偉大な力によって成仏させられます。
 お参りに来られる方で、以外にこのことを知らない方がいます。お参りには、その意義を理解してお参りすることで更に御先祖様に成仏への仏因を結ぶことが出来ます。
 具体的には、お墓や納骨堂にいく前に必ずお寺の御本尊様に御題目三唱することが大切です。そして御塔婆を建て成仏の仏因を確実に結ばせることです。御塔婆を建てることで成仏の縁を結んだ証拠を示します。
 宗祖日蓮大聖人様も『草木成仏口決』に、
 「我等衆生死する時塔婆を立て開眼供養するは、死の成仏にして草木成仏なり」(御書522)
と仰せです。御塔婆を建てることで亡くなられた御先祖様の眼を開き、新しい人生を歩ませることが出来ます。私達にはどこで何をしているのか知ることは出来ませんが、御塔婆を建てることによって御本尊様が御先祖様の行く末を見守って下さるのであります。
 お寺へ行かないでお参りだけ済ませる方は、御先祖様に本当の成仏の種を施すことが出来ないのであります。このことはお寺へ参詣しなければ全く知ることが出来ません。世間でも教えてくれる方はおりません。そのためにお寺へ行くことが非常に大切です。
 お墓や納骨堂へのお参りも尊いことでありますが、お寺へ寄られお経を一緒にあげて御塔婆を建てることで御先祖様の成仏が確実になります。


信心を持続する大切さ

2005-11-21 | 手引書①

 世間でも「継続は力なり」といいますように、何事も続けることが大切です。信心においても当然であり宗祖日蓮大聖人は『四条金吾殿御返事』に、
 「此の経をき(聞)ヽう(受)くる人は多し。まことに聞き受くる如くに大難来たれども「憶持不忘(おくじふもう)」の人は希(まれ)なるなり。受くるはやす(易)く、持つはかた(難)し。さる間成仏は持つにあり。此の経を持たん人は難に値(あ)ふべしと心得て持つなり。」(御書775)
と仰せです。信心は御本尊様を受けることは容易いことですが、持つという信心を持続することが非常に難しいと御指南です。成仏というのは持つところにあります。受けているだけでは本当の成仏は出来ません。
 具体的に「持つ」ということは信心の実践です。実践しなければ成仏は出来ません。実践をしなければ知らない間に、世間の謗法に染まるおそれがあります。御授戒を受け、更に御本尊様を受けている方は、このことを十分におそれ更に持つという信心の持続を考えることが大切でしょう。
 実践とは、朝夕の勤行唱題・正しい仏法を教える折伏です。更に寺院参詣である寺院へのお参り、御住職様の有り難い御法話を拝聴させて頂き自行化他の両面を向上させていきます。そして総本山大石寺への登山です。本門戒壇の大御本尊様に御目通りさせて頂き、御法主上人猊下に御指南を賜ることが重要です。最低一年に一度は総本山大石寺に登山することが大事でしょう。特に支部総登山には必ず登山すべきであります。以上の実践なくしては成仏は望めません。
 信心の実践に当たり、必ず災いがうまれます。大小様々でありますが、特に己自身の「己心の魔」が災いします。魔の働きである三障四魔は、師子身中の虫である己心の魔が必ず邪魔をします。日々の勤行唱題を疎かにすると己心の魔を好きなようにさせることになり、人生のあらゆる変動や世間の荒波に動揺しやすい人格を作り上げます。この点を信心の実践をしない方は気付く必要があります。つまり知らぬ間に謗法の思想に染まっていくのであり悪道に落ちる要因をつくっていきます。これでは当然成仏は出来ません。実践なくして観念的に成仏できると思い込んでいるだけでは怠慢であり、当然成仏は出来ません。信心は持つという持続がいかに大切であるかということです。持続することであらゆる悪縁を退け、不退の境界を築くのであります。
 日蓮正宗の信心は他力本願ではありません。御本尊様を信じ御題目を唱え、自分自身で人生を切り開いていくことが大事です。そのためにはお寺へ参詣し御住職様の有り難い御法話を拝聴させて頂くことが大事です。毎月の永代経や御講には必ず参加したいものであります。


