いただいたコメントから展開して。
子供の頃に接したものって結構記憶のどこかに残っていて、
ふとした折に浮かび上がってくることって、あるなあと思いまして。
私にとってのひとつは、高校の授業できかされた鑑賞曲。
(聞かされた、という思いしか、残念ながらない)
明白に「次のテストに出す」という思惑アリありで。
そして、そのころ結構真剣にリコーダーをやっていた私に対して
音楽できるだろうという色眼鏡もついていて。
あのね、確かにリコーダーやっているけれども
だからといってピアノが弾けるわけでも、
コードを知っているわけでもなければ
クラシックに明るいわけでもないのよ。
しかもめっぽう、記述式の芸術系のテストには弱かった。
曲を覚えるのは得意。
でもその作曲者名、曲名、何分の何拍子で、何調で、速度はこれで、
…って覚えられない。
いや、感覚でわかっていることもたくさんあるのよ。
たぶん覚えることにあんまり価値を見出してなかったんだろうなぁ。
で。
まあ、テストはね、撃沈しましたww
(そのあとの周りの「なんで!?」の言葉とかまで覚えているぞ)
その、いっぱいきかされた鑑賞曲の中で、素敵だ!と思ったのが
ボロディンの「中央アジアの草原にて」。
うーん。ビゼーの「アルルの女」とか、チャイコフスキーの何とかとか
ショパンのあれだとか、モーツァルトのそれだとか
ムソルグスキーの「はげ山の一夜」なんかが並ぶ中で、
ボロディンが今でも心に残っているのか。
しかも「イーゴリー公」(だったん人の踊り)とかでもなく。
時々、あれは全体としてはどんな曲なのか。
ボロディンってどんな作曲家なんだ?
って思っていたんだった。
化学者なんだよね。
生涯化学者として収入を得ていて
「日曜作曲家」を自称したりして。
交響曲全集、なんてのを聴いたりしています。
ロシアの作曲家が好きなのかな。
ここからまた、ずいぶん前に先生に聞かれた
「どの年代の、どこの国の曲がいいの(やりたいの)?」
の問いかけを思い出し、
いまだに答えが出ないんだよなぁ、ということも思い出す。
答えが出ないというより、「どの年代の」「どこの国の」という
カテゴリーわけが、自分の中にないからなんだろうなぁ。
うむむ。
でも東京リコーダー音楽祭でいろいろな曲を聴いていたら
「どの国の」「どの年代の」はざっくりとでも
分けることができそうだなぁとは感じたんだよね。
これまた、感覚でしかないのだけれど。
困った。また夜更かしになってしまう。
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