なぜ経済学が限界だと思うかと言うと、経済学の本には「資本主義がどうなっていくのか?」という長期的なことが全く書かれていないからだ。
今は経済が行き詰まり、資本主義のせいで人類の危機まで迫った時代なのに経済学は何をやっているのだろう。
書かれていないから考えていないとは思わないけど、それにしても学問と言うものが先の事を考えるは当然だろうと思うのだ。
資本主義が将来どうなるのかなんてとっくに分かっているけど、それを書いてしまうと、余りにも絶望的な内容なので世の中が混乱してしまうから、なのかもしれない。
なぜ、またそんな話を蒸し返したのかと言うと、この前図書館に行ったときに、経済の本コーナーを覗いてみたら、「資本主義はどこへいくのか?」という題の本があったのだ。
「とうとう出たか!!」と思って借りてきて読んでみると、がっかりだった。
どこかの大学の先生が書いた本だけど、内容は今までの資本主義がだめなのは欲望のままに走り過ぎていてモラルがなかったからだと言う。
「これからは節度と分別を持って資本主義の活動をしましょう」というようなことだった。
そんなことを人間に期待してもだめに決まっているではないか。
どうして今でもたくさんの規制があって、政治家までお金まみれなのはなぜか考えたら分かる。
人間と言うのは一人一人のことを考えてもだめなのだと思う。
きれいは人もいるし、汚い人もいる。
人間を考える時は、人間と言う集団がどういう風に動くのかを全体としてみなくてはだめなのだ。
モラルと言うのは個人的なことで、資本主義の欠点を個人の資質の改善で何とかしようなんて無理なのではないか。
資本主義はもう動き始めてしまった大きなシステムだから、その中の個人が何人かで違う行動をしても大勢は変わらないと思う。
でも、最近は少し世の中が変わってきている。
オバマさんがアメリカ大統領になり、日本では民主党が政権を取って、地球温暖化への取り組みが本気でスタートしたと思う。
取り組みの要は「エコ」や「リサイクル」で化石燃料からの脱却を目指している。
日本でも、太陽光発電関係の産業は年々すごい伸びを示しているし、食料自給率を上げるために農業への注目も高まっている。
経済学にも明るい未来が開けてきている、今なら資本主義の崩壊のシナリオを語らなくても済むではないか。
資本主義がどうなっていくのか明るい未来を示して欲しいと思う。
今は経済が行き詰まり、資本主義のせいで人類の危機まで迫った時代なのに経済学は何をやっているのだろう。
書かれていないから考えていないとは思わないけど、それにしても学問と言うものが先の事を考えるは当然だろうと思うのだ。
資本主義が将来どうなるのかなんてとっくに分かっているけど、それを書いてしまうと、余りにも絶望的な内容なので世の中が混乱してしまうから、なのかもしれない。
なぜ、またそんな話を蒸し返したのかと言うと、この前図書館に行ったときに、経済の本コーナーを覗いてみたら、「資本主義はどこへいくのか?」という題の本があったのだ。
「とうとう出たか!!」と思って借りてきて読んでみると、がっかりだった。
どこかの大学の先生が書いた本だけど、内容は今までの資本主義がだめなのは欲望のままに走り過ぎていてモラルがなかったからだと言う。
「これからは節度と分別を持って資本主義の活動をしましょう」というようなことだった。
そんなことを人間に期待してもだめに決まっているではないか。
どうして今でもたくさんの規制があって、政治家までお金まみれなのはなぜか考えたら分かる。
人間と言うのは一人一人のことを考えてもだめなのだと思う。
きれいは人もいるし、汚い人もいる。
人間を考える時は、人間と言う集団がどういう風に動くのかを全体としてみなくてはだめなのだ。
モラルと言うのは個人的なことで、資本主義の欠点を個人の資質の改善で何とかしようなんて無理なのではないか。
資本主義はもう動き始めてしまった大きなシステムだから、その中の個人が何人かで違う行動をしても大勢は変わらないと思う。
でも、最近は少し世の中が変わってきている。
オバマさんがアメリカ大統領になり、日本では民主党が政権を取って、地球温暖化への取り組みが本気でスタートしたと思う。
取り組みの要は「エコ」や「リサイクル」で化石燃料からの脱却を目指している。
日本でも、太陽光発電関係の産業は年々すごい伸びを示しているし、食料自給率を上げるために農業への注目も高まっている。
経済学にも明るい未来が開けてきている、今なら資本主義の崩壊のシナリオを語らなくても済むではないか。
資本主義がどうなっていくのか明るい未来を示して欲しいと思う。