毎月の御講に参加しましょう

2005-11-21 | 手引書①

 御講とは、宗祖日蓮大聖人様に御報恩感謝申し上げる法華講員として積極的に参加しなければいけない行事です。本堂に太鼓の音が鳴り響くなか、御住職様による献膳が行われ、読経唱題と有り難い御法話があります。
 御講に参加する意味は、御本尊様に巡りあえた歓びや御題目の南無妙法蓮華経を唱えられることは、日蓮大聖人様の御出現があったからです。お寺へ参詣し御講に参加して日蓮大聖人様に御報恩謝徳申し上げていきます。
日蓮大聖人様は『開目抄』に、
 「何に況んや仏法を学せん人、知恩報恩なかるべしや。仏弟子は必ず四恩をしって知恩報恩をいたすべし」(御書530)
と御教示であります。報恩感謝の気持ちが忘れられがちな現代、この報恩を学ぶところが寺院で行われる「御講」です。世の中の人達は、報恩について学びなおす必要があります。報恩を忘れた姿が世の中の悪い現証として起きているといっても過言ではありません。御住職様の報恩についての法話は、世間では聞くことの出来ない日蓮大聖人様の教えが躍動した法話です。私達が経験する人生の障害物を払拭させる智慧を身に付けることが出来ます。そして生活のなかで染みついた心の迷い貪瞋癡の三毒を洗い流していきます。
 また御講で学んだ報恩の意味を教えていくことが「折伏」につながります。折伏をして日蓮大聖人様の報恩の意味を教えて上げ、更に日蓮正宗に入信させて御講に参加させることで日蓮大聖人様に恩を報じることが出来ます。御講では報恩の気持ちを自他共に育成し、報恩の気持ちを持った人の輪を広げていく、日蓮正宗において非常に大事な行事です。御講に参加しなければ報恩の気持ちを養うことは出来ません。
 御講は三大秘法の御本尊様と日蓮大聖人様だけに御報恩申し上げるものではありません。第二祖日興上人様、第三祖日目上人様以来の御歴代上人様にも御報恩申し上げています。それが読経唱題前に行われる献膳の意義です。正しい仏法を学び本当の報恩の意味を学ばせて頂けるのは、御歴代の御法主上人様が正しく御相伝あそばされてきたからであります。この血脈といわれる筋道が途切れていたならば、私達は一切、御本尊様に巡りあうことも出来ず正しい仏法も学ぶことは出来ないのであります。当然以上の意味から御歴代の御法主上人様に御報恩申し上げることは法華講員として当たり前のことです。つまり下種三宝様に御報恩謝徳していくということです。それが御講に参加する重要な意味になります。
 更にその意味を踏まえて御塔婆を立て御先祖様を供養し、日蓮正宗を信心していない方を折伏して恩に報いていきます。御講には以上の意味を踏まえて参加されることが大事です。更に御先祖様の毎年めぐってくる祥月命日忌と毎月の命日忌にも、お寺へ参詣し御本尊様に御題目を唱えることが御先祖様の成仏を確実なものにします。毎月の御講には縁のある方をお誘いし必ず参加しましょう。


総本山大石寺登山の重要性

2005-11-21 | 手引書①

 登山するにあたり、御本尊様を信じる信心を根本とした心構えを、十分に理解し登山に望むことが大事です。つまり心の準備を怠ることなく、万全を尽くすことです。登山後、登山で養われた心がけを、更に生活の場で応用していくことで、信心即生活における大切な気構えが生まれます。
 登山に当たっては、事前に予定や計画を立て不備のないよう勤めます。この心がけは、登山だけでなく生活の場において具体的に予定や計画を立てることでスムーズに送ることができます。その予定や計画を具体的に立てる大切な時間が、朝夕の勤行唱題である心休まる時間です。御本尊様を御前にして勤行唱題をするとき、現実を冷静に見ることができ、禅定の境地に入ることが自然とできます。つまり私達の迷い三毒である貪瞋癡を払うことになります。登山に否定的な方は、すでに命が三毒に汚染されつつあることを自覚する必要があります。
 仕事に追われる毎日には、一日に必ず落ち着いて自分の今のあり方や家族のこと仕事のことを冷静に見つめる時間が必要です。その時間が勤行唱題になります。人生のちょっとした戸惑いや気付かない面を事前に御本尊様から智慧を頂いて解決していきます。勤行を怠ると判断力と冷静さを失うことになり、三毒である貪瞋癡に汚染された命になります。この三毒に翻弄されていては、現実を明らかに見ることは一切できません。
次になぜ、総本山大石寺の登山が重要なのかといいますと、本門戒壇の大御本尊様に御開扉を受けさせて頂くことで、先に記した人生の迷いである貪瞋癡の三毒を命の奧から取り払うことができるのです。この命の奧に入り込んだ心の毒を取り除くことで、今までの生活リズムを根本から変革し成仏の境界へと近づく事ができます。そのため総本山大石寺の登山は非常に重要です。自宅の御本尊様や所属寺院の御本尊様に御題目を唱えるだけではいけません。登山をして根本の総本山に在す本家の御本尊様に、御題目を唱えなければ本当の功徳は一切流れかよってはきません。
 総本山大石寺に登山することで、今まで以上に人生を客観的に見つめる眼が具わり、自分自身を常に向上させようとする心構えもできます。信心には向上心が必要です。六波羅蜜に「精進」という言葉がありますが、向上心を養うには、この精進が大切です。精進とは日蓮大聖人様の御精神に添って進んでいくことです。つまり日蓮大聖人様の御書を学んで心肝に染め、更に御法主上人猊下様の御指南を仰いで進むことであります。これが日蓮正宗における「精進」です。登山には本来の精進を養う意味もあります。
 登山で一番大事なことは「御開扉」です。御法主上人猊下様に内拝をお許し戴いて、はじめて本門戒壇の大御本尊様に御目通がかないます。「渇仰恋慕」の気持ちをもって望むことが大事です。六根清浄の功徳を頂き、六根である眼耳鼻舌身意を清めることができます。「御開扉」で頂いた功徳をもって、更に勤行唱題と折伏に精進することができ、生活も安穏になり充実した生活を送ることが可能です。この安心感を縁ある方々に伝えて、登山の歓びを広めることが大切です。支部総登山には必ず参加しましょう。


御題目を唱える理由とは

2005-11-21 | 手引書①

 私達は、人と話すとき言葉を使います。日本人同士であれば日本語で話します。アメリカ人であれば英語で話します。仏様である御本尊様と御話しをするときは、御経である法華経の方便品と寿量品を唱え、更に御題目の南無妙法蓮華経を唱えることで御本尊様に気持ちを伝えることが出来ます。
 南無妙法蓮華経という御題目を唱えながら、自分の気持ちを伝えることが大事です。また御先祖様に対しても御題目を御本尊様に唱えれば、その思いは御本尊様の力で伝えて下さるのであります。私達の力ではどうにもなりません。御本尊様の力をお借りしなければ、御先祖様に成仏の種を施すことが出来ません。
 南無妙法蓮華経を唱えることで、私達に本来具わっている仏様の命、仏界が蘇ります。日蓮大聖人は『法華題目抄』に、
 「妙とは蘇生(そせい)の義なり。蘇生と申すはよみがへる義なり」(御書360)
と御指南であり、御本尊様の南無妙法蓮華経の「妙」の一字を拝して、御題目を唱えていけば仏様の命、仏界が蘇るのであります。御本尊様に向かい正座をして、御念珠をし合掌すれば、仏様の命が蘇ります。
 そして大切なことが、心・気持ちを落ち着かせ冷静になることです。これを仏教用語で「禅定」といいます。気持ちを落ち着かせることで、三大秘法の御本尊様に境智冥合し仏様の生命・仏界が涌現しやすくなります。御本尊様は常に禅定の境地におられます。疑うことなく信じることが大切です。
 これは迷い悩み雑念があると難しいです。気持ちを落ち着かせ冷静になることが大事です。人生における迷い悩み雑念は、御本尊様に向かい正座をして合掌し、御経と御題目の南無妙法蓮華経を唱えることで静めることが出来ます。
 この御経をあげ御題目を唱える習慣を、生活に取り入れることで安定してきます。入信間もない方や習慣になっていない方の場合、はじめは朝晩必ず御題目の南無妙法蓮華経を声に出して三回唱えることを毎日続けることです。そして習慣付いてきたら、方便品と寿量品の自我偈を唱えるように心がけ、更に長行を唱えられるように段階を踏み、最終的に五座三座の勤行が出来るように精進していきます。
 この段階を踏んで行うことは、全ての人生において、修得していく上で非常に大事なことです。その人生における基本を勤行唱題で学んでいきます。そして御本尊様に御題目を唱えることで、生命力を強化し人生における様々な障害を乗り越えていくことが出来ます。御題目を唱える中で人生設計をし、安穏な生活を築いていきます。努力と信念だけでは限界があります。この努力と信念を本当のものにするのが「信心」です。信心とはつまり御本尊様に御題目を唱え仏界である潜在能力を引き出すことです。毎日欠かさず御本尊様に勤行をして、御題目を唱える習慣を持ちましょう。その先に絶対的な幸福があります。


御本尊様から頂く功徳

2005-11-21 | 手引書①

 功徳について『御義口伝』に、
 「功徳とは六根清浄の果報なり。所詮今(いま)日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉る者は六根清浄なり。されば妙法蓮華経の法の師と成りて大きなる徳(さいわい)有るなり。功(く)も幸(さいわい)と云ふ事なり。又は悪を滅するを功と云ひ、善を生ずるを徳と云ふなり。功徳(おおきなるさいわい)とは即身成仏なり、又六根清浄なり。法華経の説の文の如く修行するを六根清浄と意得べきなり云云」(御書1775)
と説かれています。日蓮大聖人が御指南される功徳とは、物欲や快楽を満足させるだけの低いものではありません。最高の功徳とは、六根清浄である即身成仏です。私達の六根である眼・耳・鼻・舌・身・意が清浄になることです。
 この六根が清浄になった上から物欲と快楽を考えなければいけません。六根が清浄になり、善悪の判断が明らかに見える上から、少欲知足の精神のもと物欲や快楽を求めることです。そこに我此土安穏な境界があり、御本尊様に御題目を唱えるところに六根清浄の功徳があるのです。 
 『当体義抄』に、
 「正直に方便を捨て但法華経を信じ、南無妙法蓮華経と唱ふる人は、煩悩(ぼんのう)・業(ごう)・苦の三道、法身・般若(はんにゃ)・解脱(げだつ)の三徳と転じて、三観(さんがん)・三諦(さんたい)即一心に顕はれ、其の人の所住の処は常寂光土(じょうじゃっこうど)なり。能居(のうご)・所居(しょご)・身土(しんど)・色心・倶体倶用(くたいくゆう)の無作三身、本門寿量の当体蓮華の仏とは、日蓮が弟子檀那等の中の事なり。是(これ)即ち法華の当体、自在神力(じんりき)の顕はす所の功能(くのう)なり。敢へて之を疑ふべからず、之を疑ふべからず」(御書694)
と御本尊様に御題目の南無妙法蓮華経を唱えると、三つの徳を得ることができると仰せです。六根清浄の功徳を邪魔する、私達の心の迷い煩悩・業・苦の三道は、疑うことなく御本尊様を信じ御題目を唱えるところ、法身・般若・解脱の三徳にかわって、御題目を唱える人の住むところが、仏様が住む常寂光土にかわると日蓮大聖人は御教示です。それが御本尊様から頂くもう一つの最高の功徳です。
 『当体義抄』で「敢へて之を疑ふべからず、之を疑ふべからず」と二回も繰り返されておられますが、疑うことなく信じれば必ず六根清浄の功徳を得て、仏様の住む境界になれるということです。疑えば六道輪廻の世界をさまようことになり、息苦しい歓喜の涌かない生活になります。六道輪廻の世界に堕ちる前に気が付くことです。
 日蓮大聖人の教えを信じ、御本尊様に御題目を唱えていくところに、歓喜を呼び六根清浄の功徳を頂き、住むところが常寂光土とかわり、更に折伏をして、その輪を広げていくことが大切です。
 本門戒壇の大御本尊様が在す、総本山大石寺が唯一の常寂光土であり、その血脈が流れ通っている御本尊様を受持するところが常寂光土にかわります。御本尊様を信じ、御題目を唱えて有り難い功徳を頂きましょう。


正しい仏法を教える折伏の必要性

2005-11-21 | 手引書①

 折伏とは、腐敗堕落した世の中を正しくていく、日蓮大聖人が御指南される日蓮正宗の伝統的な修行です。世の中における腐敗堕落の原因には、主師親の三徳に報恩申し上げ、敬っていく姿を失っているところにあります。つまり、主人と師匠と親に対する気持ちが形骸化し忘れかけているからであります。
 折伏では、この腐敗堕落の根本的原因である、主師親の三徳を敬う気持ちを教えていく大切な修行です。宗祖日蓮大聖人は、末法の御本仏として後世の私達に欠けている、主師親の三徳について余すところなく御教示下さっております。それが「御書」として残され、師匠について御相伝の上から、御書を正しく学び勉強していくところに、主師親の三徳を学んでいくことが出来ます。
 主師親の三徳については、世界でも日蓮正宗でしか教えていません。世間一般の教育施設学校では、教えない教義が日蓮正宗では七〇〇年間伝わっており、折伏という形で布教し知らない人に教えています。
 折伏は、親に対する感謝の気持ちを育てていきます。現在の日本は、親を親とも思わない風潮が、末法の様相として現証がはっきり出ております。親を親とも思わない背景には、若者を釘付けにする思想や間違った宗教・仏教を信じ信仰するところにあります。
 仏教に親しみのない方には、理解しにくい面がありますが、永い歴史のなかで無意識のうちに命に染み付いた謗法の垢であり、日蓮大聖人は厳しく糾弾されています。今ではその間違った思想・考えが、特に若い世代において常識化しているところもあります。まさしく正しい仏法を学んでいない証拠です。唯一正しい仏法を教えていく行いが折伏です。
 折伏は、私達における不幸の原因を根元から取り去る行為です。不幸の原因を折り伏していくということです。それが折伏です。
 日蓮大聖人は『開目抄』に、 
 「邪智・謗法の者の多き時は折伏を前とす」(御書575)
と仰せであります。主師親の三徳を忘れた邪な智慧をもった者、謗法といわれる正しい仏法を無視し破壊する者には、間違った考えをもった人に正しい仏法をもって、折り伏していく折伏が大事であるということです。
 折伏をしないで、自分だけの成仏を願っている人は、知らぬ間に主師親の三徳を忘れた謗法の人から、謗法の考えを貰いやすい体質になっているを心に止めることが大事です。折伏によって、防非止悪といわれる非を防ぎ悪を自他共に止めていくことができます。自ずと折伏をしなければ自分の成仏が危ういことを気付くことが大事です。謗法与同罪になり、無間地獄に堕ちないよう折伏を行じていくことが大切です。


謗法与同罪を恐れる信心を

2005-11-21 | 手引書①

 日蓮大聖人は『秋元御書』に、
 「常に仏禁(いまし)めて言はく、何なる持戒智慧高く御坐(おわ)して、一切経並びに法華経を進退せる人なりとも、法華経の敵(かたき)を見て、責(せ)め罵(の)り国主にも申さず、人を恐れて黙止(もだ)するならば、必ず無間大城に堕(お)つべし。譬(たと)へば我は謀叛(むほん)を発(お)こさねども、謀叛の者を知りて国主にも申さねば、与同罪(よどうざい)は彼の謀叛の者の如し。南岳大師(なんがくだいし)の云はく『法華経の讐(あだ)を見て呵責(かしゃく)せざる者は謗法の者なり、無間地獄の上に堕ちん』と。見て申さぬ大智者は、無間の底に堕(お)ちて彼の地獄の有らん限りは出づるべからず」(御書1453) 
と謗法与同に対し非常に厳しい御指南をされており、更に第二祖日興上人も『日興遺誡置文』に、
 「一、謗法と同座すべからず、与同罪を恐るべき事」(御書1885)
と御教示であります。謗法与同罪を恐れなければいけない理由は、成仏である六根清浄の功徳を得られなくなるからです。『曽谷殿御返事』に、
 「何(いか)に法華経を信じ給ふとも、謗法あらば必ず地獄にを(堕)つべし。うるし(漆)千ばい(杯)に蟹(かに)の足一つ入れたらんが如し。『毒気深入(どっけじんにゅう)・失本心故(しっぽんしんこ)』とは是なり。」(御書1040)
と仰せであり、謗法があると必ず地獄に堕ちるということです。そのため謗法を恐れなければいけません。
 私達は、生活していく上で同情心を無意識のうちに家族や友人などにもちます。対人関係・人間関係を維持していく上で大切です。しかし、信心においてこの同情心が成仏の妨げになることがあります。謗法の思想・考えに注意して人と接していくことが大事です。そのため日蓮大聖人と第二祖日興上人は謗法与同に対し、厳しく訓誡されております。
 具体的に謗法与同罪を避けるには、「和して同ぜず」ということを心がけることであり、人間付き合いを上手にすることです。一切衆生の恩を心に留めながら、折伏をして謗法の人と付き合うことが必要です。謗法厳戒・破邪顕正の精神をもって接することです。折伏は、一切衆生に恩を報じる大切な修行です。
 この謗法与同が、時として己心の魔と成り代わります。御本尊様に疑いをもつようになり、根無し草のような情報と噂に翻弄されることがあります。信心では、魔の働きに充分に気を付け、謗法与同罪を恐れた信心に徹することです。
 所属寺院へ月に一度は必ず参詣し、御本尊様に御題目を唱えることで、謗法与同罪を逃れることが出来ます。更に毎日の勤行唱題で謗法与同罪を消滅することが出来ます。そして総本山大石寺に在す、本門戒壇の大御本尊様に御目通りすることで、私達の命に染み付いた根本的な謗法の垢を綺麗に落とすことが出来ます。常寂光土を汚す謗法与同罪には、充分気を付けましょう。


心の汚れ三毒の貪・瞋・癡

2005-11-21 | 手引書①

 心の汚れ貪・瞋・癡の三毒は、生きていく上で一生付き合わなければならない心の汚れであり、心を害すため毒に譬えられます。体の中で発生する毒素です。この貪瞋癡の三毒という汚れを、洗い流し清める方法を知らなければいけません。宗祖日蓮大聖人は、その清める方法を教えており、日蓮正宗に正しく伝わっています。その方法が御本尊様に手を合わせて、御念珠をかけて御経をあげ御題目を唱えることです。
 毎日、御経をあげ御題目を唱えることで、心の汚れ貪瞋癡の三毒が洗い流されます。衣服や体の汚れは誰でも落とせても、根強い心の汚れは、信心をし御題目の南無妙法蓮華経を唱えるしかありません。
 この心の汚れが溜まると貪という貪る気持ちが強くなり、瞋という怒りの命が強盛になり、癡という愚かな愚癡の生命が盛んになります。この汚れは、心に充満すると寿量品に説かれるように「毒気深入・失本心故」になり自分自身を破滅させ、更に周りの家族や友人等に迷惑をかける結果になります。
 この三毒である貪瞋癡を正しく扱っていくことが大事です。日蓮大聖人は、三毒を正しく取り扱う方法を、私達に有り難く御教示されているのであります。
 『御義口伝』に、
 「されば妙法の大良薬を服する者は貪瞋癡(とんじんち)の三毒の煩悩の病患(びょうげん)を除くなり。法華の行者南無妙法蓮華経と唱へ奉る者、謗法の供養を受けざるは貪欲の病を除くなり。法華の行者罵詈(めり)せらるゝも忍辱(にんにく)を行ずるは瞋恚(しんに)の病を除くなり。法華経の行者是人於仏道(ぜにんのぶつどう)決定無有疑(けつじょうむうぎ)と成仏を知るは愚癡(ぐち)の煩悩を治するなり。されば大良薬は末法の成仏の甘露(かんろ)なり。今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉るは大良薬の本主なり」(御書1768)
と御指南であり、三毒である貪瞋癡を除く方法を仰せです。ひたすら御本尊様に御題目である大良薬を唱え、折伏を行じていくことで、三毒を正しく扱うことが出来ます。それが煩悩即菩提・生死即涅槃にかわります。
 信心しないと心の汚れは、無意識のうちに溜まっていきます。心の汚れ三毒の存在を明らかに見える眼を、常に持つことが大事です。この眼を持ち三毒に左右されない命を、保持していける唯一の方法が、御本尊様を受持し御題目を唱える修行です。
 三毒強盛な生命状態で、人と接すると必ず人間関係が気まずくなります。重苦しい雰囲気が周囲を包み、他の人にも不快感を与えます。これは誰もが経験することです。三毒の扱い方が上手くできていない証拠です。いち早く御本尊様に御題目を唱えることを御勧めします。
 三毒に翻弄されない心構えは、「柔和忍辱衣」を意識にしっかり持つことです。気持ちを穏やかに、柔軟性を持つことです。そして耐え忍ぶことが大事です。御題目を唱え、更に「柔和忍辱衣」を心に纏(まと)うことで貪瞋癡の三毒を変毒為薬することが出来ます。その安堵を得る場所が、御本尊様が在すところです。常に御題目を念じる気持ちが大事です。三毒が心に現れたとき、御題目を唱える意識がしっかりしているか、三毒の命の方が強いかで人生を大きく左右します。この分かれ目の時、どのように判断するかで仏因を決定し人生をも大きく左右します。寺院は、三毒を洗い流す大切な場所です。月に一度は必ず寺院に参詣しましょう。


信心の信とは

2005-11-21 | 手引書①

 宗祖日蓮大聖人は『日女御前御返事』に、
 「仏法の根本は信を以て源とす」(御書1388)
と仰せであります。仏法を学び行じ信心していくときは、疑うことなく信じることが大切です。人は生きていく上で無意識のうちに信じて生きています。特に正しい仏法は信じることが必要です。間違った悪道へ行く教えは、信じることなく疑いを持ち、悪を止めることです。
 仏法における「信」の意味は、信じることはいうまでもありません。「信」とは、「人」という字と「言」から出来ています。特に日蓮大聖人の仏法では、「人」においてはお互いを支え合う意味と、日蓮大聖人の仏法を信じる異体同心という意味があり、「言」においては自行化他の勤行唱題と折伏の時に出す声・言葉です。それが「信」の意味です。
 その意味を理解した上で、信心をすることが大事です。一人信心や言葉に出さない観念的な信心は、本当の信心とは言い難いところがあります。正しい「信」の字を理解して精進しましょう。
 『生死一大事血脈抄』に、
 「信心の血脈なくんば法華経を持(たも)つとも無益なり」(御書515)
という御指南があります。信心していく上で、「血脈」である血脈相承を重んじて信じなければいけません。血脈とは、日蓮大聖人からの正しい仏法を受け継がれておられる、御法主上人猊下様から流れ通う教えを信じることであります。信心をしていても「血脈」を無視した信心は無益です。「血脈」を信じない場合、日蓮大聖人は『女人往生抄』に、
 「信心を堅固に発(お)こして疑ひを成すべからず。其の上、疑ひを成すならば『疑ひを生じて信ぜざる者は即ち当に悪道に堕(お)つべし』『若(も)し人信ぜずして乃至其の人命終(みょうじゅう)して阿鼻獄に入らん』と、無虚妄の御舌をもて定めさせ給ひぬれば、疑ひをなして悪道におちては何の詮か有るべきと覚ゆ」(御書339)
と御教示であり、信じないで疑いを起こすと悪道に堕ち、更に死んでから地獄でも一番苦しい阿鼻地獄の無間地獄に堕ちますと仰せです。仏様の御金言は絶対に疑うことなく信じることです。信じるところに成仏があり、自分自身の幸せがあります。
 『御義口伝』に、
 「信の字は元品(がんぽん)の無明を切る所の利剣なり。其の故は、信は無疑曰信(むぎわっしん)とて疑惑を断破(だんぱ)する利剣なり」(御書1737)
と御教示であります。私達の迷い煩悩の根本である元品の無明も信じることによって、迷いを切り開くことが出来、また信は疑い無きを信という無疑曰信により、疑いや惑いを断破することができます。
 信心をする上で、何に「信」が大事であるかが解ります。信無くして仏法はなく、成仏も幸福もありません。『法蓮抄』に、
 「信なくして此の経を行ぜんは手なくして宝山に入り、足なくして千里の道を企(くわだ)つるがごとし」(御書814)
と仰せであり、「信」の無い修行は無意味であり、宝物を得ることが出来ません。日蓮大聖人の正しい仏法は疑うことなく確信を持って信じましょう。そこに確固たる幸福を築き上げます。


修行の行とは

2005-11-21 | 手引書①

 御授戒を受け、御本尊様を持っていても、「行」が伴わなければ功徳を得ることが出来ません。日蓮正宗の行は、「勤行唱題」と「折伏」が基本です。これを「自行化他(じぎょうけた)」といいます。自行化他を行うことで、御本尊様から有り難い功徳を頂くことが出来ます。
 修行は、信心と生活が両立できるように行います。片寄りがないように勤めるところに信心即生活があり「我此土安穏(がしどあんのん)」な境界があります。
 他宗で行う「難行苦行」は無意味であります。かえって心身を害し悪因を積むことになり地獄に堕ちます。難行苦行を行わないだけ、日蓮正宗の修行は、勤行唱題と折伏という易しい修行です。難行苦行をしないで最高の成仏という境界を御本尊様から頂くことが出来ます。
 自行の勤行唱題とは、自分自身の能力と境界を高める修行です。潜在能力を御本尊様により引き出して頂くことが出来ます。それが仏様の生命「仏界」です。人間には本来、仏様の命が眠っています。信心をもち御本尊様に御題目の南無妙法蓮華経を唱えることで仏様の命が蘇ります。それが勤行唱題という「行」です。
 勤行では、法華経の大事な御経を読誦します。それが迹門の「方便品第二」と本門の「如来寿量品第十六」です。方便品を読むことで間違った低い教え、爾前権教を破折し、更に諸法実相を示して理の一念三千を観じていきます。寿量品を読むことで本門と迹門に違いを示し、更に文底に秘沈されている事の一念三千である御題目の南無妙法蓮華経を引き出します。それによって上行菩薩に付嘱された、御題目の南無妙法蓮華経が唱えられるのであります。
 化他行の折伏は、仏様の命「仏界」を涌現させる行を他の人に教え、間違った悪道へ堕ちる宗教や仏教を正していく修行です。そして御本尊様の素晴らしさを訴えていきます。人に喜び・歓喜を与える「行」が折伏です。
 折伏で大切なことは、歓喜に満ちた気持ちで行うことです。更に情熱と勢いと慈悲が大事です。その場の雰囲気を日蓮大聖人の御精神に満ちた空気を作り出すことが大切です。この雰囲気に動執生疑を起こし信心に目覚めます。折伏は周りの雰囲気作りが左右し非常に大切です。
 この自行化他の修行を地道に行じていくところに、「広宣流布」である立正安国の世界が出来上がります。この広宣流布を心に思い描きながら自行化他に精進していくことです。
 日蓮大聖人は『三大秘法抄』に、
 「末法に入って今日蓮が唱ふる所の題目は前代に異なり、自行化他に亘りて南無妙法蓮華経なり」(御書1594)
と御教示であり、また『御義口伝』に、
 「南無妙法蓮華経は自行化他に亘るなり。今日蓮等の類南無妙法蓮華経を勧めて持たしむるなり。」(御書1760)
と仰せです。自分自身も唱え、他にも勧めていく、自行化他の南無妙法蓮華経が今末法における正しい修行であると御指南です。自行化他の勤行唱題と折伏を行じていくところに成仏があります。成仏は毎日の積み重ねが、冥益となって顕れます。